ショパン2024年4月号 新連載!フィギュアスケートと音楽~華麗なる舞台の裏側~

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高橋大輔(Daisuke Takahashi)
1986年3月16日、岡山県倉敷市生まれ。フィギュアスケーター。数々の「日本男子初」を冠せられる成績を残しながら新たな道を切り拓いてきた、まぎれもない先駆者。7歳でスケートを始める。徐々に頭角を現し、2002年、日本人男子として初めて世界ジュニア選手権で優勝を果たす。その後も日本のエースとして国内外の大会で活躍。
写真ⓒSunao Ohmori(SECESSION)


Vol.1 高橋大輔さん初プロデュースアイスショー『滑走屋』に迫る



 フィギュアスケーターの高橋大輔さんが、自身初のプロデュースとなるアイスショー『滑走屋』(2月10−12日、福岡)を開催。新たなエンターテインメントの魅力を開拓するまでのエピソード、感動の千秋楽までの日々を振り返っていただきました。
文/野口美惠
元毎日新聞記者、スポーツライター。自らもフィギュアスケート経験をもち、国内の多くのスポーツ雑誌に寄稿。著書に『フィギュアスケート 美のテクニック』(新書館)など多数。

―『滑走屋』の3日間9公演。初めてプロデューサーという立場でショーを完走しましたが、いかがでしょうか?

高橋大輔 まずは『間に合った!』という思いです。本番までの1〜2ヶ月間、『新しいものを作りたい』『絶対に面白いものにしたい』という思いで走ってきました。『氷艶』などのように、出されたものに対して自分がどれだけ良いパフォーマンスをするか、であれば自分との戦いです。でも今回はプロデューサー。大人数で、しかも初めてショーに出るスケーターもいる。僕や(振付の鈴木)ゆまさんが1ヶ月強の時間を要して準備したすごい物量のコネクションナンバーを、みんなが集まってから7日間という短期間でやらなければならず、本当にギリギリでした。

―現役選手も多いですし、長期間の練習は取れませんよね。むしろ濃縮された7日間が、みなさんの団結を生んだように感じます。

高橋 青春っぽくなりましたよね(笑)。集まる前に、予習のビデオは送っていましたが、その時点でみんな、大変なのは感じていて。さあみんなが現地に揃いましたというときに、僕がかなり張り詰めていて『本当にこれは間に合わない』とみんなが察する状態でした。なるべく冷静にいようとしたけど『余裕がないですよ』という雰囲気をみんなが読み取ってくれて(笑)。みんなの楽しみと不安と、成功させたい気持ち、モチベーション、士気の高さで、団結力が高まっていったと思います。

―7日間で一気に完成まで持っていったのですね。

高橋 準備してあった動きも、実際に本人が滑ると軌道が違ったり、思ったより時間がかかったりして、滑ってもらいながら変更していきました。本当に時間が足りませんでした。本来なら、本番前夜のゲネプロよりも前に通し稽古するはずが、間に合わなくて、メディアの皆さんに来ていただいたゲネプロが初の通し練習という状態でした。みんなのおかげで初日を迎えられましたが、プロデュース側としては、スケジュールを管理できていなかったという反省点でもあります。

―9公演を通して、自信をつけていった感じでしょうか?

高橋 本番というのはお金もいただいていることですし、自信を得るというよりは、もともと100%のモノを出さないといけない場。ショー慣れしているスケーターはピークを持って来る感覚は心得ていました。ショーが初めてのスケーターにとっては、公演を重ねる中で自信もついていったと思います。2日目、3日目になると自分からアドリブでアピールしたりする余裕も出てきて、変化がありましたよね。みんなの中に「次はもっと良く」という気持ちが、知らず知らずのうちに生まれているのは感じました。

―回を追うごとに、お客様のボルテージも上がっていったと思います。

高橋 何度も見てくださったお客様も多かったので、最初は様子見していたのが、お互いボルテージがあがっていった、という感覚でしたね。

―75分間、1日3公演を3日間。体力的な不安はありませんでしたか?

高橋 誰もやったことのないことだから、分からないものは分からない。だから体力のことは考えないようにしていました。『若いスケーターも多いし、行けるだろう』って。最年長は僕なので『僕が体力持てば、みんなも持つかな』と。

―映像での演出など、“滑走”以外のシーンもありませんでしたね。

高橋 映像は最初から頭になかったです。今回は、料金設定をギリギリまで落として、普段は観に来ていない方にも来ていただける料金を考えていました。そのためには、映像のようなお金がかかる演出は使わずに、スケートだけで見せていこうと思っていました。

―コネクションナンバーの振り付けは、劇団四季出身で舞台を手掛けている鈴木ゆまさん。どのように制作を進めていったのでしょう?

高橋 なぜ今回、スケート界ではなくフロア(の舞台)の方にしたのかといえば、フロアの人だからこそ見えるスケートの世界、新鮮さを大切にしたいと思ったからです。なので、ゆまさんのアイデアを、その良さを消さずに、時間をかけて丁寧に氷上に落とし込んでいきました。1回フロアでざっくり作ってから、アイスで検証してみて、またフロアで作り直したりして、お互いが寄り添いながら、譲らないところは譲らない、という感じですね。僕たちにとっては当たり前の動きでも、ゆまさんの目から見て『あえてアンバランスな感じが面白い』と言われて演出に取り入れたりしました。

―今回の舞台はフォーメーションが印象的で、大人数のスケーターが縦横無尽にリンクを滑っていく勢いに圧倒されました。

高橋 以前、ゆまさんの舞台を観たときに、沢山の人が入り乱れて『何、何?』みたいになるシーンがあって、それに感動しました。ゆまさんも『これを求めてるんだ』と感じてくださっていたので、今回のように滑りやフォーメーションを緻密に詰め込んでいくものになりました。ジャンプもスピンもほとんどないので、僕は最初『なさ過ぎるかな』とも思いました。でも練習していくうちに、ジャンプなどがなくても面白いかも、と。最終的に面白いものになり楽しんでいただけたのなら良かったです。ゆまさんはスケーターではないからこそ、最初から(ジャンプなしの演出の面白さが)見えていたのかな、と気付きました。

―今回はプロデュサーとしてショー全体の曲を決めたわけですが、いかがでしたか?

