羽生結弦さん主催「能登半島復興支援チャリティー演技会」出演の鈴木明子さんインタビュー
プロスケーターそして振付師として活躍する鈴木明子さんが、羽生結弦さんの声がけで9月15日に行われた「能登半島復興支援チャリティー演技会」に参加した。オープニングとフィナーレの振り付けを担当し、自らのソロではソチ五輪で演じた『愛の讃歌』を10年ぶりに再演。濃密な1時間となった演技会を振り返っていただいた。
―今回の演技会は、羽生さんの声がけで石川県内のリンクで行われました。羽生さん、鈴木さん、無良崇人さん、宮原知子さんの4人のスケーターと、輪島和太鼓虎之介、能登高校書道部のみなさんによる演技を、1時間にわたり配信。その収益が石川県に寄付されるというものでした。
鈴木明子 こういったチャリティーの機会を、私一人がやりたいと思っても実現できないところを、羽生君の提案で実現できたことが嬉しいです。震災が起こるたびに人間の無力さを感じてしまう一方で、微力ながらに自分ができることってなんだろうと考えたときに、スケートを通じて人の力になれることがあれば良いなと思い、参加させていただきました。一人じゃできないことを、色々な人達が手を取り合って成功させようという温かい空気感のある演技会でした。―オープニングは、輪島和太鼓虎之介の演奏に合わせた4人の演技でした。鈴木さんが振り付けをされたそうですね。
鈴木 演技会のオープニングですし『力強い和太鼓で、魂が沸き立っていく』というイメージで振り付けました。太鼓の音は、人の鼓動のようにも感じますし、『内なる熱いものを燃やして、再び立ち上がろう』というコンセプトがあります。4人で合わせるパートの部分は、事前に私が振り付けを作って、前からと後ろから動画を撮影したものを皆さんに送り、覚えてきてもらう、というやり方にしました。4人が会って演技を合わせられるのは、前日のリハーサルと、本番の朝だけ。2日間で、全体的な流れや、動きのタイミングをあわせるという作業でした。―魂を込めた和太鼓のリズムに乗り、パワー溢れる演技だったと思います。
鈴木 実は、和太鼓のみの演奏曲で、私にとって新たな挑戦でした。スケートの振り付けを作るときは、基本的にはメロディかリズムを意識して作ります。ところが今回は、メロディはなく、和太鼓が独特のリズムを繰り返すプログラム。一般的な4拍子、6拍子のようなリズムとは違い『拍』の取り方が独特なので、音源を何回聴いてもカウントを取ることができませんでした。聴き込んでいくと『6回叩いて、変化させて、6回叩く』などとリズムを掴むことができても、実際に滑っていると音が捉えられなくなることもありました。―和太鼓のリズムをスケートとして捉えるのに、どのような工夫をされたのでしょうか?
鈴木 一番難しかったのは、最後に4人で動きを合わせるところです。羽生君のソロのスピンのあと、エンディングに向けて皆でいっせいに踊るのですが、メロディがないので『どこから入ればいいの?』という本当に難しい部分でした。ここは、羽生君が細やかに音を捉える力があり、リズムや音を感じとる耳が良いので、彼に頼りました。リハーサルをしながら『ここ、リズム取れる?』などと聴いて、確認しながら作っていった感じです。そのためには羽生君が和太鼓のリズムを把握していないとできないので、彼が一番大変だったかもしれません。―本番は、とても力強く、ピタリと息があっていました。
鈴木 羽生君がスピンを終えて、だんだん手を開いていくところで3人が用意をして、手が開ききったところで一斉に踊り始める、という入り方にしたのです。本当に彼のタイミングに頼っている部分です。羽生君が、本番前日からずっと曲を聴き込んでくれたからこそ、皆の息もピタリと合いました。ただ、羽生君も『これ、音取るの難しいよね』と言ってくれたので、『ああ、羽生君でも難しいんだ』と思って、ちょっと安心しました(笑)―会場での観覧ではなく映像配信という点では、あえて意識したことはありますか?
