私の指揮法――第7走者 城谷正博

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うたの雑誌「ハンナ」2014年11月号掲載記事
指揮者リレーエッセイ
私の指揮法 第7走者 城谷正博


歌劇場の指揮者

 私の主たる活動場所である歌劇場においては「オーケストラや合唱団の真ん中に立って棒を振る」という通常イメージされる指揮者の役割以外にもさまざまな業務がある。舞台裏で演奏する“バンダ”と呼ばれる別働隊のオーケストラや合唱団の指揮、稽古時に本番指揮者に代わってする指揮、舞台の真ん中にある箱の中に隠れて歌い出しの言葉やきっかけを与える「プロンプター」も私の仕事だ。指揮をする以外にもピアノを弾いて歌手に練習をつけたり、公演で使用するSE(音響効果)のスイッチを正確なタイミングで押すなんてこともやったりする。要は劇場での音楽に関する一切合切に携わる仕事ということだ。
 オペラは長い。普通の合唱曲やシンフォニーに較べたらとてつもなく長い! そんなオペラを指揮するために私がどのようにアプローチしているのか、その過程は指揮法にも直接関係してくる。
 作曲家は台本作家が書いた台本に音楽を書いていくのが一般的である。音楽だけ作ってあとから歌詞を乗っけるという例外もあろうが、ほとんどの場合テキスト→音楽の順に創造されている。そこで初めての曲を見ていく際は作曲家が辿った同じ道筋で作品を捉えてみる。まずテキストを何度も読む。文法的に不明な点があれば徹底的に調べ上げる。そして詩を朗読するごとく何度も唱える。暗誦するほどに歌詞が身体に入ったところで楽譜を見てみる。すると冠詞の入れ方、音の長短など、なぜ作曲家がそのような音符、リズムを書いたかを興味深く眺めることになる。漠然と譜面を眺めCDを聴く、いわゆる「レコ勉」では、この思考には至りにくいものだ。今度は和声、楽器法などを「なぜ作曲家がそれを選択したか」を中心にピアノを弾きつつ読み込んでいく。オペラ全体をいくつものセクションに分けて、この作業を延々と繰り返した末に辿り着くのが、レパートリーへのスタートライン。この先は自分の解釈を煮詰めていく次の段階に移る。
 このような仕組みを経て演奏指針が固まった状態で指揮に臨むと、顔の表情を含めた身体の動きは自ずから生まれてくる。さまざまなニュアンス、例えば、愛情・怒り・憎しみ・優美・疑惑・皮肉……をその時々に応じて使い分けることができる。演奏実践において表現を自由自在に描き分けるために費やす膨大な準備こそが「私の指揮法」の根幹である。
 実際の指揮においては、いわゆるダウンビート系の指揮も跳ね上げ系の指揮も併用している。表現獲得のためには指揮のメソッドだって変化する、というのが私の考え。快活な音楽ではクリアな打点を示すし、混乱したアンサンブルを立て直す時などは強烈なダウンビート棒しかない。いっぽう、横の流れや揺れの大きいアゴーギグの必要な場面では、先入に近いものを使用することがある。点を示す前に作るタメを調整することによって、それを表現に転嫁できるからだ。新国立劇場芸術監督の飯守泰次郎氏の指揮にこれを見ることができる。
 舞台裏でバンダを指揮する時には、根本的に指揮に臨む姿勢は変わってくる。ピットの中央にいる本指揮者と同時進行して、観客にあたかもひとつの棒で演奏しているように聴こえねばならないからだ。距離からくるタイムラグも発生するので、その微妙なタイミングを読み切って少しの誤差もなく演奏する「正確性への熱狂」が、我々には要求される。他人に合わせながら自分の音楽を作るという、まったく別のセンスが必要なのだ。
(うたの雑誌「ハンナ」2014年11月号より)



次回は久住祐実男先生にバトンパス♪

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