松下耕が描く谷川俊太郎の世界

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松下耕が描く谷川俊太郎の世界
第7回耕友会コンサート

国語の教科書でもおなじみ、現代の日本を代表する詩人である谷川俊太郎さんのつくる詩は、合唱曲としても親しまれ、日本各地で歌われている。
松下耕さんも谷川さんの詩に曲を書いている作曲家の一人で、以前から交流があったとのこと。
そんな二人が2014年2月2日、第一生命ホール(東京都中央区)の舞台でついに共演を果たした。
松下さんが音楽監督・常任指揮者を務める、14の合唱団からなるグループ「耕友会」のコンサート「松下耕が描く谷川俊太郎の世界」。
もちろん歌われる曲は全て、作詩=谷川俊太郎、作曲・指揮=松下耕である。
演奏の合間には、聞き手の野村維男さん(全日本合唱連盟副理事長・松原混声合唱団団員)を加えたトークセッションがあり、詩と音楽の関係や、谷川さんの詩の魅力などが語られた。
まるで芸術家二人の頭の中をそっとのぞくような、そんなトークが繰り広げられた。
(こちらの記事はうたの雑誌「ハンナ」2014年5月号掲載記事です)

詩と音楽、ことばとうたについて

野村 谷川さん、ご自分の詩に松下さんが曲を書いたものをお聴きになって、どうお感じになられましたか?
谷川 すごく言葉を大事にしてくださっているのを、ひしひしと感じました。松下さんが曲をつけてくださると、その詩の持っているポテンシャル、潜在的な力みたいなものを最大限に引き出す、という感じがして、活字で読んでも泣けない詩がさ、合唱で聴くと泣けちゃったりする。なんか、ずるいですよねー(笑)。
松下 いや、活字で泣いたから、音になったんです。あの、谷川さんの場合はどうかわからないですけど、僕の場合は普通に詩を読んでいるときに何かひらめくとか、そういうことがあるんですね。家族と一緒にたわいもない話をしていたりとか、ご飯を食べていたりとか、そういうことの延長に詩があり、そしてその延長に曲があるというような。ですから谷川さんの詩というのは、なにか大上段に構えているのではなくて、普通に僕らの生活の中に、やさしく入り込んでくれていて。そしてその中で、何か感動を与えてくださっている。それを僕は、すごく素直に書かせていただいているつもりです。まぁ『よしなしうた』なんかはある意味デフォルメしましたけど。
谷川 今お話をうかがって、詩と音楽の出どころが一緒という気がしましたね。あの、簡単にいうと詩というのは、意識からはあまり出てこないんです。「意識下」という、まだ言葉の生まれていないところからポコッと出てくるのが、少なくとも詩のはじまり。それからまぁ手直しして、次の段階で相当左脳を使うんですけれども、基本的には右脳から出てきている。松下さんがおっしゃった、ご飯食べながらとかね、本当に普通の生活の中で、こうポコッと出てくる。その点では同じですよね。だから、そうじゃない現代詩の人たちのすごく抽象的なレベルから書き始める詩は、音楽になりにくいのかな、という気がします。
松下 そうですね。左脳的な音楽と、右脳的な音楽がある。客席と直にわかり合えるのは、やっぱり右脳感というか、そういうのに満ちている感じがしますね。

谷川さんの詩について

野村 谷川さんの詩は、いろんな作曲家の方が作曲されていますよね。それはなぜなのでしょうか。
松下 まず、わかりやすいということ。それからテーマが深い。そして老若男女が、その詩から感じることができて考えることができて感動することができるということ。もう一つは、谷川さんの頭韻が、僕は本当に美しいと思うんです。ある言葉がポーンと浮き立つようにおかれていて、なにげなくおかれたようで、計算されている。それがやはり音律、韻律の中におかれたときに非常に美しく表現されるんじゃないかなと思っています。
谷川 あの、僕はずいぶん若いころから合唱の作詩を依頼されてね、ある程度やっているんだけどだいたいが歌われると日本語がよく聞こえないのが多かったのが、今日はちゃんと日本語が聞こえてくるんですよね。
松下 よかったあ~みんな!(笑)
谷川 それはやっぱり松下さんの訓練ていうのかしら、特別な方法論でもあるんですか?
松下 全然ないっす(笑)。だけど指揮するときに、言葉を手の形に変えようという努力は今しています。
谷川 手話みたいな?
松下 そうですね。次の音が「さ」なのか「た」なのか「ぱ」なのかで、手を変える。だから僕はこのぐらいの規模の合唱団だったら絶対に棒を持たないんです。棒を持つと、指が動かないでしょ? 5本の指全部使った方が、いろいろ伝わるので。それを楽しんでやっているところです。

野村 今日もすばらしい演奏でしたけれども、詩を伝えるうえでの合唱の役割、あるいは合唱団への要望なり、提言なりがありましたら。
谷川 そんなことは言えないですけど、僕はある意味、合唱に偏見があったんですよね。だけど聴いていると、やはり合唱というのは個人の声ではなくて、なんか一種、“anonym(※)な声”になってきているというのが、すごくいいなと思いました。それが下手したらね、なんかファシズムみたいにいきそうなところはあるんだけど、やっぱり曲がよければね。合唱のもっている“無名性”というのかな、それに今日はすごく感動しました。

※匿名者、無名者
(うたの雑誌「ハンナ」2014年5月号より)
※肩書などは掲載当時のものになります。

この記事を掲載のハンナ2014年5月号はこちら
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