楽器の事典ヴァイオリン 第1章 ヴァイオリンの誕生とその時代による変遷 23 当時のヨーロッパ各国のヴァイオリン

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[画像]弦楽器製作のアトリエ 18世紀のフランスの版画

当時のヨーロッパ各国のヴァイオリン

 このヴァイオリンの歴史の上での大変革期、つまり18世紀末から19世紀の初頭にかけてのイタリア、ドイツ語圏の国々、フランスおよびイギリスのヴァイオリンの製作も重視すべきである。
 以下それぞれを探究してみよう。
     
イタリア
 18世紀のイタリアのメーカーたちはすべてバロック・ヴァイオリンだけを作り続けていた。
 その品質の水準は平均して優れたものではあったが、クレモナの二コロ・アマテイおよびその弟子たちの優れた楽器と較べた場合、明らかに劣ったものであった。特にその塗装は、クレモナのニスの秘法が失われて以来、独特な美しさが消え失せてしまった。 
 この頃の最高のヴァイオリンにストリオーニがある。しかし、彼の楽  器は、しばしば、クレモナの黄金時代の伝統の退化だと酷評されている。
 しかし、現在のヴァイオリン奏者にとっては、パノルモは例外として、当時のイタリアのヴァイオリンの中では、彼の作品が最も優れたものとして信じられている。
 この時期のイタリアのメーカーの大部分は胴がフラットな楽器を作っていた。そのため、これらが、後に、改良されて、近代的な形式のヴァイオリンとなり、19世紀から現在に至るまで、好評を受けたのである。
     
ドイツ
 当時のドイツ(その国土は現在のものより広大なものであった。そのため、今でもドイツ語圏という言葉が残されている)のヴァイオリン・メーカーたちは、ごく一部の例外を除いて、胴の膨んだ比較的安価な楽器を作り続けていた。すべてバロック・ヴァイオリン型式のもので、実際にはアマティやスタイナー型のものが多く、なかには、胴の膨みを強調して漫画化したような奇妙なヴァイオリンも混っていた。
 なかにはクロッツ・ファミリーのように優れた作品を作り出したメーカーもいたが、当時の最も優れた楽器としてはレオポルド・ヴィドハルムの作ったヴァイオリンがある。これはスタイナー型のもので、当時のイタリアのメーカーたちの楽器に匹敵する唯一のものであった。
 1世紀も前のスタイナーの飛び抜けた優秀さに深い影響を受けたため、ドイツのヴァイオリンはどうしてもその範囲から抜け出て新しい型式の楽器を作り得なかったのである。

フランス
 18世紀の終りのフランスのヴァイオリンーメーカーたちも、スタイナーやアマティの影響を受けていたが、その反面、当時のフランスで人気を博していた名工であったルイ・ガルサン(1713~1781)の作ったヴァイオリンを真似るメーカーも数多かった。 
 ガルサンは、有名で裕福なヴァイオリン・メーカーで、当時のフランスで最も優れた技術を持っていたと伝えられている。彼は、アマティ・スタイナー・モデルを基にして、彼の独特の胴の盛り上りの中程度の楽器を創り出した。ドイツの楽器のように極端な盛り上りのヴァイオリンをさけ、イタリアとドイツの中間くらいの型式のものを作り出したために、その人気が高まり、彼の流儀はアマチュアあるいはパリ以外の地方のメーカーにも伝わっていった。
 その塗装はアルコール・フィニッシュであった。
 当時のパリのメーカーと地方のメーカーでは品質に格段の差があった。
 しかし、生産量の点では、ドイツとの国境に近いミルクールが優っており、その後、19世紀に至って楽器の大量生産地として栄えたのである。
 しかし、1770年代に作られた楽器はすべてバロック・ヴァイオリン方式であった。
 
 その頃、ビンチェンツォ・パノルモとよばれる、いずれの国に属するかが判然としない、ずば抜けて技術の優れたメーカーがいた。
 彼は、1737年にイタリアのシシリー島で生まれ、独学でヴァイオリンの製作技術を学び取り、1753年にパリに来て、1772年に口ンドンに行き、翌年の1773年にパリに戻り、1789年の革命をさけて再びイギリスに行って、その後、アイルランドに1、2年住み、さらに再びロンドンに舞い戻り、1813年にロンドンで生涯を終ったという、当時としては、誠にめまぐるしいヴァイオリン・メーカーであった。
 彼は、80年にも及ぶその長い生涯のうちの全盛期の約40年をパリで過していたのであるから、フランスのヴァイオリン・メーカーといえるであろう。 
 彼の楽器は、ストラディヴァリ型のヴァイオリンで、当時としてもフランスの最も優れたものであり、フランスのヴァイオリン製作史上でも頂点に立つ傑作であった。
 記録としては全く残されていないが、彼は、間違いなく、当時のフランスの著名なヴァイオリン奏者であったヴィオッティと交流があったと思われる。
 (注)、ヴィオッティ ー当時の最も優れたヴァイオリン奏者でありまた作曲家でもあった。ヴァイオリン・ソナタ、二重奏、トリオおよびクァルテットなども残しているが、最も重要な作品は29編のヴァイオリン・コンチェルトである。
 
 彼は当時のヴァイオリン奏者に驚くほどの影響を与えると共に、モーツァルト、ベートーヴェンおよびシュポアーにも、ヴァイオリンについての貢献を果し、さらに、ピエール・ロード、ロドルフ・クロイツェルおよびピエール・ベローなどの著名なヴァイオリン奏者を育て上げた。
 ヴィオッテイはストラディヴァリの楽器をパリに導入した最初のヴァイオリン奏者であると一般に信じられている。
 パノルモも、その頃、パリでヴァイオリンを製作しており、パリでの最初のストラディヴァリウスのコピーを作り上げた。
 このヴィオッティとパノルモが、互いに同じ意見で、フランスにストラディヴァリ型の楽器の導入をおし進めたかどうかは、残念ながら判然としない。
 パノルモは常に最優秀な品質のヴァイオリンを作り続けたが、その遺した楽器には胴のアーチが高いものと低いものとさまざまに入り乱れている。
     
イギリス
 1770年代のイギリスのメーカーたちは、アマティ・スタイナー型のバロックーヴァイオリンだけを作り続けていた。
 この頃まではイギリス独特の楽器があったが、他国のメーカーたちが流れ込んだり住みついたりして、その独創性は失われたと伝えられる。
 
 結論として、1770年代までには、イタリア、ドイツ、フランスおよびイギリスのヴァイオリン製作者たちは、いずれも、バロック・ヴァイオリンだけを作っていたのである。


楽器の事典ヴァイオリン 1995年12月20日発行 無断転載禁止


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