楽器の事典ピアノ 第6章 日本の主要ブランド一覧 6 アトラス

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わが国のピアノ製作のあゆみ

独自の特色を発揮したメーカー

アトラス

  アトラスーピアノ製造会社は、約25年前に発足した歴史的には新しいものであるがヽその後の発展はめざましく、現在、資本金はいうにおよばず、その近代的な生産設備並びに生産数においてはヤマハ、カワイに次ぐものである。
 アトラスピアノの新工場は、浜松市の神田町にあるが、わが国のピアノエ場としては最も美しい芸術的な雰囲気が漂っているものである。正面の玄関の池には鯉が泳いでいるし、美しく設計された吹き抜けの入口はさまざまな絵画や彫刻で飾られている。事務所は銀行のように整然としているし、一貫工程の作業場は最新の設備で合理的に配置されており、さらに、広大な展示室には、自社製品を初めとして、ヨーロッパから輸入されたブルッツナー、ザイラー、ベントリーおよびダーネマンなどのピアノの名器が数多く並べられていて、それぞれの音色を比較して演奏できるようになっている。しかし、20年以前のこのピアノエ場は、8畳と6畳を合わせたほどの大きさのものであった。
 一代で築き占ける 資本金が3億5千万にもおよぶこの会社は、頼金忠社長が無一文から出発して、わずか20年で築き上げたものである。一代で成功した人びとにはかん難辛苦をなめながら事業一途に没入し、スタインウェイの元祖のように。すべての人生の欲望を抛棄して肉親の生命を犠牲にしてまで、その目的に突進したものが多いが。頼合忠氏はその例外である。穏健柔和な紳士で。斗酒なお辞せず、ピアノで演歌を達者に弾きこなし、七段の腕前で空手道を楽しむという。この常に明るく陽気な性格を持っている幸運な社長の半生は次の通りである。
 頼金氏は、1926年に、広島県竹原市の酒造りの頭梁をつとめていた父の10人兄弟の六男として生まれ、広島師範学校(現広島大学教育学部)にに進んだ。そこでピアノの演奏に興味を持ち始め、連日練習に励んだのがピアノとのなれ染めである。
 終戦の混乱期は、頼金氏の教師として聖壇に立つという目的性を失わし、彼を実業界という正反対の方向に走らせた。彼は、明治大学の商業部に進むかたわら、アルバイトでピアノの販売に熱中し。月間30台も売りまくったという。当時は。時代が時代だけに学問にはあまり力が入らず、全精力はこの内職と空手の練習に傾注され、その双方が実を結んだのである。空手は当時既に三段であったと伝えられるが、アルバイトもほとんど本職に転化していた。
 大学を卒業する直前、つまり1953年に、彼は兄と共同で東京の青山に「日響ピアノ」という店を発足させた。
 しかし、販売だけではあきたらず、ピアノの製造技術を学ぶために浜松の遠州ピアノ製造株式会社などを武者修業し、日響ピアノの経営を兄にまかせ、自らはピアノメーカーの世界に身を乗り入れたのである。
 アトラスピアノの源となった日米楽器工業所は、1955年の6月10日にこのようにして発足した。場所は浜松市の浅田町で、当初はピアノ職人を数人かき集め、いわゆる外注依存の組立て工場として出発したのである。どんなピアノにでもつけられるという便利な鉄のフレームを求めてきて設計書もなしに、意外に品質の良い楽器を次々と生み出していった。
当時はこのような、いわゆる組立てピアノの全盛期で、小さい工場が35〜40社もあって、さまざまなブランドの楽器を作っていた。
 当時日米楽器ではスタンダード、ノーベル、アトラス、アーデルスタインなどのブランドのピアノを作ったと記録されている。

