
[画像]アントニオ・アマティ -国際楽器提供ー
アンドレア・アマティの息子
アンドレア・アマティには2人の息子がいたが、長男のアントニオは、1538年に、クレモナで生まれ、1556年には、彼の名前はサン・ファウスティノのファウスティノの教区の登録簿に父の助手として記載されている。その後アントニオはその弟であるジロラモと一緒に仕事をした。
ジロラモは1561年に生まれ、アントニオと共にクレモナで生活し、共にその地でこの世を去った。アマティ兄弟は多くの楽器を一緒に作り、ラベルの上の彼等の名前は、ラテン語で次のように書かれた。
“ANTONIUS & HIERONYMUS Fr.AMATICREMONEN. ANDREAE FIL. F. 1608.”
この兄弟の美しい楽器は、父のモデルと似ていて、やがて、完璧なものとなり、彼らの職人気質による技術は極めて精妙なものであった。その外形は優美で、f字孔はアンドレアのヴァイオリンよりも小さく、裏板の多くは1枚板でできている。ニスは初期には茶褐色で、のちになって美しいオレンジ色となった。この兄弟の楽器はどちらの作品が素晴らしいとは決めかねる程であったが、2人のうち、ヒエロニムス(ジロラモ)の方がより優れた芸術家と見なされている。彼は、父のモデルの表板の美しいカーブをいくらか平らにして、音量をより大きいものに改めた。
[画像]アントニオ・アマティのネック -国際楽器提供ー
楽器の事典ヴァイオリン 1995年12月20日発行 無断転載禁止
▶︎▶︎▶︎2章 9 ヒエロニムスの息子
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