日本の合唱界を牽引する――田中信昭(前編)

HOME > メディア > ハンナ関連記事 > 日本の合唱界を牽引する――田中信昭(前編)
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

日本の合唱界を牽引する
「陸軍歩兵二等兵に命ずる」(前編)

10代の多感な時期を戦中戦後の渦中に揉まれながらも、
日本の合唱界における第一人者となった田中信昭氏。
氏はその時代に、どのようにして、“音楽”と出会い“合唱”にたどり着いたのだろうか。
「これからお話しする体験が、今の私の根底にあると思う……」
(こちらの記事はうたの雑誌「ハンナ」2013年5月号掲載記事です。後編はこちら


 召集令状が来た。17歳の時に。これは行かないと大変なことになる、憲兵がやってくるから仕方なく行ったんです。
 広場に300~400人くらいいたかな、17歳前後の男の子が。みんなでビシッと並んでいたらそこへ大佐殿が来て、いきなり「貴様ら皆を大日本帝国陸軍歩兵二等兵に命ずる」って言うのね。立ってる間に二等兵になったわけ(笑)。
 学生だからこんなことになるとは思ってもみなかった。知らなかったんですね、まさか二等兵に命じるための式だったなんて。大佐殿は「沖縄に米軍が上陸した。やがて本土に迫ってくるに違いない。本土防衛のために命を捧げてほしい」と言って立ち去った。ああ、いよいよきたか、と思いましたね。
 ところが、ものの3分も経たないうちに大佐殿が戻ってきて「ところで、諸君の中に鍛冶屋はおらんか」って言うわけ。なに? 鍛冶屋? って? みんなキョトンとして、なにを言っているのかと思っていたら、「米軍はやがて本土に来る。お前たちは皆、生駒山にこもって米軍を迎え撃ってほしい。しかし、銃がない。そこで竹を切って、その竹の先に槍の穂をつけて戦ってくれ。だが、槍の穂もない。だから槍の穂を作る鍛冶屋はおらんか」と。みんな唖然。私も、なんだこれは! と思った。
 そのころ私は旧制大阪高等学校の理科にいた。これがまたおかしな話で、文科を受けたのに理科に合格した。私の学年の理科は50人くらいだったが、どうも一組分増やして合格させたらしい。理科の学生は出征しないで済んだのね、だから学校が配慮してくれたのではないか、という噂だったけど(笑)。
 召集令状が来たから一生懸命こうやって出てきたのに「鍛冶屋はおらんか」って、なんだーいい加減なことしてるな、と思ってね。ずらーっと並んでいる中を一人だけトコトコ出ていって、大佐殿に学生証を見せました。
 そうしたら「おお理科か。間違いであった。召集は解除!」と、その場で言い渡された。それで意気揚々と帰ってきた。まもなく戦争は終わって、結局みんなも無事だった。なんとも、いい加減な戦争をしていたんですね。
 そんなわけで、戦争中までは医者になろうとかなり一生懸命勉強していましたが、こういう戦争が起こって、こんなふうに負けた。負けた途端に感じたことは、地平線にノコギリ入れてぐるっと一回りして、パカッと切れたそこから上の空の部分が全部パーンと無くなってしまったみたいでした。
 何ていうのかな、今まで「物事はこうである」と思っていたことが、全部ひっくり返っちゃった、というカンジかな。そうか、別の見方があるんだ、と知った。何もなくなってしまったけれど、だから何でもできる、という感覚。でも現実は、学業にも身が入らず、将来への目標も見失い空虚な日々が始まった。
 夜な夜な、寮歌を大声で歌いながら街を歩き回ったり、学校の講堂にあったピアノを弾いたりしているうちに、ピアノを聴きつけたクラスの仲間たちと合唱をやろうという話が持ち上がり、男声合唱団を作って活動を始めました。メンバーには作曲家の多田武彦氏もいましたよ。
 新しく何かしよう、と思って、まずは働き口を探しました。ある日、履歴書を書いて、家から歩いて行って最初にあった学校の門をくぐって、校長先生に会わせてもらって「こういう者ですが、雇っていただけないでしょうか?」と直談判したのね。何ができるの? と言われて、音楽と国語と言ったかな。そうしたら明日から来てください、とすぐに決まった。
 その頃は若い先生たちはみんな戦争で亡くなっていたから、圧倒的に先生が足りなかった。でも子どもは産めよ増やせよ、でたくさんいたんです。9クラスもあってね、一学年。
 こうして、私の“中学校の音楽の先生”が始まりました。

(うたの雑誌「ハンナ」2013年5月号より。後編はこちら

この記事を掲載のハンナ2013年5月号はこちら
この他のハンナの過去掲載記事はこちらから

「田中信昭氏が語る」シリーズ公開中!

日本の合唱界を牽引する(前編)
日本の合唱界を牽引する(後編)
田中信昭氏、これまでの合唱人生を語る
田中信昭氏と東京混声合唱団 半世紀の歩み

  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 
KAWAI
YAMAHA WEBSITE