私の指揮法――第3走者 松浦ゆかり

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うたの雑誌「ハンナ」2014年3月号掲載記事
指揮者リレーエッセイ
私の指揮法 第3走者 松浦ゆかり


「暁雄先生の教え」

 清水敬一氏、岸信介氏に続き、リレーエッセイ第3走者の松浦ゆかりです。
 合唱指揮のスタートは東京虎ノ門にある「住友電工」でした。東京藝術大学音楽学部在学中に指揮法を教わった、渡辺暁雄先生に背中を押されるようにして出向きました。お話をいただいたとき、「ピアノを弾きながらでもよろしいでしょうか?」と不安がる私に「もちろん!……アノね寝っ転がっててもいいのですよ。あなたの音楽が伝われば」と先生はいたずらっ子のように片目をつぶってニコッとされました。「森正(モリショウ)さんはフルート、私はヴァイオリン、あなたはウタでしょ、大丈夫、ダイジョウブ」。指揮法のレッスンでは「脇が開いていますよ」「指先にも何かを」「背中の向こうのお客さまにも背中でサインを」。フィンランド大使館でのサロンコンサートにも呼んでいただき、渡辺先生ご夫妻のお隣りに席を用意してくださいました。ワイン休憩の時に「ホールばかりがステージではありません。こういうスタイルはヨーロッパでは日常的なことなのです」。先生には指揮法実技ばかりでなく、充分な用意をしたうえで、遊び・エレガンス・アカデミズムの追求を教えていただきました。
 第二次世界大戦で焼け残った御茶ノ水の一画に、東京音楽学校(現東京藝術大学)選科という、作曲科から邦楽科まで専門のレッスンを受けられる制度があり、中学生以上に一般公開されていました(入試は実技のみ)。ピアノ科の講師陣は上野本校から出向した、田村宏、松野景一、坪田昭三というそうそうたる若手ピアニストで、私は七色の音を紡ぎだすと評判の青山三郎先生に週2回レッスンを受けていました。
 その後藝大別科ピアノ科に一年、その間に声楽を勉強し声楽科に入学。同期には、オペラの分野に五十嵐喜芳、栗林義信、作曲科に山本直純、萩原英彦各氏などがいました。そこに田中信昭氏が「日本にプロ合唱団を作ろう」と呼びかけ、ハモることが好きだった声楽科のクラスメートも集まりました。さらに増田順平氏のピッチの追求、全体の流れを大らかに包み込む八尋和美氏が加わり、昭和31年3月卒業式の夜、青山の日本青年館で「東京混声合唱団」が誕生。初代ソプラノパートマスターを、わけもわからず務めた私でした。
 さて、いま私が常に合唱団に要求するのは歌詞の「ひとり音読」です。自分の声が外耳から聞こえ、新しい何かに気づくことがあります。“declamando(音楽用語:朗詠する)”の入り口です。そして「口で聴いて耳で歌って」とも。本番の時は、そのホールに対応して息の方向・スピード・量……物理でいうところの“ベクトル”を要求しています。アイコンタクトでの入りも、身体全体をウデにして振りまくるアインザッツも、団全体が同じ息をして、同じ心を歌ってと願っています。
 遊び心を含め30数回に及ぶ私のヨーロッパ参りが多岐にわたり役立っているように思いますが、それ以上に多くの出逢いに恵まれたことで、なんとかやってこれました。残された時間を温めながら、もう一歩。ありがとうございました。
(うたの雑誌「ハンナ」2014年3月号より)



次回は辻秀幸先生にバトンパス♪

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