歓喜の歌日本語版

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歓喜の歌 日本語版
ベートーヴェン 交響曲 第九番 合唱終曲 

なかにし 礼 詩


■B5判/64ページ 
■定価:本体1,000円+税 
■ISBN 978-4-907121-72-3



日本人だから「第九」も日本語で。

日本語でしか託せない魂や祈りを、なかにし礼の詩で表現。各地で上演され、好評。

収録曲

ベートーヴェン 交響曲第九番ニ短調作品125より 第4楽章 歓喜の歌 日本語版

日本語の第九元年 


 日本語で歌うと音楽の純度がさがるという。ということは原語で歌えば純度がさがらないということらしいが、なあにさがらないと思っているのは本人だけで、日本人がドイツ語を発音した瞬間にドイツ語はこわれているのである。どうせこわれるなら、無茶苦茶にこわして、自分の血とし肉とし、そのあとで新しい何かを創り出せばよさそうなものなのにそれをしない。いつから日本人はそんな風になった。むかしはそうでなかった。浅草オペラ時代のあの出鱈目さ加減と、あのエネルギーを思いおこせばわかることなのだが、あれは大衆芸能の話で、純音楽には関係ないと済まし顔でいう。しかし誰がなんと言おうと、あの浅草オペラ時代が、日本が最高に西洋音楽を吸収した時期であったことに間違いはない。そのエネルギーの源はなんであったかと言うと、当然のことながら言葉なのだ。日本語という言葉なのだ。
 音楽の純度という目くらましに目がくらんで、言葉をないがしろにしはじめて、日本のクラシックは活力を失った。オペラ、オペレッタ、歌曲。会場は限られたファンや専門家の溜り場であって、一般大衆は入りたいとも思わない場所になった。
 言葉というものは、生(なま)なものである。ギラギラと油ぎったものである。日本語にすると、その生々しさがよみがえり、音楽が油ぎって来るからいやだというのが本音だろう。音楽がわかってしまうのがいやなのだ。わかるのが恐いのだ。いつまでもわからないものとして遠くにおいておきたいのだ。
 しかし、音楽は人間が理解しあうために創り出したものだ。わかりにくい筈がない。むつかしいわけがない。
 ベートーヴェンが身近になる。いいではないか。ベートーヴェンが安っぽくなる。いいではないか。
 音楽の純度のために失うものが多すぎてはいけない。言葉とともに歩んできた日本人の魂、日本の文化、言葉にしかたくせいない人間の祈り、言葉によって燃え上がる命。それよりも何よりもぼくら自身が日本人であるという事。
 あなたはなぜ、英語で芝居を書くのですか、と質問されてシェイクスピアが答えた。

 私は英国人のために芝居を書いているからです。

 これは永遠の真実なのだ。
 どうかみなさん、つたない日本語詩ではなりますけれど、誇りを持って歌ってください。
 1987年(昭和62年)を日本語の第九元年と呼ぼうではありませんか。

   行け 行け
   胸をはずませ雄々しく
   空ゆく太陽の
   歩みのように

                                なかにし 礼

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