楽器の事典ピアノ 第6章 日本の主要ブランド一覧  9 シュベスター

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                     [画像]シュベスター 51

わが国のピアノ製作のあゆみ

独自の特色を発揮したメーカー

シュベスター

 シュベスターピアノの創始者である松崎妙氏は、1899年7月26日に、愛媛県三島村で農家の次男として生まれた。子供の頃から大変音楽が好きであったといい、1921年頃に、東京・大井町にあった東京楽器研究所に入っている。
 その後、関東大震災で職を失ったが、やがて、蒲田ピアノと松本ピアノでピアノ製造技術の腕を磨いている。
 
 協信社を設立 1929年、松崎氏は、木工技術者の松川賢一氏、塗装の小原太作氏らと協信社ピアノ製作所を設立し、彼はアクション製作。調弦などを祖当した。3人は百円ずつ出資して、交替でオヤジ(当時、社長は親方とかオヤジとか呼ばれていた)をやり、12畳の木小屋でピアノの製造を開始したのである。この協信社がシュベスターピアノ製作所の前身である。
 当時、ピアノの価格は法外に高かった。その頃ヤマハのアップライトは500円、800円、1000円、1200円の四種であったと伝えられているが。協信社では定価1000円のピアノ1種類だけを、月1台から1.5台作り続けたという。当時は物品税などというものもないよき時代で、試みに協信社の1ヵ月の損益計算を分析すれば、次のように明快に黒字を生むものであった。
 1台のピアノの材料費は、木材が10円、ワイヤーが10円、アクションが国産で35円、外国製で70円、その他を含めても100円ぐらい。製品は卸値で相手が買いに来た時は定価の半額、逆に売り込んだ時は5割5分引きの450円で売れた。つまり、1台売れれば1人が80円ずつの給料を受け取っても、なお100円から160円の利益が残ったものである。協信社はこのようにして次第に大きくなっていったのである。
 
 シユベスターのピアノ シュベスターピアノの初期のアップライトは、松本ピアノのゲットーコピー(松本ピアノは東ドイツのチンメルマンをまねていた)であったが、仕上げはともかくとして、まずまずの美しさを持つものであった。その記念すべき第一号は、東京・田園調布の佐治家に納入されたが、現在では、武蔵野音楽大学に寄贈され、同大学楽器博物館に保存されている。
 シュベスターピアノは、、1952年、芝白金のチューナー斎藤義孝氏の指導により、ウィーンの名器であるベーゼンドルフアーのアップライトの構造をコピーしたものに変更されている。シュベスターピアノが類のないほどデリカシーに富んだ美しい音色と、すばらしい音楽的な表現力を持つのは、ベーゼンドルフアーからその性能を受け継いだためだという。また、その生産台数が極端に少ないことも、ベーゼンドルフアーによく似ている。
 なお、グランドピアノはスタインウェイのD型をコピーしたものである。
 シュベスターとはドイツ語で。”姉妹”のことで、当時、ピアノは女性が弾くものなので、優しい名前がよいだろうと、ブランドに採用したものだという。この名称はピアノの専門家にはよく知れ渡っており、会社が大きくないために、高品質のピアノが作られてきたのであろう。
 
 戦中戦後の苦難 第二次世界大戦はピアノの製造を不可能に追いやった。その頃、大手のピアノメーカーは飛行機の部品を作っていたというが、シュベスターでは魚雷の弾頭と内部の火薬の筒を作っていた。資材不足のため。木で作り漆で塗り固めたのである。
 敗戦はさらにピアノ製作から離れさせたが、終戦直後は、鍋のみだ、下駄、タバコを巻く機械、机、椅子、洋服ダンスなど、あらゆるものに手を出して食いつないだ。戦後の最初のピアノをビリヤードの台のラシヤなどの代用品を集めて作ったのは1950年で、これが出荷された時は全員で万才を叫んだという。
 
 受注生産 シュベスターのピアノは、ほとんどチューナーを通じて販売されていった。そのため、受注生産がほとんどで、過剰在庫をかかえる心配がなかった。つまり、チューナーの手による特殊な販売経路を持つことが、経営の安定性を確立し、さらに品質の向上を招いたのである。
 ピアノの品質を最もよく知っているのは、ピアノ演奏家でもピアノ教師でもなく。チューナーである。チューナーは数多くのピアノの調律、調整、修理の豊富な経験を持ち、それぞれの楽器の欠点も長所も熟知している。シュベスターはその歴史も長いので、多くの一流チューナーと交流を持ちこの会社からも多くのチューナーが誕生している。
 戦後の中小企業のピアノメーカーには、たびたびの危機が到来した。シュベスターピアノもその例外ではなく、工場の火災、物品税滞納による負債の増加などで苦境に立った。その際、なんとか息を吹き返しだのはチューナーたちの援助と取引先の善意であった。
 
