
マス・プロの楽器
その反対に、大量生産の工業化されたヴァイオリンのメーカーたちは、その製品の安価さのために、驚くほどの繁栄を続けていた。フランスのミルクールの製作者たちは、世界の市場を征服するほどの栄華を誇っていた。つまり、ヴァイオリンの製造家たちは、その品質はともかくとして、企業化することに成功したのである。しかし、第一次世界大戦はヴァイオリンの大量生産の状況を大きく変えた。
ミルクールは、不幸にも、戦争の惨禍を受け、苦悩の後に、ほそぽそと復興はしたものの、ドイツのマルクノイキルヘンやミッテッヴァルトとは到底対抗できないほど荒廃してしまったのである。
(注)、ミルクールはフランスの西の端のナンシイの近くにある小さい町である。近くにはドイツとの国境の町であるローマ時代からの古都であるストラスブルグがある。
昔からフランスとドイツは仲が悪く、このストラスブルグなどは、1661年にはフランス領、1870年にはドイツ領、現在はフランス領
とめまぐるしく変っている。
戦場となっだのではヴァイオリンや弓をつくるどころではなかったであろう。
第一次欧州大戦によってヨーロッパ各地のヴァイオリンエ場が疲弊したことにより漁夫の利を得だのはわが国の名古屋の鈴木バイオリンである。
1930年に現在の会社組織となっているが、正確な記録ではないが、その当時、従業員は1000名以上、ヴァイオリンの生産数は1ヵ月約
25000本で、その殆どがアメリカへ輸出されたと伝えられている。
つまり、現在でも月産3000本程度も製作しているが当時から既に世界最大のヴァイオリン製造工場となっていたのである。
20世紀の半ば頃においては、工業化と商業化の傾向が急激に発達し、ドイツのヴァイオリン製造の過程は見事に成熟し、世界の各地に、輸入商、問屋および小売商の形態が確立した。
さらに第一次世界大戦後はポピュラー音楽が普及し、音楽産業は急成長し、1930年代の世界的な経済不況も、幸いに、この国際的ビジネスには殆ど影響を与えなかった。
楽器の事典ヴァイオリン 1995年12月20日発行 無断転載禁止
▶︎▶︎▶︎第1章 41 第二次世界大戦
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