佐藤しのぶインタビュー 明日への希望――歌は生きる力

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明日のへの希望――歌は生きる力
佐藤しのぶ(ソプラノ)インタビュー

世界のプリマドンナとして、オペラ界の第一線を走り続ける佐藤しのぶさん。
デビュー30周年を迎えた今だからこそ語れる“歌の力”についてうかがった。
(こちらの記事はうたの雑誌「ハンナ」2015年1月号掲載記事です)

芸術は何のためにあるのか――ベラルーシでの衝撃的な出合い

 とても深い質問ですが、このことを改めて考えさせられたきっかけがありました。
 私にとって歌うことの意味、芸術の存在意義をそれまでの自分の価値観だけでなく、新たに実感させられたのは1997年夏、ベラルーシのサナトリウムを訪問した時のことです。チェルノブイリ原発事故から11年経った当時も、事故の後遺症に苦しむ多くの子どもたちがサナトリウムで療養していました。ある日、その子どもたちのために、サナトリウムで歌声をきかせていただけないか、という一通の手紙が私の元に届き、周りの反対を押し切り現地へ向かいました。
 子供たちは皆、甲状腺摘出手術の傷跡、そして、幼いながら必死に自己の運命を受け入れ、命と向き合って生きていました。子どもたちのために何ができるのか。歌うことしかできない私に……。ここにふさわしいのは歌い手の私ではなく、もっと多くの薬であり医師であろう、と私が思わずサナトリウムの所長さんに問いかけた時、彼は静かに「人は医者や薬だけでは生きてゆけない。医療と同じくらい、もしくはそれ以上に、人には生きる希望や夢が必要。だからこそ芸術が存在し、人間には芸術が必要なのです」ときっぱり答えられました。演奏を終え、子どもたちの涙と笑顔に囲まれた私は両手で彼らを抱きしめ、彼らの心の糧となる歌が歌えるような歌手になりたいと強く考えはじめました。
 私は“歌うということ”そして、“人はパンのみにて生くる者に非ず”という言葉について改めて深く考え、目に見えなくても、音楽は確かに偉大な力を人間に与えてくれる、演奏は個人の喜びや価値観とは別に重大な責任と使命をも担っている部分があると学びました。

食わず嫌いをしない、壁をつくらない

 私は幼い頃から音楽以外にはほとんど興味がありませんでした。しかし、いまは 音楽家以外のさまざまな職種の方と出会う機会があります。音楽以外のフィールドで活躍する方とのご縁もまた、大切にしたいと思っています。もちろん宇宙工学や地質学等のお話を聞いて全てを理解できるわけではありませんが、そこから学ぶこともたくさんあります。たとえ分野が違っても、何かを追い求めている方には深い敬意と共感をもちます。自分が大切にしているものがあるように、相手にも大切にしているものがある。その違いを認め合い尊重することができたら、きっと世界はもっと平和で、優しいものになるでしょう。
 今はネット社会になり、溢れる情報の中から自分の興味のあるものだけをピックアップしてアクセスできるようになりました。一見、世界中の人とつながっているように思えますが、興味のある人間同士のコミュニティに留まり、偏狭な物の見方になってしまう恐れはないでしょうか。自分に対して理性的で客観的な目をもち、より豊かな教養を得るために、自らに壁を作らず生きたいと思います。人間は字の通り、“人の間”において成長するもので、教養は人の思いやりに繋がると信じているからです。

音楽でつながるよろこび

 オーケストラは、全員が異なる楽器を奏でながらひとつの楽譜に向かってハーモニーを作ることで、すばらしい音楽ができあがります。コーラスもそうです。一人ひとりが唯一無比の大切な声をもっています。それが単一だったら、なんとつまらないことでしょう。いじめの問題の根底には、自分と違う人間を排除しようとする意識がありますが、実は“違い”こそすばらしく、優劣ではなく個性であり、かけがえのないものなのです。
 私も若い頃は「どうしてヨーロッパに生まれなかったのか」と思っていた時期がありました。声も、体格も、彫りが深い顔立ちも憧れでした。もしもヨーロッパの言語が母国語だったら、もっと速く自由に異文化を理解でき、どんなにすてきだったかと、オペラ歌手を志す日本人として東洋人として生まれたことにハンディキャップを感じました。しかし、オペラを心の底から愛して探求し、自己の研鑽を積んでいれば必ず認めてくださる方がいます。また、異文化に生まれたからこそ、そのすばらしさをより深く探求することもできるかもしれません。そおの熱い不屈の想いがお客様にも通じ、作り手と会場がひとつになった瞬間には、命が歓喜するような深い感動と生きがいを感じます。ドイツ語ではMusizieren(音楽をする)という、仕事をするでも勉強するでもなく、音楽で人と交流するという言葉があります。それは人種や言語、宗教や性別、年齢を超え、深く精神がつながりあえる時間であり、私にとってかけがえがない喜びです。芸術というのは時間や空間、個人差を飛び越えて普遍的に人間に深い喜びや感動、そして勇気や安らぎを与えてくれるものだと思います。

強い思いが、道をつくる

 私は物心ついた頃からすでに音楽から離れられななっていたので、自分と音楽は意識する前から結びついていたような気がします。数多の楽器の中で、声楽家の道を歩むことになったことは、とても不思議な導きによる出来事だと感じています。人生は不思議なことの連続。何かを強く願い、無心に努力していると天からご褒美が与えられるような幸運に恵まれると感じます。
 例えば昨日までできなかったことができるようになったり、運命的な出会いがあったり。そのことを強く、真っ直ぐに求めていると、道はいつか開かれるのではないかと思います。ですから、私自身は自分の力で生きているというよりも、多くの力に“生かされている”と感じます。私はこうして今日も生きて歌えることへの感謝でいっぱいです。

東日本大震災への思い、音楽のもつ力

 東日本大震災以降、日本人誰もが生命や生き方、仕事や家族に真剣に対峙しましたが、未だ20万人以上の方々が避難生活を送っていることを忘れることはできません。私も微力ですが、復興支援コンサートに毎年参加しています。
 また、私のCDやエッセイの収益は、15年以上世界の恵まれない子供たちの現地の井戸や学校教室の設立、医療等に役立てられ、また現在は東日本大震災の義援金として寄付を行っています。
 私たちは、いつも震災を忘れずに、助け合いを「持続」してゆくことが大切ではないでしょうか。ひとりの小さな善意も皆で力を合わせれば必ず大きな力となります。
 目に見えるものばかりが信頼され、数字で全ての物事を解決しようとする時代においても、音楽が人に与える影響は、想像以上に大きいのです。以前、末期癌の方が私のCDを聴いて「いつも抗癌剤治療がとても苦しいけれど、しのぶさんのCDを聴いていると苦しくないの」と言ってくださったことがありました。私は、ただ一生懸命歌うことしかできませんが、力を与えられるとしたら、それは音楽の力だと思います。これからも歌い手として、心身ともに健全で、感謝と共に、真摯に精進したいと思っています。
(うたの雑誌「ハンナ」2015年1月号より)

この記事を掲載のハンナ2015年1月号はこちら
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