 二代目社長 初代社長の松崎妙氏は、会社を大きく育てることは忘れていたが、シュベスターピアノを最高品質の楽器に育て上げる功績を残して1965年の11月7日に突然この世を去った。
 二代目社長は妙氏の次男である松崎保男氏が継いだ。彼は立教大学で、大学院も含めて7年間も数学を研究してきたが、ピアノとは全く無縁であった。そのため、一時は戸惑ったが、大学時代に登山で鍛えた頑強な身体で初代の功績を引き継ぎ、北海道から九州に至るまでの多くのチューナーの暖い支援を得て、優れ九品質のピアノを作り続けてきた。
 
 その音色 シュベスターピアノは、ベーゼンドルフアーをコピーし、さまざまな試行錯誤を重ね、さらに多くみ優れたチューナーたちの長い年月にわたるアドバイスを受け入れて作り出されたために、不思議なほどの美しい音色を持っている。それは、ひとことでいえば、シンギングトーンとよばれる、往時のフランスの名器であったエラールやプレイエルの音をしのぼせるもので、その音色はエイジングと共にますます芳醇になるという。
 この音色の秘密は次に述べる構造上の特徴から生れるらしい。
 
 構造上の特徴 シュベスターピアノの構造上の主な特徴をあげれば次の諸点である。
 
 ☆響板 ピアノの音色は響板によって決定されるといっても過言ではないが。シュベスターピアノではその材質として北海道の“エゾ松”を専用に使い、輸入品のスプルースは全く用いない。その理由はスプルースは材質が硬く音のダイナミックレンジがせまいためであるという。なお、響板の加工は一切手加工で行われこれによりピアノに魂を吹き込む。“エゾ松”以外の材料を使わないのはこの会社だけであると聞く。
 ☆ピン板 材質の優れたものを特に厳選し充分に乾燥した後、8ミリの厚さにしてタテョコに重ねて作り上げる。この操作は手数が掛るが、チューニングピンを完全に保持するのに役立つ。
 ☆駒の高さ これは秘儀であるという。
 ☆弦の張力 弦の1本当りの張力は、低音域を除いた場合、最低65キロ、最高75~80キロ、平均70キロ強となっている(一般のピアノの場合は85〜90キロという)。張力を上げずに、他の要素で華麗な音色を作り出すように響板その他を工夫するため“シソンギングトーン”が得られるであろう。なお、ローテーンションであるため、支柱、フレームおよび響板などの経年変化が少ない。
 ☆レンナーハンマーの採用 響板に次いで音質を左右するハンマーは有名なドイツのレンナー社のものを使っている。

 バロック風のアップライト シュベスターピアノにはデザイナーがいない。そのためクラシックな形態のピアノだけを作っている。しかし特注品として作るバロック風の彫刻のある最高級のアップライトはわが国で最もデラックスなものであろう・値段も群を抜いて高価で、受注後、本体と椅子なら三ヵ月、応接セットを含むと一年掛るという。鍵盤は、いうまでもなく、象牙と黒檀で作られており、年間二上二台の注文があるそうである。
 
 少ない生産台数 シュペスターピアノは、ベーゼンドルフアーと同様。生産台数が伸びない珍しいメーカーである。ベーゼンドルフアーは一八二八年から現在までの約百五十年の間にわずか三万台のピアノを作ったに過ぎないが、シュベスターピアノの創業以来の生産台数は、五十年足らずの間に約二万台である。
 もっとも、生産台数がウィーンの名器に似ているから良い楽器であろうというのは暴論であるが、手工的に作る場合、ある程度以上に規模を拡大することが不可能なのである。

シュベスター59.png                       [画像]シュベスター 59

シュベスター57.png                       [画像]シュベスター 57

 
良いピアノを作る条件 楽器には、現在、工場生産のものと手工業によるハンドメイドのものとがある。このどちらが優れているかということは簡単に断定することはできない。例えば、バイオリンのように、メカニックな部分が少なく、原理も完全に解明されていない楽器では手工品が断然優れたものとなる。
 しかし、ピアノの場合は、何しろ「楽器の王」といわれたほどの大モノだけに、産業革命に逆行しさらに集中資本に逆うような手工的方法で作ることが必ずしも良品質なものを生み出すとは隕らないし、スケールメリットによるコストダウンにどの程度対抗できるかも大きな疑問である。
 この点について松畸社長にたずねてみると、社長の回答は次の通りに明解なものであった。
 優れたピアノを作り出す条件は次の通りである。

(1)ピアノの楽器としての性能を熟知しており、かつ自ら優れたピアノを作る技術を持った熟練者が、製造工程の最初から最後まで目を
通すべきである。いくら検査工程を厳重にしても、あとでチェックする方法では決して良いピアノは作り得ない。つまり熟練した職人が最も大切であり。この熟練者は一朝にして生れるものではなく、数が限定されているから生産台数は増せない。
(2)マスプロにおける工程分解は、ピアノに対する知識が全くない素人でも生産に参加することを可能にしたが、“自分が作ったピアノである”という実感を失わせ、楽器に心をこめることを不可能にした。
(3)ピアノの製作の場合、資本の回転が遅くなることはさけられないことである。

 このようなメーカーこそ、少なくとも最終消費者である音楽を愛する人びとにとっては最も大切なものではなかろうか。




改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


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