
19世紀の初めの各国のヴァイオリンは次のような状況であった。
イタリア
19世紀初頭のイタリアのヴァイオリン・メーカーたちは、その1世紀前の偉大な先覚者だちと較べた場合、劣るものが多く、わずかにガダニーニとプレッセッダの楽器だけが、黄金期のクレモナの名器に対抗し得るものであった。
その理由は、優れた楽器がなかったわけではなくて、作った数が少なかったのである。
つまり、その頃のイタリアには、古い名器があり過ぎて、新しい優れた楽器に対する需要が少なかったと伝えられている。なお、諸外国へ輸出する諸条件が整っていなかったとも解説されている。
しかし、理由はともかくとして、イタリアのヴァイオリンの生産が衰退し始めたのは事実で、一方、フランスのパリのメーカーたちは、この頃、さきに述べた通り、偉大なイノベーション、つまりモダン・ヴァイオリンの開発を始めていたのである。
当時のメーカーが作っていたヴァイオリンの型式は、ごく一部を除いて、胴がフラットかあるいは少し膨みのある楽器であった。主として二コロ・アマテイの後期のヴァイオリンをコピーしたものか、あるいは、音響理論的に考えて、アマティとストラディヴァリウスを混ぜたような型式のものであった。
なお、その形態はすべてバロック・ヴァイオリンであった。
丁度、その頃、マンテガッツァ兄弟が、コジオ・デ・サラブエ伯爵の依頼で、試験的にフランスの「パリジャン」(パリ風の意味)方式のモダン・ヴァイオリンを試作したことがあったが、結果が思わしくなく、立ち消えとなってしまった。
(注)、マンテガッツァ・ピエトロ・ジョヴァンニ (1757〜1800)およびドメニコの兄弟、兄はランドルフィの弟子で、共にミラノでヴァイオリンの製作と修理をしていた。
1820年代の製作のレベルは19世紀初頭と同じようなものであっ
た。極めて優れたメーカーとしてはガダニーニ、プレッセンダおよびサンタジュリアーナその他を挙げることができるが、彼等の作品は古い時代の素晴らしい伝統を引き継ぐ代表的なものであった。しかし、1770年代に凋落した状態は依然として続いていた。
この時代は、イタリアのヴァイオリン製作者にとっては好ましいものではなく、17世紀や18世紀の優れたオールド・ヴァイオリンがあまり高価でない値段で入手できたし、パリがヴァイオリン市場の支配権を握っていたのである。
パリでは、ヴァイオリンーメーカーおよびヴァイオリン商が隆盛を極めていたが、その反対に、イタリアでは、古いヴァイオリンの修理や調整の仕事があるくらいで、新しい楽器の需要と生産は少なかった。
その頃、二コローアマテイ型の楽器は依然として人気を保っていたが、ストラディヴァリ型のフラットなヴァイオリンの製作も次第に多くなっていた。しかし、いずれもバロック型式の楽器であった。
楽器の事典ヴァイオリン 1995年12月20日発行 無断転載禁止
▶︎▶︎▶︎第1章 25 ドイツ
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