横山幸雄ピアノQ&A136 から  Q58 よく弾けるようになるまでペダルを使ってはいけない?

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Q58. 今ショパンの《スケルツォ》をレッスンしてもらっていますが、先生は「指できちんと弾けるようになるまで、ペダルをつけてきてはいけない」と言います。



 新しい曲を勉強しようとするときに、まず一番最初にやるべきことは、「楽譜に書いてある音楽を頭の中で想像してみること」である。たとえ時間がなくて、想像することと音を出すことが同時になってしまったとしても、つまりピアノに向かって楽譜の音を即出してしまうことにな ったとしても、出す瞬間には出すべき音の音楽の中での役割をわかっているべきだ。そうでなければ、たまたま出た音は単なる偶然の音にしかならない。頭でイメージし形作ることができる音楽が、その人の練習すべきレヴェルであるということも言えると思うが、往々にして技術的な勉強が先にいってしまう場合、指がある程度自由に動くがゆえに頭の中ではイメージできないような難しい作品を弾くことも起こり得る。

 新しい作品を初めてピアノで弾いてみるときには、 一度その曲の持っている雰囲気、リズム感、テンポ感、ペダルからくる音色など、すべての音楽的要素を実現すべく演奏してみるべきだと僕自身は考えている。それは、前に書いたように出てくる音楽があらかじめ頭の中に想像で きていることが前提になるが、実際に音を出すことによって自分のできないところがはっきりするからだ。その上でペダルを使わずにていねいに練習することはとても効果があるかもしれないが、使わないことによって音楽的に不自然になってしまうこともままあるわけで、それを無視して、ただ単に「弾けていないから」といってペダルなしで弾き続けていれば、その音が自然の音楽のように耳が慣れてしまう可能性がある。

 常に自分の頭で「どう弾かなければいけないか」ということを明確に思い描いた上で練習していれば問題はないはずだが、練習をするときに部分的に、例えば曲の一部分でも、またペダルという一要素でも、抜き出して練習をする、つまり本来の音楽の流れを分断することによって、音楽的には不自然になることもあるだろう。そこで鳴らされた音に耳が麻痺してしまい、あたかもそれが自然で正しいことのようになると、何のための練習なのかわからなくなってしまう。

 実際にはまずあり得ないかもしれないが、「ピアノに向かったときには、いつも美しい音楽が奏でられる」というのが理想だ。本当は、まず頭の中で音楽をつくり、頭の中で練習し、それに必要な指の訓練さえ音を出さずにして、どうペダルを踏んだらいいかということも全部頭の中で想像できたところではじめて音を出せれば、耳の感覚が汚れてしまうことも、麻痺してしまうこともない一番理想的な条件と言える。しかし、そのようなことは時間的にも技術的にもあまり可能性がない以上、「どこまで自分の頭の中で理想的な音楽を想像できているか」が課題となる。僕自身は、なるべく理想的な美しい音楽以外の音を自分の耳に聴かせたくない。

 簡単に言えば、ペダルを使わずに練習している場合においても、「ペダルを使って弾いたときにどういう音が鳴っているか」ということを常に頭の中でイメージした上で練習してほしい。要するに音楽を勉強している以上、出している音はすべて音楽であってほしいのだ。



「横山幸雄ピアノQ&A136 上 part 5 ペダルの秘訣」


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