ポーランド声楽曲選集 第1巻
ショパン歌曲集
小早川 朗子/寺門 祐子/平岩 理恵 編
■A4判/96ページ
■定価:本体2,000円+税
■ISBN 978-4-907121-14-3
ショパンの17曲の歌曲集がフォンタナの手により編集されたもの。初めてポーランド語の歌詩が日本語に訳され、各曲の詳細な解説付きで出版された。貴重な一冊です。
小林仁(ピアニスト・東京藝術大学名誉教授・日本ショパン協会会長)
ショパンの歌曲は美しい。その楽譜が見事な解説つきでやっと日本で出版される。うれしいじゃないか。これでショパンの音楽のすべてが私たちのものになる。
青澤唯夫(ショパン研究者・日本ショパン協会理事)
天才ショパンの“歌”は人間ショパンを映し出す。この歌曲集には、それを知る豊富な資料とポーランド語の詩に読みが付き、その美しい歌に誰もが身近に親しめる。
瀬尾美智子(ソプラノ二期会)
Contents
序初版譜より
はじめに
No.1 願い
No.2 春
No.3 悲しい河
No.4 酒場の唄
No.5 好きな場所
No.6 わたしの目の前から消えて
No.7 使い
No.8 素敵な若者
No.9 メロディ
No.10 つわもの
No.11 ふたとおりの結末
No.12 僕の可愛い甘えんぼさん
No.13 あるべきものなく
No.14 指輪
No.15 いいなづけ
No.16 リトアニアの歌
No.17 木の葉が舞い落ちる(墓の歌)
フレデリク・ショパンの歌曲について 寺門祐子
各曲の解説 寺門祐子
原詩の作者について 関口時正
刊行にあたって
序
ショパンの遺作も、ここに第二のそして最後の曲集をお届けできることとなった。
これら16篇の歌のうち、最も古い3、4曲は、かつて彼が数人の親友に頼まれて与えたところ、瞬く間に人口に膾炙し、今日まで一度も出版されたことがないにもかかわらず、ショパンの祖国ではすでに長年、各地の領主屋敷や農家で歌われ、演奏されつづけてきたものである。いかに彼がポーランド人の民族的感情と一体化していたかということをそれは物語っている。
わが国の詩人たちが書いた詩の美しさに感銘を受けた彼は、そこから得た朗らかで素朴なーーより頻繁に沈鬱でもの悲しいーー感興を表現すべく、時として気持ちのおもむくままにみずからの才を動員した。そうしてショパンはその最盛期、すなわち1832年から44年の間、相当数の歌を作曲したのだったが、不幸にもその大半は失われた。心を許す者の前ではピアノを弾き、本を前に置き、それらの詩を抑揚つけて朗誦することはあったものの、それを書きとめるということには、われわれがどれほど懇願しても、そのうちいつかと言うばかりで遂に踏み切らなかった。やがて病魔と死神とが訪れ、これら珠玉の藝術作品は、ショパンに親しく接することができたという僥倖に恵まれた、わずか数人の親友たちの幸せな思い出の中でのみ生きることとなった。
「旋律といい独自の発想といい、尽きることのない、あれほど豊かな才能に恵まれたショパンが、オペラを書かなかったのはなぜなのか?」という問いをよく耳にする。だがそもそも彼の音楽は、誕生以来彼を育みつづけた民族的感情ーー青春の最初の目覚め以来ポーランドの草原で彼が呼吸しつづけたあの感情ーー、やがてその天才の発達によって昇華し、藝術的理想の頂点にまで高められたあの感情そのものではないのか。実際、フランスで生活していた彼が、言語上の困難によって制約されていたわけではない。最良の教育を受けたパリジャン同様、彼は言語のあらゆるニュアンスに通じていた。しかし言語は、音楽に対してある種の思考の秩序を、スタイルや性格の要件を押し付ける。ショパンは決してそれらに屈して仕えようとはしなかった。外国語の詞に曲をつけようとしたことも一度としてなかった。現在のポーランドの舞台には彼の能力を発達させるに十分な余地はなかったが、そのことは彼自身も彼の親友たちも、誰もが嘆いていたことだった。
このたび音楽界にお披露目する歌集は、もし状況さえそれを許したならば、舞台音楽において、あるいは大衆歌謡のジャンルにおいて、ショパンがどのようなものを作り得たかを想像する手がかりを専門家には与えることだろう。
1859年1月、パリにて
J.フォンタナ
(関口時正訳)
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