楽器の事典ピアノ 第3章 メーソン・アンド・ハムリン

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世界的な名声を勝ち得た名器とその系譜

メーソン・アンド・ハムリン

メーソン・アンド・ハムリンというブランドは、ヘンリー・メーソンとエモンス・ハムリンの二人の名前を組み合わせたもの。まずこの二人の生い立ちを振り返ってみよう。

 ヘンリー・メーソン メイフラワー号でドイツからのアメリカへ移民した家族の子孫の一人にローエル・メーソンという音楽教授がいた。彼は一八三七年にアメリカの学校のカリキュラムに音楽教授がいた。彼は一八三七年にアメリカの学校のカリキュラムに音楽を導入することに貢献した人物である。彼には二人の息子がおり、兄のウィリアムはリストの弟子になり、弟のヘンリー(一八三一年~九〇年)はドイツの大学で学んだ後に、一八五四年に彼の母国に優れた楽器を供給しようという熱心な希望を持ってアメリカに舞い戻った。

 エモンス・ハムリン ハムリン(一八二一年~八五年)の生い立ちは明らかでない。彼はバッファローのジョージ・エー・プリンス社というメロディオン(キャビネットオルガンのこと)を作る工場で働いている時、オル

 

(注)創業は1854年で、1894年までに117,000台のオルガンを作り、アメリカのオルガンメーカーの主導権を握っていた。

(注)この会社はわが国のリードオルガンの祖先に当るものということができるであろう。

ガンのリードを調整中に、クラリネット、バイオリンその他、さまざまの楽器の音色に似た音が出せることを発見した。

 エモンス・ハムリンはこの発見を技術的に完成させ、ヘンリー・メーソンと組んで、一八五四年にメーソン・アンド・ハムリンという名の工場を建設し、新学期の“オルガンハーモニューム”の製作をスタートした。ここでメーソン・アンド・ハムリン社が誕生したわけだが、ピアノが製造されるようになったのは、さらに三十年も後のことである。

 ハムリンは発明家としての天才的な能力を備えた、正確な生きた機械のような人物であった。これにメーソンの音楽性が加わったのだから、同社の楽器の性能は疑いのないものであった。

 メーソン・アンド・ハムリンの会社は、極めて小資本でスタートしたが、最高に質の高い楽器を次々と生み出して、たちまち成長した。両者はこれにあきたらず、やがて、後になって“アメリカン・キャビネット・オルガン”として世界に知られるようになったリードオルガンを作り出したのである。この楽器は世界のあらゆる国々で愛用され、すべての国の博覧会で受賞した。

 

 ヘンリー・メーソンには二人の息子がいた。兄のダニエル・グレゴリー・メーソンは、当時のアメリカにおける優れた作曲家兼音楽教師となり、弟のヘンリー・エル・メーソンは父と同様楽器のメーカーとなった。

 メーソン・アンド・ハムリン社は、一八八一年にピアノの製作を開始した。このピアノは音楽一家が作り出したものだけに、すばらしい性能を持った名器で、当時のあらゆる演奏家から賞讃され、その優れた性能をそのまま伝えて今日まで作り続けられている。

 このピアノは数々の優れた点を持っているが、特に、次の二つの大きな特徴を備えている。

☆デュプレックス・スケール 直訳すれば二重の音階という意味で、高音部の音色を美しくする装置である。高音部のすべての弦を伸ばし、第二のブリッジをつけて、ハンマーで叩かれて振動する弦以外の余分の弦が共鳴して、高音部の音色を華麗にするようになっている。この第二のブリッジとは、ヒッチピンの近くにつけられる小さなバーのことで、専門用語ではアリコットと呼ばれている。

☆テンションレゾネーター テンションレギュレーターとも呼ばれ、メーソン・アンド・ハムリンのピアノの最大の特徴となっている構造である。これについては「ピアノの歴史」の項で説明したので省略するが、要するにこの装置がついているために、どんな気候のきびしい地方で使用されても、メーソン・アンド・ハムリンのピアノは、その命であるサウンドボードの湾曲度(クラウン)が絶対に狂わないのである。

 メーソン・アンド・ハムリン社は現在エオリアン・アメリカン・コーポレーションの傘下にあり、我国には、中道インコーポレイーテッド社によって輸入されている。

改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止



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