楽器の事典ヴァイオリン 2章 オールド・ヴァイオリンの名器 27 その制作のスピードと作品の数

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その制作のスピードと作品の数

 ストラディヴァリが、その長い生涯の間に、どの程度のスピードで、何本のヴァイオリンを作り上げたかは、残念ながら、解明することが不可能である。
 しかし、長年の間の歴史家およびヴァイオリンの研究家たちの努力の結果、次に述べるような漠然とした資料が残されている。
 
 ☆ドイツの最も優れたストラディヴァリの研究家であったリットゲンドルフ伯爵は ―ストラディヴァリは信じられないほどのスピードでヴァイオリンを作った。1週間に1本の割り合いで製作したとしたならば、仕事をした60年の間には、3000本の楽器を作ったこととなる。― と書き残しているが、これはとても信じられない。
 ☆彼は、ヴァイオリン10本あるいは12本に対してチェロを1本の割り合いで作っている。
  なお、チェロの製作にはヴァイオリンの2倍の日数が掛ったと考えられる。ヴィオラの製作本数は、これに較べて少ない。そのためヴィオラの価値は高く評価されている。ダブルベースは全く作っていない。
 ☆ヒル商会の調査では、生涯に作られた楽器の数は1116個となっているが、このなかには、長い歴史の間に失われたものの数は含まれていない。
 ☆1673年、1674年、1676年および1678年の作品は全く見当たらない。イタリアの歴史家の説によると、その当時、二コロ・アマティの仕事を手伝っていたか、あるいは彫刻または象眼細工の副職をしていたという。
 ☆1700年以降、彼の製作数は全く平均していない。1705年にはわずか5本、1706年にはわずか4本である。当時、オーストリアの軍隊がクレモナを占領していたので、ヴァイオリンの製作どころでなかったのであろう。
 ☆1709年以後の製作数も記録されているが、この頃から急激に増汕している。
 ☆行方不明になった楽器、盗まれたものも極めてその数が多い。200年の間には、フランスのスペインの占領、ナポレオン戦争などがあり、数知れぬ多くの名器が、略奪され、また破壊された。さらに、異変、火災および事故などで失われたものも少なくない。さらに、第1次および第2次世界大戦がこれに追い討ちを掛けた。ロシア革命でも名器の行方が解らなくなってしまった。最近になって、モスクワにストラディヴァリウスが、国有財産として、6本残っていることが解ったくらいである。
 
 結局、クレモナで生み出されたストラディヴァリの名器の数は、数多くの研究者の苦心の調査にもかかわらず、未だに判然とせず、現在解っていることは、その半数以上がアメリカに流れ込んでおり、ドルの権威が衰え始めた現在、少なからぬ数がわが国の愛好者たちの手によって集められ始めたということだけである。


楽器の事典ヴァイオリン 1995年12月20日発行 無断転載禁止



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