オーフロイデ! ベートーヴェン交響曲第九番〜歓喜の歌の発音とうたいかた〜 実践編 曲の理解を深めるための解説 小松雄一郎指導 本文編集部

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 曲の理解を深めるための解説
小松雄一郎指導 本文編集部

⫷オーケストラ、独唱、合唱、すべてが主役⫸     

 

 “歓喜の歌”の新しさ、それは単にオーケストラに合唱が加わったことだけではありません。合唱が加わるオーケストラ曲は、ベートヴェン以前にもたくさんありました。たとえばカンタータ、オラトリオ、オペラなど。これらは物語の筋があり、歌とオーケストラの役割がはっきり分かれています。
 それに対して“歓喜の歌”は、独唱や合唱が交響曲のひとつの声部として組み入れられている点、そこに新しさがあるのです。合唱団の皆さんは、ピアノ伴奏にあわせて練習しますので、つい声楽が主役でオーケストラは伴奏であると錯覚してしまいます。しかし実際は、オーケストラも独唱も合唱もすべてが主役なのです。ですから合唱部分だけでなく、他の主役の役割も考え、合唱との関わりを検討することが必要になってきます。
 あなたはたくさんの主役の中のひとり。自分が直面する問題はつかんでも、全体像はなかなか見えません。ここでは、「木を見て森を見ず」にならないよう、“歓喜の歌”の航空写真、詳しい地図をお見せするつもりです。全体の中での自分の役目と、そしてどこに向かって進んでいるのかをしっかり理解していただきたいと思います。それによって、曲を十分に自分のものにし、演奏が一段と内容の深いものになることを願っています。


⫷“歓喜の歌”は新しい試み⫸ 


 “歓喜の歌”の新しさはまだまだあります。ベートーヴェンは、第五交響曲以来使っていなかったコントラファゴットやバストロンボーン、大太鼓を《第九》で用いました。
 また、8小節から出てくるチェロとコントラバスのメロディーには、「叙唱風に」(レシタティーフ)という注釈がついています。これは普通、声楽曲に用いる用語です。それを器楽に用いたのは、《第九》が最初ではありませんが、それにしてもたいへん珍しいことです。
 どうしてベートーヴェンは、それまでの作曲家がやらなかった新しい試みを、《第九》の中にいくつも取り入れたのでしょうか。これはつまり、今までのやり方ではベートーヴェンの求めるものが表現できなかったからにほかなりません。《第九》は、従来の形式ではあらわせない新しい世界です。器楽だけでは訴えきれなくて、どうしてもシラーの「歓喜に寄す」の理念を取り入れなければ追求できなかった世界なのです。
 新しい世界とはどんなものでしょう? それをつかむには、まず“歓喜の歌”の全体像に目を向けなくてはなりません。これが、この解説の第二の目的です。


⫷ベートーヴェンは何を言おうとしたのか? 自分でさぐってみよう⫸ 


 ベートーヴェンの新しい世界、それは簡単に語れるものではありません。私は《第九》を聴くときいつも、「ベートーヴェンはこの曲で何を訴えているのだろうか」と考えます。すると不思議なことに、何度歌っても、どれだけ聴いても、そのたびに響きの中から新しい発見があります。それほどに奥深い世界なのです。
 その発見はだれでも同じというわけではありません。皆さんそれぞれの発見をしていただきたいと思います。しかし、合唱の部分だけを取り出して聴いたり、技術にだけこだわって練習していたのではなにも発見できません。「音楽を自分のものにしよう!」という気持ちで《第九》と向きあってください。
 曲だけではまだ不十分です。シラーの「歓喜に寄す」をじっくり読みこんでください。ベートーヴェンは、シラーの詩をそのままでは用いていません。ベートーヴェン自身の考えで自由に編成し直し、気にいらないところは捨てています。ですから、ベートーヴェンがどこを削除したかを知ると、ベートーヴェンの意図が浮かび上がってきます。ですから、歌詞の内容も一句一句考えて、味わって歌ってください。歌詞の一句ごとにすべて意味があります。しかも一語ごとにその歌詞の意味にふさわしいメロディーがつけられていますから、曲想から歌詞のもつ意味を明らかにしてもいるのです。
 それでもなお、訳詩では不十分です。たとえば、いちばん核になるFreudeということば、これを「歓喜」と訳してしまうと、ベートーヴェンがこの言葉とそれにつけた音楽にこめた深い歴史的な意味が伝わってきません。とはいってもこれは難しい問題です。私たちにとってドイツ語は母国語ではありませんし、ベートーヴェンの時代にタイムマシンで行くこともできません。それでも、《第九》の音楽と詩の全体を読み込む中から、しだいに「歓喜」の意味が解き明かされてくるはずです。そして同時に、現代の私たちにとって、その「歓喜」がどんなことであるかを追求するのも重要なのです。
 たとえば合唱の最初、バリトン独唱に呼応して合唱のバスがFreudeと出るところ。本当のFreudeの意味がわかっていたら、こんな空虚で口さきだけにきこえるはずはないな、と思える合唱に出くわすことがあります。これは、じっと出番を待っていて声を出していないせいだけではないと思います。つまり、曲についての理解を深めることは、すぐに演奏に結びつくのだ、ということをよく覚えておいていただきたいのです。


