楽器の事典ピアノ 第6章 日本の主要ブランド一覧  2 西川ピアノ

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[画像]メーソン・アンド・ハムリンのパーラー・オルガン。西川オルガンもこれに近いすばらしいストップつきの楽器を多数製造したと伝えられている。

わが国のピアノ製作のあゆみ

創世期の先駆者たち

西川ピアノ


  西川ピアノの創立者である西川虎吉氏は、1846年に千葉県周准郡常代村で伊藤徳松氏の二男として生まれ、若い頃は三味線作りの職人であったが、後に西川家の養子となって横浜に移り住んでいる。
 彼は横浜でドイツ人のドーリングに調律の方法を習い、1885年に西川オルガン製作所を横浜駅西口の鶴家町(現在の浅間町付近)に設立し、日本で最初のオルガンを作り出した。彼のピアノ製造に関する記録はほとんど伝えられていないが、1867年頃、当時横浜で楽器とその部品の輸入商であったアレキサンダー・クラークの扱うピアノ、オルガンの修理、調整を手伝い、なお、外人技術者のクレン(英)およびカイロ(独)のもとで七年間の修業をして、調律、製作の技術を身につけたとも伝えられている。
 ピアノ調律界の元老であった故沢山清次郎氏の生前の記録によると、日本のオルガン製作の元祖は西川虎吉氏で、山葉寅楠氏がオルガンの製作を開始したのは1887年であるという。しかし、アメリカの文献によると日本で最初にオルガンを製作したのは山葉寅楠氏で、1885年に作り出されたと書かれており、どちらが正確なのかは不明である。
 西川ピアノは1916年から1921年までピアノを作り続けてきたがアップライト、グランドの双方とも、当時としては品質が優れたものであったという。なお、その生産台数については全くわかっていない。同社は1921年に日本楽器製造(株)に買収され、工場は日本楽器横浜工場となり、もっぱらステンシル(販売店の指定ブランドで作るピアノ)を作っていたが、1936年頃閉鎖した。
 虎吉氏の一人息子であった西川安蔵氏も二代目としてその事業を受け継ぎアメリカのエステイ社に留学して、1929年頃、この会社が日本楽器に吸収されるまでピアノ製作に努力されたというが、その業績その他については何も記録が残っていない。




 
改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


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