楽器の事典ピアノ 第4章 日本の代表的な2代ブランド 山葉寅楠氏の産業興国的発想

HOME > メディア > 楽器の事典ピアノ > 楽器の事典ピアノ 第4章 日本の代表的な2代ブランド 山葉寅楠氏の産業興国的発想
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加


世界のトップの座に輝く《ヤマハ》のピアノ

山葉寅楠氏の産業興国的発想

 日本の楽器産業の創始者の栄誉を担うことになった山葉寅楠氏は、黒船来航の二年前、嘉永四年(一八五二、紀州藩士山葉正孝と医者の長女幾乃の次男として生れた。父親の正孝は藩の天文係をつとめていた。数学に秀で、熊野灘沿岸地図を作成し、名橋をかけている。すぐれた技術者だった。寅楠氏は父親の血をひいて幼少期から器械いじりに長けていたが、剣術もうまく、しばしば乱暴狼藉を働いて周囲を困らせた。
 十七歳で鳥羽伏見の戦いに出陣、敗走している。もはや武士でいることはできなかった。明治四年(一八七二)寅楠氏は長崎に行き、持ち前の器械好きを生かして、イギリス人から時計の製造法と販売法を学んだ。ここで彼をとらえた考えは、いかにも武士の出らしく、一日も早く国産のいい時計をつくり、輸入品にとって代えたいというものであった。こうした産業興国的発想は彼が世を去るまで変えることはなかった。そしてさらにこの考え方は、いろいろ形を変えながらも歴代の社長に受け継がれていくことになる。
 寅楠氏の努力にもかかわらず、時計工場を建てようという彼に、資金を出す者はいなかった。
 寅楠氏は今度は医療器械の修理に関心をむけた。明治十四年(一八八一)医療器械の修理も行う時計商の店を大和高田に出すが、金融恐慌のあおりで成功しなかった。店をたたんだ寅楠氏は失意の中を東京に行く。ここに半年、しかしコレラが流行し、これをのがれるようにして浜松に向った。浜松病院の福島院長に招かれたのと、東京に行く途中に見た浜松の活気が忘れられなかったからである。彼は茶商樋口家の食客となった。明治二十年(一八八七)、寅楠氏三十五歳の時のことである。そして間もなく、日本の楽器産業の誕生につながる事件が起こる。
 浜松小学校が前年、大枚四十五円を投じて購入し、宝物のように大事に使っていたアメリカのメーソン&ハムリン社製のオルガンが突然鳴らなくなってしまった。この時修理に呼び寄せられたのが、西洋の器械にくわしい寅楠氏であった。ところが、学校にやって来た寅楠氏は、ただオルガンに見とれるだけで、一向に修理をはじめる気配がなかった。音楽を教える山田先生は遂にしびれをきらし、寅楠氏に早く修理をはじめるよううながした。寅楠氏はこの時、長年探していた、自らの手で工業化できる器械を、探し当てたのである。
 彼は飾り職人の河合喜三郎氏を助手に、六十三日かかって国産第一号のオルガンをつくり上げた。二人はこのオルガンを東京の音楽取調所(現在の東京芸術大学)に持ち込み、伊沢修二所長にみてもらったのである。伊沢氏はいった。
 「形はよいが、調律が不正確で使用に堪えない」
 この後、寅楠氏は伊沢氏の特別のはからいで、音楽取調所で1ヵ月ほど音楽の講義を受ける。浜松に帰った寅楠氏はただちに二台目のオルガンをつくるこれは成功だった。伊沢氏は「舶来品に代り得るオルガン」と褒めている。
 翌明治二十一年(一八八八)三月、寅楠氏は浜松の普大寺に「山葉風琴製造所」の看板を掲げ、小規模ながら工場でのオルガン製作を始めた。さらに二十二年には、三万円の出資金を集めて「合資会社山葉風琴製造所」を設立し、この年、二百五十台のオルガンをつくった。電光石火の早業であった。
 なぜこのように急激に生産をふやすことができたのか。寅楠氏が武家、それも技術者の家の出であったからであろう。オルガンづくりの職人にならずに、新時代の工場経営者に徹していったからである。彼は手工業的な生産方法にこだわらずに、部品の規格化をすすめ、組立てを合理的に行うため分業をとり入れていった。
 明治二十三年、寅楠氏は東京で開かれた第三回内国勧業博覧会にオルガンを出品する。ここでヤマハは、すでに何歩か先をいっていた西川をしのいで、有功二等賞牌を受ける。そして二十五年には神戸の外国商館モートリーを通じて七十八台のオルガンを東南アジアに輸出している。 もちろん経済不況や障害がなかったわけではない。しかし明治三十年(一八九七)には資本金十万円で日本楽器製造株式会社を設立する。寅楠氏がピアノ製造をめざしてアメリカへ渡ったのはこの時から二年後のことであった。この年の職工数は四十七名と記録されている。 この頃、寅楠氏は経営の姿勢について次のように語っている。
 「自分は品物を販売するに掛引をせぬ。生産費を控除して代価を定め決して暴利を貪らぬ、而して品質に対しては絶対的責任をかぶるを信条として社会の信用を博する覚悟である」 寅楠氏のこの考え方は、やがてヤマハの基本姿勢として定着していく。

 

改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


▶︎▶︎▶︎
▷▷▷楽器の事典ピアノ 目次
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
 
KAWAI
YAMAHA WEBSITE