わが国のピアノ製作のあゆみ
創世期の先駆者たち
広田ピアノ
広田米太郎氏は、当時最高の技術を持つチューナーであったが、1923年の関東大震災の翌年に東京楽器研究所を離れて、約6〜7年間ヒロタピアノを作っている。従業員24〜5人で、年間約100台を製造していたという。
ヒロタピアノはアップライト600台、グランド7〜80台が作られたと推定されており。アクションやワイヤーはドイツ製を使い。グランドはブルッツナーをコピーしたもので。音色は極めて美しく、ブランドとしてはY・ヒロタが用いられていた。
この米太郎氏の長男の広田武雄氏が広島で屋代千里氏と合同して東洋楽器製造株式会社を作り、ワグナーピアノを作り出している。
改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止
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