楽器の事典ヴァイオリン 第1章 ヴァイオリンの誕生とその時代による変遷 36 巨大なヴァイオリン商の盛衰

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巨大なヴァイオリン商の盛衰

  しかし、これらの著名なヴァイオリン商も、時代の流れと年月の経過により、現在ではその姿は、昔日の面影もなく、次の通りに変貌している。

 ☆ヒル商会
 全盛時代の鑑定家たちは既にこの世を去り、ロンドンのニュー・ボンドーストリートの立派な店舗もなく、現在ではロンドン郊外で有名なヒルの松脂、あご当てその他の部品をわずかに取り扱っている。しかし、世界中の数多くのオールドーヴァイオリンはヒル商会を通じて販売された実績、つまりその発行された履歴あるいは証明書などは、最も信頼できるものとして、ヴァイオリンの取引きの際に極めて尊重されている。
 ☆ハンマ商会
 1864年に、フリードリン・ハンマによって設立されたもので、多くのヴァイオリンのマイスターを集め、3代、つまり子供のエミールおよび孫のウォルターと共に、ドイツ随一のヴァイオリン商として、数多くのオールド・ヴァイオリンを取り扱い、世界中にその名声を博した。
 この商会が出版した2冊の写真入りの専門書は、ヤロベックの同様な膨大な数冊の研究書と共に、文字は読めなくても、極めて役立つものである。
 なお、わが国に最初にもたらされた、現在東京芸大にある、ストラディヴァリウスの1717年の名器パークは、合資会社丸一商店の故𪿾田一郎氏がハンマ商会から輸入した楽器である。
 この一世を風靡したハンマ商会も、現在では、消滅している。
 ☆ウーリッツァー商会
 ウーリッツァー商会は、アメリカで十九世紀からパイプ・オルガン、ハープおよびピアノを作った巨大な楽器製造会社で、20世紀には、独特なリード発振式電子オルガン、電子ピアノなどを数多く作り出し、世界的に有名なメーカーとなった。
 ウーリッツァー商会のヴァイオリン部門は、1949年に、ランバート・ウーリッツァーとフェルナンド・サッコーニが協力して、親会社からヴァイオリンの事業部門を買い取ったことから始まり、莫大な資金力と超能力的な優れた技術によって、このヴァイオリンのセクションを世界的に著名なものに育て上げ、やがてこのオフィスを世界中の超一流のヴァイオリン奏者たち、例えば、ハイフェッツ、エルマン、ミルスタイン、オイストラッフ、リッチ、メニューヒン、スターン、フランチェスカッティ、およびチェロの名奏者であるカザルス、ピアティゴルスキー、などの錚々たるメンバーの集会場としたのである。
 現在では、ウーリッツァーの名称は、証明書以外では、人びとからほとんど忘れられかけているが、そのヴァイオリン部門で果した功績は驚くほど大きい。つまり、第二次欧州大戦以降では、アメリカが経済的なイニシアティブを取っていたために、ほとんどのイタリアのオールド・ヴァイオリンの名器はアメリカに流れ込み、それらを主として操作したのがウーリッツァーのヴァイオリン部門であったのである。
 ランバート・ウーリッツァーとフェルナンド・サッコーニの結びつきを解り易くするために、次に両者の略歴を拾い上げてみょう。
 ☆ランバート・ウーリッツァー
 ウーリッツァー社は、もともと1856年に、シンシナティで設立されたのであるが、彼はその3代目で、祖父も父も共にヴァイオリンの演奏が極めて巧みであったが、不思議なことに、彼だけは下手であったと記録されている。事実、彼の父は、ベルリン大学で、有名なフリッツ・クライスラーのルーム・メートで、奇妙なことに、父はヴァイオリンを学び、クライスラーは薬学を学んでいたという。彼の家庭には多くのヴァイオリン奏者が招待され、その中の一人であったウージェーヌ・イザーイは、食道楽で、ヴァイオリンを弾くより台所をのぞき込むほうに熱心であったという逸話さえ残されている。しかしながら、ランバート・ウーリッツァーがヴァイオリンという楽器を熱愛し、後に、世界中のヴァイオリンの生産地を訪ねて懸命に研究したことは事実である。
 ☆フェルナンド・サッコーニ
 マエストローサッコーニは1895年にローマで生まれ、父は洋服屋であったが優れたヴァイオリン奏者でもあった。 9歳の頃、ヴァイオリンに興味を持ち始め、ある日、父の楽器の表板をキッチンーナイフではがして分解し、大目玉を食う代わりに、ヴァイオリンーメーカーになることを許され、ジュセッペーロッシの徒弟となり、11歳で自分の楽器を作り、16歳で独立するという天賦の才能を発揮した。
 その後、ヴァイオリンの製作とオールド・ヴァイオリンの修理に天才ぶりを発揮し、第一次世界大戦で2回負傷したが、ブッシュ・クァルテット ー当時の世界最高といわれた弦楽四重奏団- に絶賛された優れた楽器などを作り続けた。
 1931年に、ウーリッツァーで仕事をしていたエミール・ハーマンに勧められて、ニューヨークに渡り、さきに触れた通り、1949年に、ランバート・ウーリッツァーと共に、ウーリッツァーのヴァイオリン部門を設け、その会社を驚異的な繁栄に導いた。
 彼の手に掛ったストラディヴァリウスは500本に及び、その中約300本を修理し、さらにアメリカにあるガルネリウスの半分を手掛けたと記録されている。
 なお、生涯に製作した楽器もすべて最高のもので、その数は、ヴァイオリンが70本以上、チェロが約16本およびヴィオラが少なくとも12本であったといわれている。
 サッコーニは、ヴァイオリンについての、信じられないほどの豊富な知識を持っていた。彼は、ヴァイオリンの内側にはってあるラベルを見ずに、その楽器がいつ作られたか、さらにどの時代に修理されたかを云い当てた。
 彼はすべての優れたオールドーヴァイオリンに精通しており、特にストラディヴァリウスに関しては抜群の知識を持っていて、ボディ、アーチの形、スクロールおよびf字孔などを見て、ストラディヴァリウスの製作年代を瞬時に言い当てることもできたと伝えられている。 彼は次のような言葉を残している。

「2本のストラディヴァリウスを較べて見るのは、同じ画家が同一のモデルの2枚のポートレートを画いたのを眺めるようなもので、決して同じものはない。」


楽器の事典ヴァイオリン 1995年12月20日発行 無断転載禁止


▶︎▶︎▶︎第1章 37 オールド・ヴァイオリンの記録の作成
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