
イギリス
19世紀のイギリスでは、標準的なスタイナー・アマティ型の楽器が作り続けられ、その品質はある程度優れていたが、いずれもバロック・ヴァイオリンであった。しかし、フランス革命のために、フランスから技術者たちがイギリスに逃げ込んだために、その製作技術の形態は急速に変化していった。
これらの技術者のなかにはパノルモ、B・フェントなどがいた。フェントは、元来ドイツ生まれであるが、17歳でパリに出てヴァイオリンの製作技術を学び、1789年にロンドンを訪ね、トーマス・ドッドと共に働き、さらに1800年まではジョン・ペッツのために仕事をしていた。
その頃、ペッツはロンドンの随一のヴァイオリン商で、最高の技術者を集め、優れた楽器を作り出すと共に、イタリアのヴァイオリンを最も数多く輸入していた。
彼の店では、1790年代に作られた楽器はイギリス流のスタイナー・アマティ型のものであったが、1800年頃にはストラディヴァリ型のヴァイオリンが作られ始めていた。
ドットも、1798年に設立された、ロンドンの重要なヴァイオリン商で、その優れた従業員たちは素晴らしい楽器を残している。
その代表的な技術者のなかにはフェントおよび彼のドイツ人の友人であったロットなどがいて、優れたストラディヴァリ型のヴァイオリンを作り出していた。
19世紀初頭のイギリスのヴァイオリン製作の状態は、全くの過渡期といえるもので、古い伝統的なメーカーも生き残っていたが、その反面、外国の影響が根づき、次第にその重要さを増していた。つまり、フランス革命以降の新しい奏者や楽器が流れ込み始め、イギリスのメーカーの製作に対する意識を変えていったのである。
しかし、当時の大部分の製作者はバロック・ヴァイオリンを作っていた。一方、有名なパノルモ、フェントおよびロットなどのメーカーたちが、プロの奏者あるいは進歩的な顧客のために、モダン・ヴァイオリンを製作していたことは間違いない事実であろう。
1820年代のイギリスでは、伝統的なスタイルの楽器は極めて少なくなっていた。わずかにフォルスター、ギルケスおよびハーディその他がいたぐらいである。
パノルモ・ファミリー、フェント・ファミリーおよびロット・ファミリーなどのメーカーたちは、イギリスのヴァイオリンの品質を当時のパリのメーカーのものに比較できる水準までに引き上げた。事実、彼等はパリやミルクールのメーカーだちと常に交流し、イギリスのヴァイオリン市場を、パリの製品と同様に、近代的なものとし、同時に世界的なレべルに到達させたのである。
その頃、バロック・ヴァイオリンはわずかに生き残っていたが、新しくて近代的な、いわゆるモダン・ヴァイオリンの製作が確立されたといえる。
フェント・ファミリーやロット・ファミリーのヴァイオリンは、現在でも、素晴らしい楽器として評価されている。
楽器の事典ヴァイオリン 1995年12月20日発行 無断転載禁止
▶︎▶︎▶︎第1章 28 時代による各国のヴァイオリン形式の変化
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