私の指揮法――第1走者 清水敬一

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うたの雑誌「ハンナ」2013年11月号掲載記事
指揮者リレーエッセイ
私の指揮法 第1走者 清水敬一


「今思い巡らせば」

 私は一般大学を卒業しました。音楽家は資格試験が無いのを良いことに、「自分は音楽家だ」と言いさえすれば音楽家を名乗ることが可能なので、大学卒業以来職業欄は「自由業(音楽家)」と表記しています。お医者さんだったらとんでもないことです(手品師、なら許されるかもしれません)。
 4歳ぐらいの頃からピアノを習い、小学校2年生の時からのピアノの先生が桐朋学園大学音楽学部のご出身で、「子供のための音楽教室」で使われているメソッドを取り入れてくださったこともあり、聴音や和声の基礎訓練をしていただいたことは、ソルフェージュ能力のトレーニングとして、自分にとって大きな栄養分になりました。大学を卒業してから3年間、和声楽やスコアリーディングを学ぶと共に、遠藤雅古先生(東京藝術大学の指揮科の主任を務めていました)とV.Feldbrill先生(ヴァイオリニスト出身の指揮者で、やはり東京藝術大学の指揮科の客員教授を務めていました)のお二人から指揮法のレッスンを受けました。二十代前半までに得た自分の基礎能力は、現在私が大学のソルフェージュ科の教師をする上でのバックグラウンドです。そして、高校時代に合唱部に入り、そこの常任指揮者をなさっていた関屋晋先生とお会いし、ちょうど30年間にわたっておそばで学ばせていただいたことが、私が合唱指導をするにあたっての全てのよりどころです。
 「音楽家」を生業としてもう30年以上が過ぎたことに自分で驚いています。私の理解力が特別低いことが原因であることは感じているのですが、今頃指揮法のレッスンで注意を受けたことの意味に気づくことがあります。
 「指揮」で伝えられることに、若い時の方が限界を感じていました。今の方が稽古中であれ本番中であれ、驚くほどたくさんの内容を、指揮で演奏者と気持ちを通わせ合うことができる、と信じられるようになりました。ずっと以前、先輩の指揮者がある名指揮者を評して、「発語から音色まで全て指揮に入っている」と言った時に、信じられなく思ったものですが、今やっとその意味が少しずつわかってきました。指揮をすることで伝えられることが、よりたくさんある、と思えるようになってからは、稽古中に言葉を使って指示をしなくても大丈夫なことが増えますし、その場でできるようにならなくても(ある事柄ができるようになるまでこだわらなくても)、あまり心配しなくなりました。
 指揮者の佐渡裕さんは「指揮者は(たとえ逆立ちしようが)気持ちを伝えるためなら何をやってもいい」とおっしゃっていて、全く賛成です。そのうえで、例えば「齋藤メソッド」などの王道の「指揮法」、教科書通りの「きれいな図形」は、やはり大きな力を持った手法だ、と最近は改めて強く思います。指揮者はその作品を深く愛し、とことん理解していれば良いのです。初めて出会った相手でさえも、演奏者を心底信じていれば、そのことは必ず伝わります。これは現在の正直な想いです。
(うたの雑誌「ハンナ」2013年11月号より)



次回は岸信介先生にバトンパス♪

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