オーフロイデ! ベートーヴェン交響曲第九番〜歓喜の歌の発音とうたいかた〜 案内編 飛騨の山なみにこだまする"歓喜の歌" 飛騨高山第九を歌う会会長 寺地茂雄

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飛騨の山なみにこだまする"歓喜の歌"  飛騨高山第九を歌う会会長 寺地茂雄 

 昭和56年、市民待望の高山市民文化会館の建設が決まり、そのオープンに何か記念すべき行事を、との声が音楽愛好家の中からあがりました。「それなら思い切って《第九》を」というわけで、飛騨で初めての《第九》公演にとりくむことになったわけです。
 人口約6万4千人の高山には、いくつかの小さな合唱団がありますが、《第九》となると既存の合唱団員を全部集めても数が足りないので、新聞折り込みのチラシですべて公募することにしました。全市民に応募のチャンスを与え、広く公演の主旨を知らせるには、これがよい方法だったと思います。キャッチフレーズは次のとおり。全市民による『歓喜の大合唱』へのお誘い〜生涯の感動をあなた自身で!〜」これが効いたのか、たった1回のチラシで400人もの応募がありました。年齢は高校生から、定年退職した方たちまで、高山市に限らず周辺の町村からも集まって、それは多彩な顔ぶれです。既存の合唱団のメンバーもその90%が参加し、自分の合唱団の方は開店休業になってしまいました。
 昭和56年7月に結団式。ほとんどの人が楽譜を読めません。そこで、パート別にカセットテープをつくり、ともかく耳から覚えてもらうことにしました。
 いよいよ練習の開始です。会場は体育館や、パートごとに学校の教室に分かれたり、といろいろでしたが、練習の10分前にはほとんど全員がピシッと顔をそろえ、なごやかな雰囲気ができていました。団員はパートごとに学校の教室に分かれたり、といろいろでしたが、練習の10分前にはほとんど全員がピシッと顔をそろえ、なごやかな雰囲気ができていました。団員はパートごとに当番を決め、練習開始前にいすを並べ、受付をし、最後の片つけまで自主的にやってくれました。お知らせを20数号出しましたが、これも事務局員の手づくりです。
 なにしろ1年半の長丁場ですから、おたのしみ会を開いたり、時にはアルコールも交えたりして、互いのコミュニケーションを深めることに配慮しました。《第九》の練習が始まってから、街を歩いていても知らない人からよくあいさつをされるようになりました。きっと《第九》の人だな、そう思うと知らずに心がはずんできてしまいます。
 練習は比較的順調に進みましたが、だいたい曲が歌えるようになり、これから肉付けという時期が、ちょっとつらかったように思います。声は出しても自分勝手な声で、ただ歌っているだけ。音楽的にまとまることの難しさを感じました。
 休みがちの団員には何度も声をかけた末に、翌年の春、荒療治をすることにしました。出席の悪い人は名簿から削除するぞと警告し、幽霊団員は全部ぬきました。やりかたは少々荒っぽかったのですが、これで全体がひきしまりました。
 出席の悪い人は、以前から影がうすかったので、これによって人数が減った感はありませんでした。本番の11月3日には、団員299人に合唱指揮者を加え、きっちり300人がステージにあがりました。
 9月ごろにはだいたい目鼻がついてきました。指導の先生方もみんなのやる気をそぐようなことは一度もおっしゃらず、「前から見ると上達したよ」、とへたでも盛り上げてくださいました。
 指揮者の大町陽一郎先生が高山にいらっしゃっていよいよ本番です。先生のお考えで、合唱団員は第1楽章からステージに立つことになりました。これがよかったようです。みんなステージは初めてですから、最初は足がガクガクと震えたようですが、大町先生の表情を見ながら出番を待っているうちに、その雰囲気にはめられたように曲の中にとけこんでいけたといいます。大町先生自身も歌ってリードしてくださり、実力以上に歌えたと思います。
 当日はチケットが手に入らなかった人も多く、ホールは超満員。まさに興奮のるつぼでした。
 参加した人たちからは、「チラシのキャッチフレーズ通り生涯の感動を味わった」とか、「後1週間くらいはボーッとして何も手につかなかった」などの声がありました。まさに“第九フィーバー”でした。
 《第九》公演以来、合唱の味を知った人たちのおかげで、各合唱団のメンバーがふえて、活動は一層活発になりました。そして、今年もまた《第九》をやることになったのです。去年の参加者のうち、転勤や結婚、出産などの事情でやめた人を除き260人がまた参加すると言っています。
 結成以来1年半、さまざまな苦労は本番を迎えると消しとんでしまい、今はひとつの仕事を成し遂げた満足感にひたっています。
 しかし、成功した第一の原因は、なんといっても「楽聖ベートーヴェンの曲の偉大さだ」と改めて痛感させられた次第であります。


寺地茂雄.png

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