楽器の事典ヴァイオリン 序章 3 50本以上のストラディヴァリウス

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50本以上のストラディヴァリウス

 こうして国内での生産が進む一方で、外国のオールド・ヴァイオリンの名器も続々と日本に入ってきた。
 戦後初めて日本に入ったストラディヴァリウスは、「パーク」名付けられた1717年策で、これは1964年に東京藝術大学で買い入れたものだが、同じ頃やはり東京の武蔵野音楽大学福井直弘学長(当時)が、西ドイツでストラディヴァリウス入手していると伝えられている。
 これらに相前後して日本は高度経済成長の時代を築き、オールド・ヴァイオリン・ブームはいやがうえにも盛り上がった。戦前の三越に続けとばかり、渋谷西武(1972)、池袋西武(1973、1974)、大阪近鉄(1973)、銀座松屋(1974)といった大手デパートで、オールド・ヴァイオリンの展示会が次々とひらかれ世界から注目された。
 これらはいずれもストラディヴァリウス、アマティ、ガルネリウスなどを豊富にそろえた展示会で、たとえば2回にわたる池袋西武のものは「クレモナの栄光展」と銘打ち、クレモナ市に1本だけ残る秘蔵のストラディヴァリウス「クレモネーゼ1715」を借り出すという大掛かりな仕掛けであった。この時は「ヘリエ1679」 -有名な彫刻入りの楽器ー や「ハワイアン1695」などもあわせて出品された。一方近鉄デパートの展示会にはこの「ハワイアン」のほか「ストラディヴァリウス1715」が出品され、この一つがヴァイオリニスト辻久子の所有となったといういきさつもある。
 こうした日本でのブームが、逆に世界中のオールド・ヴァイオリンの相場を急上昇させるという些か奇妙なことにもなった。現在では、実に50本以上のストラディヴァリウスが日本人の所蔵となっているといわれる。

楽器の事典ヴァイオリン 1995年12月20日発行 無断転載禁止


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