アトラス コンソール.png
                  [画像]アトラス NA5C コンソールタイプ 110cm

アトラス チーク.png

                  [画像]アトラス NA806 チーク材 133cm

アトラス マホガニー.png

                  [画像]アトラス NA202 マホガニー塗 128cm

 国立音大との提携 創業2年目の1956年に。日本のピアノの始祖山葉寅楠氏の直弟子の一人であった匹田幸吉氏が参加し、この頃から独自の設計のものが作られ始め、品質は急激に向上したが、最も画期的な発展はその年の国立音大との提携によってなし遂げられた。
 つまり、当時の国立音楽大学楽器研究所の主任であった西村武氏に認められ、国立音大の指定工場となり、その後、販売、技術並びに資金の援助を仰ぐようになったのである。西村武氏は、わが国で最も古いピアノメーカーの一つである松本ピアノ出身の技術者で、ピアノの製造技術を学問的に解明した学者肌の人で、惜しくも49歳で亡くなったが、わが国のピアノ調律界の元老だった中谷孝男氏と共に、ピアノの品質向上に多大の貢献をした人である。
 その頃、西村武氏が研究所で設計したピアノが日米楽器工業所によって作り出された。この楽器は。当時の荒廃した世の中に、安価で高性能のもの
を提供することを目的としたもので、その仕様は次の通りであった。

 鍵盤 
   85および88。
   
   高音部2本弦。これは廉価でしかも練習用に充分耐える目的を持つて設計されたもので、高音部の音量不足は特殊設計の嘶板で補うことができた。クロスストリングでなくパーティカルストリングであったため張力は小さく、音質が美しく、演奏会用には使えなかったが練習用としては最適なものであった。
 響板 
   特許25974による特殊な放射線状のもので、共鳴効果のすばらしいものであった。
 高さ 
   120センチ。
 重量 
   特殊設計であるため重量は極めて軽く、普通のアップライトの半分位で、取扱いが容易であった。

 この特殊設計のピアノは、正直なところ、フレームが弱く、背面のよじれが生じ、この調整に苦心したが、故障の原因とまではならず、当時作られた2本弦のピアノの中では最優秀なもので、しかも価格は14万円ないし15万円、最も廉価なものは12万円(免税10万8千円)であったため、国立音大に納入されたのを含めて5千台以上も製造されたと記録されてい
る・アトラスのブランドは国立音大の指定工場になった1956年から使われているが、この商標は西村武氏から譲られたものである。
 なお。当時国立音大の研究室で作られていた同じ仕様のピアノにはコンセルバトワールというブランドがつけられていた。
 ピアノの製作史をたどってみると、古来の名器はバッハを初めとする幾多の著名な演奏家のアドバイスによって改良されてきたと記録されている。また、現在のピアノ製作は、経験主義的な方法によらず、物理学的および音響学的な計算を基礎とするといわれているが、これらの点においてアトラスピアノは最も理想的な背景を持ち続けてきた。
 つまり、いつでも国立音大のピアノの専門奏者のアドバイスは受けられるし、理論的な点については西村武氏から充分な指導を受け、かつて国立音大の講師でありマスターの称号を持つ郡司すみさんも技術顧問となっていた。
 アトラスとは、遙か西の地の果て天球を支えているギリシヤの途方もない巨大な神様である。このアトラスのブランドは、西村武氏がご自身のからだけ小さかったが、“希望は大きいほうがよい、世界を目指そう”という主旨で決められたという。
 アトラスピアノを作り始めた日米楽器工業所のその後の発展は、まさに驚異的であった。神話のアトラスがむくむくと大きくなって天球を支えるようになったのにはおよばないが、次の通りの輝かしい実績を残している。
 
 ☆1958年 資本金250万で有限会社日米楽器工業所を設立。
 ☆1960年 アトラスピアノ製造株式会社と商号および組織を変更。資本金5百万。
 ☆1961年 わが国における最初のピアノJIS工場の認可を受ける。
 ☆1962年 広島支店を開設、
 ☆1962年 2千万に増資。
 ☆1963年 5千万に増資。
 ☆1963年 日本ピアノ製作所を買収。
 ☆1965年 日本ピアノアクション製造株式会社を吸収合併。資本金7千万となる。
 ☆1966年 8千5百万に増資。
 ☆1968年 1億2750万に増資。
 ☆1969年 ブラザーエ業株式会社と業務提携。
 ☆1969年 2億に増資。
 ☆1971年 2億6千万に増資。
 ☆1974年 3億5880万に増資。
 ☆1974年 空調並びに自動化施設を完備したピアノ仕上工場を建設。
 
