楽器の事典ピアノ 第3章 世界の代表的ブランド 欧米遍 〈イギリス〉ブロードウッド

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世界的な名声を勝ち得た名器とその系譜
 

ブロードウッド

  ブロードウッドはイギリス最古の歴史を持つピアノであるが、けだし世界で最も長い伝統を誇るピアノであるともいい切れるだろう。十八世紀初頭のシュディのチェンバロの工場から始まる長い歴史をたどれば、それがそのまま鍵盤楽器の歴史になるし、また音楽史ともなり得るほどのものである。この会社の年代史をひもとけば、ヘンデルを初めとして、ベートーベン、ショパン、およびリストなどの大音楽家たちの名がずらりと並ぶ。
 ブロードウッドの元祖はバークハルト・シュディというチェンバロのメーカーであった。シュディの一七〇二年三月十三日に、スイスのシュバンテンで生まれた。彼は家具を作る技術を持っていたいので、自分の特技を生かそうと思い、一七一八年にロンドンを訪れた。幸いなことに、間もなくサランダースのチェンバロのメーカーであるタベルに雇われ、十数年の苦労のあげくその特殊の技術を覚えて、一七三二年にグレード・プルテニイ街の三十三番地にチェンバロのメーカーとして独立した。この場所に、後にブロードウッド・アンド・サンズが、一九〇三年までつまり百六十二年もの長い間、その有名な事務所と展示場を持つことになるのである。
 このシュディの家には“天才児”といわれた若い頃のモーツァルトが訪れ、シュディがプロシャのフレデリック大王のために作ったチェンバロで練習したと伝えられている。
 シュディは、スイスから来たため、バークハルト・チュディという呼びにくい名前だったので、独立を機に英語流にバーカット・シュディと名前を変えた。彼は、極めて優れた技術を持っていたが、商売上でも、また自己宣伝の上でも、まことに抜け目のない男であった。シュディはロンドンを訪れる有名な音楽家を丁重にもてなして次々と親交を結び、遂に偉大なヘンデルに取り入って、自分のチェンバロをイギリスの貴族にすすめてもらい、果てはイギリス宮廷の御用商人となるコネクションまで引き出したという。大作曲家のハイドンもシュディの家に入り浸り、自分の家のような気持ちで、多くの曲を書き上げたといわれている。
 英語では他人に取り入ることを「心を盗む」と表現するが、シュディは抜け目なく心を盗む名人で、音楽家だけでなく、当時、飛ぶ鳥をも落す勢いであったプロシャのフレデリック大王にまで取り入った。大王がプラーグの戦いに勝った時に、プロテスタントの誓いとしてチェンバロを一台贈呈し、そのほうびとしてフレデリック大王の肖像が彫り込まれた指輪をもらっている。
 このことがきっかけとなって、一七七六年にはポツダムの新宮殿に納入する二台のチェンバロを受注し、次いで大王自身にさらに一台、当時の金で一千ポンドという莫大な金額で売りつけている。シュディはフレデリック大王の心を盗むことによって名声と利益の双方を獲得したのである。
 ただし、これらの話は、アメリカのピアノメーカーが書いた記憶であるから、多分にヤッカミがこめられているのかも知れない。

 

改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


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