楽器の事典ヴァイオリン 2章 オールド・ヴァイオリンの名器 41 マントゥーアに移り住む 

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[画像]マントヴァ

彼の作った楽器

 ピエトロは、1680年頃まではクレモナで仕事をしていたが、その後、マントゥーアに移り住んでいる。
 その理由は、彼は芸術的に優れた個性の持主で、クレモナの小さな町の閉鎖的な雰囲気やゴシップ、ジェラシーなどを嫌ったものと推測される。あるいは家族との折合いが悪かったとも思える。彼は、ヴァイオリンの製作者であると同時に巧みな演奏者でもあったのであるから、当時のイタリアで最も重要な音楽の中心地であったマントゥーアに、自由の天地を求めて、逃げ出したのであろう。
 現在のマットヴァ ー当時はマントゥーアとよばれ、現在はマントヴァとよばれている― は、ヴァイオリンは少々作られているが、古い町で、風光明媚な点以外に特徴のないものであるが、その頃は、詩と音楽を学ぶためのアカデミーがあり、1590年にはモンテヴェルディが、クレモナからマントゥーアに移り、ゴンザガ大公の宮廷オーケストラでヴィオラを弾いていたという史実が残されている。ゴンザガ大公は、音楽、特にオペラを愛し、そのために多大の金銭を費やしたと伝えられている。
 ピエトロは、この地で、ヴァイオリンを演奏すると同時に楽器を作ったのである。


楽器の事典ヴァイオリン 1995年12月20日発行 無断転載禁止



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