この発展の推移を見ると16年間に資本金が70倍となっている。どこかに黄金のリンゴの実る木が隠されているように思える。アトラスピアノの人びとの言葉によると“へスペリデスの庭”は国立音大であったという。国立音大はアトラスピアノの絶大な恩人で、両者が利潤獲得のためでなくピアノ音楽の理想を追求して努力を重ねてきたのが現在の繁栄を作り出し
たのである。
 その頃のわが国のピアノの生産台数の伸びは概略次の通りである。

 ☆1955年 1万台。
 ☆1960年 5万台。
 ☆1965年 10万台。
 ☆1975年 25万台。
 
 20年間に25倍に増えている。それにしてもアトラスピアノの発展は見事でこの倍率を遙かに上回ったものである。
 日本のピアノエ業は、数字で見る限り、過去20年間に順調に伸びてきたように思えるが、1963年頃に一時的な不景気が到来し、中小のピアノメーカーが次々と倒産する事態を生じた。その原因はほとんど物品税の脱税によるものであったという。しかし頼金社長け陽気で明るい性格の反面、脱税などには極めて厳格であったため、発展途上の生産拡大によるロスの危機を見事に乗り切ったのである。
 新設工場の特徴新しく建設された仕上工場は、さきに述べた通り最も近代的に設計されたもので、水村武治製造部長が、豊富な経験により智恵の限りを絞り出したものだけに、次に述べるような特徴を備えている。
 
 (1)
   一貫作業を目的とする。つまりあらゆる部分を自社生産できるようにし、外注をさけ、響板、木工部品、鍵盤その他の大半を自社生産する。
 (2)
   製品の精度を保つため機械加工を重視し、最後の調整だけを手加工に頼る。
 (3)
   製造中の加工品の運搬方法を極度に合理化する。ピアノは元来図体が大きく極めて重いものなので、生産・工程で移動する場合に意外なエネルギーと時間を浪費するものであるが、この新工場では、二階であるにもかかわらず、リフトやコンベアーを駆使してトランスポートのエネルギーと距離を極限まで節約している。これは製品のコストダウンに大きく影響するという。

 なお、アトラスピアノを特徴づけ、その性能と音質を優れたものにする製造工程としては。次のアクションと響板の特殊なプロセスがある。

 アクション アクションはピアノの心臓部といわれ、その機械的機構の精密さが最も大切なものであるが、この工場では独特な優れた自動機によって加工されている。この精密な木工自動加工機は、ブラザーエ業の技術で作り出され、プラス、マイナス、100分の5ミリの高度な精度がでるすばらしいものであるという。ブラザーエ業のミシンやタイプライターを製造するための高度な技術が移されているのである。
 アトラスピアノは1969年にブラザーエ業株式会社と業務提携している。この業務提携は、資本、技術および販売などのすべての分野にわたるもので、特にアクションの製造部門は、他業界の特殊技術を導入することにより飛躍的に合理化され精度が向上したといわれている。
 アトラスピアノのタッチの明快さ(特にアップライトの場合)は、このアクションの部品の精度が極度に高く、しかも、ジャックスプリング、ダンパーレバーおよびバットスプリングが特別に調整してあるためであるという。
 
 響板 響板 は、ピアノの音質を決定する最も重大な役割を果すものである。伝え聞きなのでハッキリとはわからないが響板の製法には次のヨーロッパ式とアメリカ式の種類があるという。
 
 ☆ヨーロッパ式ー響棒の下部にRをつけ、これに、常温で、響板を治具で圧着し、その後に響棒の両端を削る。
 ☆アメリカ式ー響棒の下部と両端をあらかじめ削って仕上りの形状にし、響板を極度に乾燥した後、常温で響棒に圧着する。
 