鈴木 配信ということで、やはりカメラを意識した振り付けを考えました。客席から見たときのようなフォーメーション重視の構成よりも、動き1つ1つが揃うことや、カメラの前を滑り抜けていくスピード感などを出したいと思いました。最初は和太鼓のリズムどおり『強い表現を』という振り付けを考えていたのですが、4人で会ってから、もっとスケート特有のスピード感があったほうがいいなと感じて、4人が交差するように滑り抜けるシーンや、疾走感なども入れました。―映像配信という点を活かした演出もありますか?
鈴木 ショーと違って暗転がないので、羽生君の登場はちょっと工夫しました。私たち3人の演技が終わって、カメラの下から羽生君がバン!と出てくる動きにして、『突然現れた』という雰囲気を作ってみました。ショーであれば、暗闇の中でスポットライトがポンと当たり『ここから彼のパート』という演出をするイメージです。現地に行ってみないとカメラの位置が分からなかったので、羽生君も協力してくれて『この動きだったら、こっちから入ったほうがいいね』などと相談しあいながら作りました。―和太鼓だけのプログラムは新鮮で、心に刺さるものがありました。
鈴木 4人で和太鼓に負けない迫力を出せるかな、と考えていたのですが、皆の気合いが合わさったことで、思っていた以上に勢いのあるプログラムができました。そして『羽生くん、和太鼓似合うなあ』と思いました。今回は通常照明でしたが、ショーのスポットライトで演じても、また違う格好良さがあると思います。色々な新しい挑戦ができたオープニングでした。―ソロナンバーではソチ五輪シーズンの『愛の讃歌』を演じました。この曲は10年ぶりの演技になりました。
鈴木 この演技会に向けて曲を決めようという時期に、ちょうどパリ五輪の開会式でセリーヌ・ディオンさんが歌った『愛の讃歌』を聴いて、やっぱり素敵な曲だなと思い返していました。『今だからこそ表現できる愛の讃歌も、もしかしたら見えるものがあるかもしれない』という気持ちが湧いてきたのです。当時ほど技術要素を入れられなくても、逆にその部分を表現にあててみようと考えました。―具体的にはどのような振り付けをアレンジされましたか?
鈴木 競技のときは、プログラムが始まるとすぐにジャンプを跳ばなければなりませんでしたが、今回は前半のジャンプだった部分で世界観を作るような演技を入れていきました。『スケートというギフトを受け取り、楽しさや喜びを知った』という部分を新たな振り付けとして入れています。そして『何かができるようになったときの嬉しさが、自分だけではなく、家族やコーチ、ゆくゆくはファンの人も加わり、小さな喜びが大きく育っていく』という場面を入れました。―とても伸びやかで、滑りから希望が伝わってくる演技でした。実際に9月15日の本番で滑り、感じたものはありましたか?
鈴木 実は、普段のアイスショーとは違い、通常照明での演技ですし1回だけの本番なので、とても緊張していました。不安な気持ちで出番を待っていた私に勇気を与えてくれたのが、和太鼓と書道部のパフォーマンスだったのです。力強い和太鼓の演奏を見て、そして書道の作品が出来上がりバッと画面に向けて立てた瞬間に、燃え上がるようなものがこみあげてきて、パワーをもらったのです。―全身全霊をかけた輪島和太鼓虎之介の演奏と、全身を使った能登高校書道部のパフォーマンスは、迫力がありました。
鈴木 本当だったら、私は『皆さんの何か力になれたら』と思って来ていたのに、まず自分が最初に受け取ってしまいました。そして『このもらった熱いパワーを、次は自分が伝えていけば良いんだ』と思ったら、『上手く滑れるかな』というような不安はすっと消えたのです。練習では『ここは柔らかく』『ここは力強く』などと意識して演じていたものが、本番は、ただ自分の感情溢れるままに滑ることができました。―無我の境地での演技だったのですね。
鈴木 選手時代はそういった夢中での演技は経験していますが、プロになってからは、初めてのことでした。やはりここ数年、筋力も落ちやすく、身体が心に追いつかないと色々と注意しながら演技することになります。気持ちよく滑れずに、がんじがらめになりやすいのです。今回は、8月末のアイスショー『フレンズオンアイス』が終わって2週間後だったので、身体の土台ができていたこと、そして選手時代に体に染み込ませるほど練習していた曲だったこと、そこに加えて最後のピースが、和太鼓と書道部の若くて熱い真っ直ぐな気持ちでした。私の心のダイレクトに響きました。『フレンズオンアイス2024』のプログラムを披露する鈴木さん
―チャリティー演技会という場で演技したことで、普段のアイスショーとは違う表現に繋がった部分はありましたか?