⫷全曲を貫く“Freude”のメロディー⫸ 


 “歓喜の歌”を歌うなら《第九》は、第1楽章から全曲聴き通してください。第4楽章は、第1〜3楽章をふまえて書かれています。第4楽章だけでは、小説の最後の部分だけ読んで、話がわかったと思い込むのと同じです。
 特に《第九》の場合には、“歓喜の歌”の主題となるメロエィーが第1〜3楽章の中にいろいろな形でかくされていて、折々に顔を出します。
 まずFreudeの主題の核になる音は階名のミ、ソ、ド(音名の嬰ヘ、イ、ニ)です。これはニ長調の主和音の分散形です。
 第1楽章の第1主題(17小節より)の核になる音は階名のラ、ミ、ド(音名のニ、イ、ヘ)です。これはニ短調の主和音の分散形です。Freudeの主題の核音と見比べると、両方ともニ、イ、ヘを核音としています。


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 第1楽章の74ー76小節のフルートのメロディーは、第1楽章第1主題から引き出されたものです。これにあわせてFreudeの主題をハ長調に移調してみました。フルートのメロディーは、Freudeの主題にたいへんよく似ています。
 暗い第1主題の中に明るいFreudeがひそんでいることを、すでにここでベートーヴェンは物語っているのです。


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 第2楽章の第1主題(9小節より)は前半が第1楽章第1主題と次のような関係になっており、後半は第4楽章のFreudeミファソソファミレです。つまり第2楽章の主題は、第1楽章と第4楽章のかけ橋になっていることがわかります。



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 第3楽章の第1主題とFreudeとの関係は次の通りです。


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 第4楽章冒頭のファンファーレは次の通り、第1楽章第1主題と関係しています。第1楽章のこの主題とFreudeとの関係は先に書いた通りですから、Freudeとの関係がここにもあるということです。あの荒々しいファンファーレにFreudeがひそんでいたのです。


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⫷第4楽章のファンファーレはなにか⫸


 第3楽章は、あこがれをこれほど美しく歌った音楽はないといってもよいほど美しい音楽です。ベートーヴェンが得ようとして得られなかった女性への愛、ふりきってもふりきれず彼の心にまとわりつくあこがれが歌い込められています。しかも第3楽章は、終わりきらぬ感じのままとぎれます。手をさしのべてもそれが届かないもどかしさを、しみじみと感じさせます。あるいは、愛だけに全身を投ずることができなかったことを表しているともいえるでしょう。
 さて、この第3楽章から、音楽はFreudeを主要なテーマとする第4楽章にひきつがれます。ところがなぜ第4楽章の冒頭には、ワーグナーが「恐怖のファンファーレ」と呼んだような、あのたけだけしいファンファーレがはさみこまれているのでしょう。
 この荒々しさは、無理にでもそれまでのものと決別しようという意思を表しているのです。そのことをさらにはっきり示すために、第3楽章の最後の音は、そのまま第4楽章の冒頭の音になって、2つの楽章をつなぐ役割を果たし、この2つの楽章は、間に休みをおかずにただちに続けて演奏されます。


⫷第1部 レシタティーフ(1−91)⫸


 次の図を見てください。第4楽章のFreudeのテーマが登場する(92小節)までの曲の構成を見てゆきましょう。興味深いことがいっぱいつまっています。
 最初はPresto(プレスト…きわめて速く)です。不安なファンファーレと弦楽器によるレシタティーフ(叙唱)が交互に登場します。8小節の最後からチェロとコントラバスで演奏される第1のレシタティーフは、実はバリトンソロの O  Freude, という歌い出しのメロディーとなるものです。このメロディーもFreudeのテーマにつながるもので、第3楽章のメロディーをFreudeのテーマへと引き継ぐ役割を果たしています。ということは、第3楽章で「断ちきれぬ愛」を歌い上げ、それを第4楽章冒頭のファンファーレで否定したものの、それでもなお否定しきれぬものがあることを表しているのです。
 30小節、思いもかけず第1楽章の主題が登場します。そのあと第3のレシタティーフをはさんで、48小節からは、今度は第2楽章の主題がそのままの形で出てきます。またもや第4のレシタティーフに引き戻され、63小節には第3楽章のモチーフが現れます、第5のレシタティーフを経て、今度は何かが違うなと期待していると、新しい主題が出てきます(77ー80小節)。木管楽器とホルンによるこのテーマの響きはよく覚えておいてください。バリトンソロとバス合唱がFreudeのかけあいをして、“歓喜の歌”が始まるとき(237小節)、ちょうどここと同じく木管とホルンが主題を演奏します。これがバス合唱の出だしの合図となるのです。
 このように、第1〜3楽章のモチーフがはさみこまれても違和感がないのは、これらの主題が共通の地盤の上にあるからなのです。