 この両者を比較した場合、次の差異を生じると聞く。
 
 ☆ヨーロッパ式ー製造工程の上で手数はかかるが、常温で接着するため狂いがなく、クラウンのRが正確で、音の安定度が高い。特にわが国のように多湿で気候の変化が激しい場合、この方法によると音質が急激に変化
する危険性が少ない。
 ☆アメリカ式ー製作法は簡単であるが、木材の含水率の変化によってクラウンが湾曲する危険がある。特に最初に響棒の両端を削るため、圧着の際に響棒の両端の反発力が弱くなり響板の力に負けて正確なRがでない。大量生産のピアノの多くはアメリカ式の製法によって響板が作られるが、アトラスピアノでは音質の安定を計るために、生産性を無視してヨーロッパ方式を採用しているという。
 
 タッチとダイナミックレンジ アトラスピアノの。特にアップライトの場合、タッチとダイナミックレンジは極めて優れているといわれている。しかし。ピアノの弾き心地の良さ、つまりいかに奏者の感情表現に答えてくれるかということは。音質、音のレスポンスとディケイ、タッチ、ダイナミックレンジ、pp~ffによる音色の変化および周囲の環境その他さまざまな条件の総合によって決まるもので。電気的な測定器の表わす各個のデータによって即断できるものではないであろう。
 その例証としては、「グランドピアノのキーのタッチは、物理的に測定した場合はアップライトより重いといわれるが、実際に弾いてみると軽く感じられる」などがあげられている。
 
 音質 アトラスピアノの音質は、中谷孝男氏が“伝統的なウィーンの響きを持つ”と高く評価されているように、専門家に定評のあるものである。
 しかし、説明によれば、優れたバイオリン同様、エイジング(経年変化)による音の成熟を考慮して作られているために、新しい楽器ではやや物足りなさを感じるが、弾けば弾くほど重厚で華麗なクラシック音楽にふさわしい音色となるという。
 
 グランドピアノ アトラスピアノのグランドは1960年から作られているが、いずれもオリジナルデザインで、その機能も独創的な優れたピアノである。
 グランド3種のうちのアトラス家庭用グランドピアノAG15は、合理的なフレーム設計によって、全音域にわたって張力のバランスが良く、フレーム単独でも設計総張力にプラス3千キログラムの荷重実験に耐えられるという。豊富に使用された木材の支柱は、さらにピアノ全体の耐久力を増加し、音を安定させる高い安全率を持っている。
 共鳴体に極めて良質の材料が使用されており、響棒のアフターカット工法、理想的な響板クラウン発生方式、薄型駒の採用などで、響板が極めて有効に振動するようになり、音量および音の持続性の向上が実現した。
 アッパーブリッジには真鍮丸型ブリッジの嵌合方式を採用しているので各弦ともブリッジの安定が極めてよく、高音域の音がそろってピッチの保持がよく一層ブリリアントな音になっている。中音域から高音域に移ろ駒の配置には、数多くの実験から最も有効な位置を見つけ出してセットしたので音階の流れがスムーズになった。なおダンパーフインを直線上に配置した打弦ラインに最も近接するように設計されているので止音効果は一層向上したのである。
 このクラスでは最も長い弦の構成(設計)のため、音質がより鮮明になり、大石だけ三段開きで、目的に応じて多様な使い分けもできるようになっている。
 
 海外での評価 アトラスピアノは輸出に相当力を入れている。1978年頃より、イタリア、フランス、ドイツ、スイス、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、台湾、シンガポール、マレーシアなどに、アトラスモデルNA5C型を中心に、NA101型、NA202型の出荷を始め、現在では年間生産台数の約20%を輸出に向けている。評価の酷しいフランスの楽器の専門誌でもアトラスピアノの評価はまずまずのようである。

アトラス ag.png
                     [画像]アトラス AG8 191㎝





改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


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