楽器の事典ヴァイオリン 2章 オールド・ヴァイオリンの名器 16 ニコロ・アマティとストラディヴァリ

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ニコロ・アマティとストラディヴァリ

 苦心惨憺して調査した結果、ロンドンのヒル商会が初期のストラディヴァリのヴァイオリンを発見した。そのラベルは次のように読める。
“ANTONIUS STRADIVARIUS CALUMNUS NICOLAIAMATI, FACIEBATANNO 1666.”

その翌年の別のストラディヴァリウスのラベルには、次のように、彼の教師二コロの名前がなかった

“ANTONIUS STRADIVARIUS CALUMNUS FACIEBATANNO 1667.”

ストラディヴァリはおそらく1656年頃、彼が14才かあるいはそれ以前に、二コロ・アマティの工房で徒弟になったと思われる。
 当時の少年たちは極めて年少の頃から徒弟の仕事を始めた。そのため、1660年までに、ストラディヴァリは自分でヴァイオリンを作り、自分自身のラペルをはることができたとも推察される。しかし、現存するヴァイオリンの中からは発見されていない。
 殆どの専門家は、若いストラディヴァリが自分自身のヴァイオリンを作って売り始めた後でも、二コロ・アマティの工房に残っていたと信じている。1666年がアントニオの一般に信じられているヴァイオリンの最初の日付けである。
 この年、二コロは70才の老齢であった。おそらく彼の徒弟たちに彼のヴァイオリン製作の手伝いを許可したのであろう。「何年にもわたる注意深い観察の結果、我々は二コロ・アマティの後年、即ち1665年から1670年以降の作品のうち、彼の手になるものは殆どないことを確認した。」とヒル商会は書いている。
 晩年の二コロ・アマテイのヴァイオリンの製作に当たって、誰が協力したかを正確に判別することは極めて困難であるが、専門家は、一部の楽器にはアンドレア・ガルネリの、あるいはジョヴァンニ・バティスタ・ロジェリの、あるいはまたフランチェスコ・ルジェリの手が加えられていると信じている。


楽器の事典ヴァイオリン 1995年12月20日発行 無断転載禁止



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