私の指揮法――第6走者 三澤洋史

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うたの雑誌「ハンナ」2014年9月号掲載記事
指揮者リレーエッセイ
私の指揮法 第6走者 三澤洋史


アルシスとテーシス

 前号の本山秀毅氏の「歌うための技術をどのように動作に盛り込むか」という意見に全く同感である。また、緊張と弛緩について書いておられたが、そのことに関して一つのことを書いてみたい。
 昔、京都教育大学で指揮法の集中講義をしていたことがある。ある時、僕を同大学に呼んでくれた北村彪教授が「指揮法におけるキロノミーの導入」という論文を書いておられた。キロノミーとは、グレゴリオ聖歌の指揮法である。小節も拍子もないグレゴリオ聖歌を指揮するためには、言葉のアクセントを中心に、高揚する部分をアルシス、弛緩する部分をテーシスと呼んで、空中に円を描くような指揮法で、あの一見とらえどころのない聖歌のフレーズを巧みに導いていく。
 僕はその論文にとても興味をもって、北村教授と対話を重ねた。そして僕自身、自分の指揮法にキロノミーを導入してみた。すると、これまで見えていなかった世界が眼前にパァーッと広がったのだ。
 歌でも楽器でも、名手の出す音をよく聴いてみると、けっして詰めたり押したりしていない。ヴァイオリンでは、弦と弓の双方がちょうど良い圧力とスピードで擦れ合い、あたかも弦そのものが自分で振動しているように感じられる。それが楽器の空洞で共鳴し、あのえもいわれぬ音色を作り出している。フォルテは高揚していながら、同時に周囲に響きを拡散させ、放出の爽快感を作り出している。この理想的音響状態と、キロノミーのアルシスの動きとが見事に一致しているのである。
 考えてみると、我々が習う一般的な指揮法というものは、まずアインザッツをはじめとした各拍を物理的に合わせるための処世術のようなものである。だから第1拍目は真下に振り下ろし、打点を作って、その後放物運動を描いて第2拍目に向かう。そして各拍子の図形を描く。しかし、この振り下ろす動きにそのまま従って演奏し始めたら、誓って言うが、美しい音は出ない。ストレス・アクセントの作り出す、つぶれた閉塞感のある音楽になってしまうのは必至だ。ヨーロッパの指揮者たちは、それを知っているから、なるべく打点を作らないように指揮しているのだ。
 指揮者は、テンポを刻みながらオケや合唱団を合わせることが本来の仕事ではない。もちろんそれも大切なことだが、それは音楽に踏み込んでいくための出発点にすぎない。そこから始まるのは、水平方向に広がるフレージングであり、それぞれの楽想に合わせてどのような“おと”を引き出すかなのである。
 一つだけ皆さんにヒントを言おう。打点の直後の上がる手を、ただちに力を抜いてしまわないで、自分が欲しいイメージの音を感じながら、両腕と胸とが作り出す空間で表現してみよう。その時、あなたが感じたものがアルシスである。
(うたの雑誌「ハンナ」2014年9月号より)



次回は城谷正博先生にバトンパス♪

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