楽器の事典ピアノ 第3章 世界の代表的ブランド 欧米遍 ジョン・ブロードウットの登場

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世界的な名声を勝ち得た名器とその系譜
 

ジョン・ブロードウットの登場

  ここでブロードウッド・アンド・サンズの創始者であるジョン・ブロードウッドが登場する。彼は一七三二年にスコットランドのコックバーンズで生まれ、一七五二年にロンドンに移っている。ジョンは指物師であったため、究極的にシュディの工場で働くことになった。腕もよかったのであろうが、彼はその主人であるシュディと比べて、優るとも劣らぬ取り入りの達人であった。彼はシュディの全幅の信頼を受け、そのパートナーとなるだけでなく、工場の名称もシュディ・アンド・ブロードウッドと変えさせた。
 シュディは音楽家たちやフレデリック大王にまで取り入るという秘芸を発揮したが、この点ではジョン・ブロードウッドのほうが優っていた。彼はマスターの娘であるバーバラのハートを盗み、一七六九年にめでたく結婚している。この時シュディは仕事から引退し、そして、その四年後の一七七三年八月十九日にこの世を去った。
 シュディの死後、シュディ・アンド・ブロードウッドのブランドはしばらくの間用いられたが、一七九五年に息子のジェームス・シュディ・ブロードウッドがパートナーに加えられた際にブロードウッド・アンド・サンと改められ、さらに、一八〇七年に次の息子のトーマスが加わった時に、現在用いられているブロードウッド・アンド・サンズの商標が定められた。
 ジョン・ブロードウッドは、シュディの家系も継いだが、彼の残したチェンバロ製作の偉業もさらに見事に引き継いだ。
 彼は数々のすばらしい発明を成し遂げるほどの優れた頭脳を持ち、商才にたけ、さらに社交術についてまたとない才能を持ち合わせていた。そのため、彼の家には音楽家を始めとするあらゆる芸術家、発明家および上流階級の知識人などが集まり、彼の仕事の発展を支持したと伝えられている。
 ジョン・ブロードウッドは、シュディがこの世を去った一七七三年に、最初のピアノを作っている。この楽器は、ツンペのピアノをコピーしたスクエアピアノで、クラビコードに毛の生えたようなものであった。彼はこの楽器にあきたらず、一七八〇年には、彼の設計によるオリジナルのピアノを完成している。これはラウドペダルとソフトペダルを備えたもので、現在の標準的な二本ペダルのピアノの元祖である。
 なお、このペダルの方式は、一七八一年に作られた最初のグランドピアノにもつけられ、一七八三年にパテント申請が出されている。さらにブリッジその他に関するパテント申請も次々に出された。
 彼はその頃の楽器メーカーが守っていた経験主義を排し、音響学者の協力を得て、近代的なピアノの開発に全力を傾注した。ブロードウッドのピアノが最古の歴史を誇る一方、最新の機構を備えているということは二百年も前にこの創始者によってつちかわれたのである。
 なお、当時のビルトゥオーゾであり作曲家であったムツィオ・クレメンティもブロードウッドのピアノの改良に尽力したという。
 ジョン・ブロードウッドは、一八一二年に、その幸福で多彩であった生涯を閉じている。
 二代目は息子のジェームスが継いだ。彼はその祖父と父が築き上げたすばらしい音楽的環境のもとで育ったために、理想的な後継者として事業を発展させていった。
 なお、音楽家や高貴な人々を大いに接待したのはその血統通りいうまでもないことであった。土曜日の夜ともなると、これらの貴人たちがぞろぞろとブロードウッドの家に集まり、豪華な晩餐会が催されたという。宣伝もPRもほとんどない時代であるから、この接待の効果は莫大なもので、ブロードウッドのピアノの名声はヨーロッパのあらゆる国々に知れ渡った。
 ベートーベンも、その頃、彼のスポンンサーであったナネッタからピアノを贈られたり、さまざまな援助を受けていたにもかかわらず、ブロードウッドのピアノを賞めざるを得なかったと伝えられている。
 三代目は創始者の孫であるヘンリー・フォーラー・ブロードウッドが継いだ。一八三四年のことである。彼は発明家としての特殊な才能を備えており、幾多の貴重な改良を行って、ブロードウッドのピアノの歴史の上にさらに輝かしい光彩をそえた。この頃、ショパンはイギリスにおける最後のリサイタルをブロードウッドの家で行っている。
 ヘンリー・フォーラー・ブロードウッドは五十年もの長い間、三代目の役割を充分に果し、一八九三年に八十二歳でこの世を去っている。
 ブロードウッドの歴史はあまりにも長いので、一代一代をたどっていったら大変なものとなる。四代目以降は簡単に紹介しておこう。
 一八四〇年にウォルター・スチュアートとトーマス・ブロードウッドがパートナーとなり、一八五七年にジョージ・トーマス・ローズとフレデリック・ローズがパートナーになっている。一八八三年にはジョージ・トーマス・ローズが加わり、一八九四年には支柱のない鉄骨の発明者として有名なジェームス・ヘンリー・シュディが参加、同じ年にヘンリー・フォーラー・ブロードウッドの孫であるドップスが仲間に入っている。
 これで一気に二十世紀まで到達したわけで、現在のチェアー・マンのキャプテン・エブリン・ブロードウッドは、元祖のシュディから数えて七代目か八代目に当るだろう。
 ブロードウッドは、以上述べたように世界最古の歴史を誇るピアノメーカーであるが、その経営者の頭脳はいずれの時代においても常に新しく、その伝統を守りながらも「古きを捨てて新しきを採る」という進歩的な生産方針を継続してきた。
 道具による手工的生産方式から機会による大量生産にいち早く切り換えたのを初めとして、イギリスにおける最初の完全自動ピアノの開発、熱帯地方向けの特殊ピアノ、学校用ピアノの製作など、常にピアノ工業の先導役を果したのはこのブロードウッドなのである。
 ブロードウッドのピアノの優秀さは今さら説明する必要までもない。このピアノは、王ジョージ二世(一七二七~六〇年)の治世から今日に至るまでの二百年余り、引き続いてイギリスの王室用として指定されているといえば充分だろう。なお最後に、この楽器はその品質から考えた場合価格があまり高くないことをつけ加えておこう。

 

改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


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