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⫷Freudeの主題と変奏(92-207)⫸    


 92小節からいよいよFreudeの主題がチェロとコントラバスの斉奏で登場します。「聖なる歌が、ほの暗いうす明かりの中から次第にあらわれてくる趣き」といってよいでしょう。このメロディーはニ長調の音階でニ、ホ、嬰ヘ、ト、イ、(音名でド、レ、ミ、ファ、ソ)を用い、安定を乱す要素になるロと嬰ハ(階名のラ、シ)は除いています。それらが単純なリズムにのって、隣り合った音へと動くのです。

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 単純なメロディーですが、ちょっとした思いつきではなく少なくとも32年間ベートーヴェンがあたためてきたものです。だからこそここまで単純化され、これ以上美しいメロディーはないというところまでみがきあげられたものになっているのです。そしてこの16小節にベートーヴェンは自分の思想の大半を集約しているともいえます。


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 最初にFreudeの主題が弱く低音で出てきたとき、聴衆は全神経を集中して聴きますが、これがのちにあのFreudeの壮大な合唱になるとは予想もできないでしょう。繰り返し出てくるFreudeの主題の変化を次の表でみてください。
 くり返されるごとに楽器が加わって音は豊かになり、強さは増大していきます。木管楽器は、しだいに格闘にあえぶように突撃し、金管楽器は凱旋歌のように高らかに響きます。第3変奏になると、この主題の和音的な基礎が確立され、ゆるぎないものになります。それでもまだ何かが加わらなければならないという期待を感じさせます。器楽で演奏されるのは第3変奏まで。第4変奏からはいよいよ合唱が加わります。第3変奏が終わったところからコーダ(結尾)になります。Freudeの主題の最後の部分が、コーダのモチーフです。


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 203小節でPoco ritenente(直ちに、やや遅く)になり、音楽は停止し沈黙したかと思うと、4分の3拍子にかわり、荒々しい和音とともに最初のファンファーレが再び登場します。ふり出しに投げ返されたのです。幕は切って落とされた! ここは身震いするほどの緊張感です。


⫷レシタティーフ(208-236)⫸    


 Presto(きわめて速く)の指示のもとに、冒頭のファンファーレが再び始まります。しかしそれは、最初のときよりいっそう激しい不協和音を含み、ニ短調の音階のあらゆる音が、同時にすさまじい音の束となってひびきます。ベートーヴェンはここで、最初のときよりももっとはっきり対立物の登場を示したかったと考えられるでしょう。つまりこれをうわまわる音楽が出てくるぞという暗示、予告なのです。
 216小節、バリトン独唱がすっくと立ち上がり、それまでのあらゆる重圧を下からもちあげるように、 O Freunde, nicht diese Töne!「おお、友よ、この調べではない!」と歌い出します。この部分はシラーの詩ではなく、ベートーヴェンが書き加えた言葉です。これまでの音ではない、新しい音楽を歌いはじめるという宣言です。バリトン独唱のメロディーは、第1のレシタティーフ(8ー11)からとられていることを思いおこしてください。バリトン独唱のレシタティーフは、はっきりとした終わりかたをしません。次のものを呼びこむためです。


⫷主題の提示 237-256(合唱バス 238-240)⫸

解 説

 237小節から始まる木管のメロディーは、すでに77-80小節で出てきたものです。さあ、歌声が交響曲の一声部として組みこまれた奇跡ともいうべき新しい試みがいよいよ始まります。これから聴衆も一体になって音楽をつくっていくのだという意識をしっかりもってください。
 合唱が加わっても、曲の方はそれにはおかまいなしに、Freudeの主題の第4変奏に入ります。ますますメロディーがからみあい、色彩を加えて豊かに発展します。バリトン独唱はほとんど抑揚なしに歌いますが、その中でBrüderに注意。デクレッシェンドがついています。ベートーヴェンはこの言葉に特別の重みを与えています。このあともBrüderが出てくると、何らかの力点がつけられています。

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