私の指揮法――第4走者 辻 秀幸

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うたの雑誌「ハンナ」2014年5月号掲載記事
指揮者リレーエッセイ
私の指揮法 第4走者 辻 秀幸


「次を見せる」仕事

 私に果たして指揮法などというものがあるだろうかと、この原稿依頼を受けて考え直す機会をいただきました。自分は指揮をすることが仕事の中心になる前は、指揮者を見て音楽する側におりました。そしてなにもわかっていなかったであろう若かりし頃の自分は、生意気にも指揮者への好き嫌いが大いにあり、偉そうに同世代の演奏家の卵たちと指揮者批判を繰り返していました。
 しかしそんな中で私が学んだことは「次に来るフレーズをどうしたいのかが解らない指揮者」「ことがうまく運ばない理由を全て演奏する側(音を出す側)のせいにして無駄な稽古を繰り返す指揮者」「見た目の清潔感がない指揮者」からは良い音楽の生まれる時間をもつことができなかったということでした。
 指揮者は次に運ばれてくるものを誰よりも先に解っている必要があります。それはもしかしたら深くなくてもよいのかもしれません。たとえ人生経験の少ない若い指揮者であっても「僕はこういう具合にこの部分の音を出してもらいたい」という要求がはっきりしていればよいのだと思います。そしてそれがその演奏者集団にとって必ずしも良い結果を得られそうでない場合には、違うアプローチの仕方を見出す術を数種類持っていることがよいと思うのです。
 また指揮者は練習・リハーサルに際して、演奏者たちの大切な時間を預かり、その「有効利用を託されている」ことをしっかりと自覚していることだと思います。そして本番のステージ上で起きる全ての事故・事件を自分の責任と受け止めるだけの度量を備えていることだと思います。たとえ教育的現場であろうと、アマチュアの集団の発表会であっても、プロの演奏家を前にした演奏会であっても、その方々の発する声や楽器の音を預かって自分の望む音を紡いでいくのですから、当然そこには相手に対する尊敬と尊重がなければうまくいくはずもありません。
 それらを重んじたうえで指揮者のなすべきは「次を見せる」仕事であることに集約されるのだと思います。簡単に言えば「せーのっ!」という合図をいかに効果的に、音を出す人々に伝えるかだと思います。物を持ち上げる時によく使われるこのかけ声にも、何を運ぶのか、いかにデリケートで高価なものを運ぶのか、どのくらいの重さなのか、運び手の人数は? 運ぶ距離は? などによってそのかけ声のかけ方、声の大きさは違ってきます。指揮者としてはそれらをいかに準備して効果的なタイミングでそれぞれの奏者・歌手に伝えるかが肝心です。
 また逆に「合図を送らない方が良い場合」も実は多くあります。それらに充分な心配りをしていかにたんぱくすぎず、しつこすぎず、感情を逆なでせずに、気持ち良く音を出してもらい、できる限り自分のイメージ通りに、もしくはそれを超えるほどの演奏ができたら最高なわけです。
 音を出す側とそれを聴いてくださる側を結ぶ仲介者、舞台と会場全体の良い雰囲気作りをできる人間こそ指揮者であるということでしょう。
 あれっ!? 指揮法とは少し違いますかねぇ!?
(うたの雑誌「ハンナ」2014年5月号より)



次回は本山秀毅先生にバトンパス♪

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