楽器の事典ヴァイオリン 2章 オールド・ヴァイオリンの名器 42 彼の楽器 

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彼の楽器

 ピエトロは、クレモナで働いていた時代は、アマティのグランド・パターンのヴァイオリンを作っていたが、そのラベルは父親や弟の名前となっていた。父のアンドレアは、依怙贔屓をする人物で、弟ばかりを可愛がったのである。
 マントゥーアに移った後の彼は、ヴァイオリンも熱心に演奏したが、メーカーとしても並々ならぬ努力を重ねた。演奏の名手が作ったヴァイオリンであったため、抜群の優れた楽器ができたわけである。マントゥーアでは、当時絶大な人気があったヤコブースタイナーのヴァイオリンを弾いたはずであるが、彼は、その優れた点だけを学び取り、アマティのグランド・パターンの楽器を作り続け、忽ちその名声が高まった。
 彼の死亡の年は、さきに触れたように確定できないが、死後に残された楽器は15本の完成したヴァイオリン、その他の楽器および弓であったと伝えられている。彼には6人の子供がいたが、誰も跡を継がなかった。
 彼の技術を受け継いだメーカーとしては、カミロ・カミリ(1704〜1754)が挙げられる。この有名なメーカーは、以前はストラディヴァリの弟子であったと伝えられてきたが、新しい研究では、マントゥーアで生まれ、ピエトロに学び、その技術を受け継いだと云われている。
 その他の著名なメーカーとしては、トマソ・バレステリエリ(1740〜1790)がいる。彼は、マントウーアで生まれたと思われ、ストラディヴァアリとピエトロの双方の技術を受け継いだ名器を残している。


楽器の事典ヴァイオリン 1995年12月20日発行 無断転載禁止



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