高橋 選曲はすごく重要なので、最初の1週間くらいは全然頭が回らなくて『どうしよう時間がないのに』と考えこんでいました。ただ、1つきっかけがあると、どんどん曲が思いついて、選曲がすごく楽しくなりました。滑走屋は、はっきりとしたコンセプトを決めていなかったので、選曲のきっかけが難しかったなとは思います。
 もともとダークな感じの曲が好きなので、現役時代の試合のプログラムは自分では決めないようにしていました。だから自分で選曲に関わった『アイスエクスプロージョン』でも垣間見えたと思いますが、今回も明るい方向にはなりませんでしたね(笑)。

―『ラブ・オン・ザ・フロア』の大人びた世界観もにじみ出ていた印象です。

高橋 自分自身、あの経験には影響はされていると思います。愛をテーマにいろいろな人の楽曲で繋いでいく舞台でしたが、当時から『こういったモノをスケートでもできるはず』とは思っていました。また『氷艶』もそうですが、通常のアイスショーとは違うエンターテインメントのかたちに触れたことで、こういう見せ方も面白いなという発見がありました。新しいアイスショーを見てみたい、やってみたいという思いは強くなっていました。

―『氷艶』の経験も生かされたのですね。

高橋 たとえば、フロアでリハーサルをするということは、氷艶の経験が生かされました。アイスショーしか経験していなかったら、みんなで練習するのにまずアイス(リンクの予約)を取ろうとします。でも、この人数で舞台を通すには、アイスの練習時間だけでは絶対に足りない。カウントを取って合わせる練習や立ち位置の確認は、フロアでもやりました。フロアと氷上の両方で稽古していくというのは『氷艶』で身についた経験です。

―今回は高橋さんがプロデューサー、ゆまさんが振り付けですが、実際には皆さんの協力を得ながらチームで作り上げていった印象ですね。周りの力を上手に生かしていくのは、高橋さんらしい舞台づくりだと感じました。

高橋 まだ僕ひとりで100%演出するのはできないですからね。お互いがアイデアを出し合ってるからこそ、良いものが生まれるときもあります。実際に今回の振り付けは、ゆまさん、僕、哉中ちゃんのアイデアもありますし、逆にゆまさんは振り付けだけでなく演出もしてくださっています。誰がどのポジションであれ、作ったものが良ければ良い。そう感じました。

―1つの舞台を創り終えて、高橋さん自身がインプットした部分はありますか?

高橋 色々なことが勉強になりました。特に照明は、普段は自分が出る側で全然見えていないので、知らないことだらけ。ゆまさんから勉強させていただきました。『シルエットのカッコよさで見せたい』と考えて、この曲はシルエットが浮かび上がれば(はっきり顔が見えなくても)いいな、というナンバーなどもあります。

―衣装を黒で統一したのも、クールさが際立つ演出でした。

高橋 今回は滑る職人、みたいなイメージなので、シンプルにスケートを見せるためにも色を付けませんでした。みんなの衣装は1つ1つチェックしました。実際に着てもらうと『あれ、イメージと違うかな』となって何回も着替えてもらいましたし、人によって似合う服が全然違うのも面白かったですね。ウエストは締まっているものという部分は統一しました。
 メインスケーターも、コネクションナンバーを踊るときはコートを着て、全員が混じるように統一感を出しました。最初は、メインスケーターはコートの裏地に色を入れて分かりやすくしようという案もありましたが、止めました。混ざって滑ると誰が誰だか分からなくなりますが、むしろメインスケーターを目立たせる演出にはしませんでした。

―それは、全員が主役というコンセプトがあって、混ざるようにしたのでしょうか?

高橋 最初は、全員が主役というテーマはそこまで明確ではなく、単にメインとアンサンブルと呼び名を分けておかないとフォーメーションを組んで練習するのが難しかったので、分けていました。でも衣装が混ざることで全員が主役になって、アンサンブルのスケーターも責任感を持って滑るという空気になっていたと思います。

―アンサンブルスケーター16名の成長を実感しましたか?

高橋 次の試合や演技を観ないと分かりませんが、それぞれの成長はありましたね。ペアのパートも多く、お芝居の要素などもあったのですが、ペアの演目では、メンズスケーターたちが最初は無反応だったのが、『2人の間のことだからちゃんと目を合わせて』と練習していくうちに、目を合わせて絡むようになっていきました。(奥野)友莉菜 ちゃんは16歳にして色っぽい演技をさせられて大変だったと思います。

―大好評だった『滑走屋』。新たなエンターテインメントを見た感動でいっぱいです。

高橋 みんなのスケジュール次第ですが、またやりたいですよね。それにショーの進化はすごいので、エンターテインメントに関わるものは今後もなんでもチャレンジしてみたいと思っています。次は『氷艶』(6月8−11日、横浜)があり、久しぶりにお芝居もやります。宮本亞門さんの演出で、前回の氷艶では(お芝居)初心者ということで許されていたと思いますが、今回は自分へのプレッシャーをかけて、頑張っていきたいと思います。


※『滑走屋』の全曲リストや、詳細なエピソードは『ショパン4月号』で語っています。
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