鈴木 実は今回『愛の讃歌』を演じて思い出したことがあるのです。ソチ五輪にシーズン、私は五輪代表争いや、現役最後というプレッシャーもあり、自分自身のために頑張るのがすごく苦しくなっていました。そのときに『これまで支えてくださった方々のために滑る』と考えたら、もう少し頑張ろうと思えて、力を出せたのです。今回それに近いものを感じて、『誰かのために』という気持ちで行動すると、人ってもしかしたら強くなれるのかもしれないなと感じました。―今の鈴木さんにしか演じられない『愛の讃歌』になったのですね。
鈴木 配信の中でのメッセージでも伝えたのですけれど、この『愛の讃歌』を滑っていた競技者時代、苦しかったときにたくさんの方が支えてくれました。私は引退してから、その与えてもらったギフトを、違う誰かに伝えたり、渡したりできたら良いなと思っています。引退後に講演活動しているのも同じ思いがあり、たくさんのものを与えてもらえたことを、自己満足で終わらせずに、この経験を誰かに伝えることで、そこから足を生やして歩いていってもらいたいのです。それが、今の自分の軸になっている部分です。今回はスケートという形で、ちょっとでも伝えることができていれば嬉しいです。―選手時代はご自身のスケート人生を振り返るプログラムでしたが、今回は『ギフトを伝えていく』という思いを込めた、新たな演技だったと思います。
鈴木 今回こういう機会を与えてもらえたことで、スケーターとしての私ができることを、ちょっとでも実現できたのかなと思います。今回のプログラムは『自分の進む道を見つめて、未来の光を見つめる』というテーマを込めて滑っています。少しでもあたたかい気持ち、前向きな気持が、見てくださる皆さんに伝わっていれば嬉しいです。このような素晴らしい機会に参加することができて、本当に嬉しいです。―改めてチャリティー演技会という形で演じてみて、感じるものはありましたか?
鈴木 あとで映像をみたら、皆がすごく良い表情して滑っていて、温かな演技会だったなと感じました。通常9月にはリンクは張っていないのですが、この演技会のために時期を早めてリンクを張ってくださったスタッフの方々、そしてライブ配信を支えてくださったテクニカルの方々、参加したスタッフ全員がやるべきことをやり抜いたからこそ、できた演技会でした。1時間という短い時間でしたが、ぎゅっと詰まったそれぞれの思いをお伝えできたと思います。―13日の時点で1万人以上が配信を購入していたとのこと。大きくニュースでも取り上げられました。
鈴木 寄付という行動だけではなく、地震から時間がたち忘れられてしまう被災地のことを、改めて現状を知る機会になったのではないかと思います。やはり、こうやって人の気持ちと行動を動かせるのは、羽生君の影響力ってすごいなと改めて感じました。その仲間として協力させてもらえたことが嬉しいです。(2024年9月、インタビュー)
※演技会のさらなる思い出、鈴木さんが振り付けした『ケセラセラ』の秘話は、
雑誌『ショパン』11月号に掲載されます。
ショパン11月号のご購入はこちらから
https://www.chopin.co.jp/media/chopin_backnumber
鈴木明子(Akiko Suzuki)
1985年3月28日生まれ。愛知県豊橋市出身。6歳のころスケートを始め、18歳のときに摂食障害を患い引退の危機に直面するも、周囲のサポートと共に摂食障害を乗り越えて競技に復活。
2010年バンクーバー五輪8位入賞
2011年GPファイナル銀メダル
2012年世界選手権銅メダル
2013年全日本選手権では悲願の優勝を果たしソチ五輪への切符を手に入れる。
2014年ソチ五輪8位入賞
同年3月、さいたま市で開催された世界選手権を最後に現役を引退。
現在は、アイスショー出演、解説や情報番組等のメディア出演他、国内・海外にて振付や講演活動を精力的に行っている。
文/野口美惠
元毎日新聞記者、スポーツライター。自らもフィギュアスケート経験をもち、国内の多くのスポーツ雑誌に寄稿。著書に『フィギュアスケート 美のテクニック』(新書館)など多数。