楽器の事典ピアノ 第3章 世界の代表的ブランド 欧米遍 グロトリアン

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世界的な名声を勝ち得た名器とその系譜
 

グロトリアン

グロトリアンはスタインウェイと血縁にあたるピアノの名器で、スタインウェイがアメリカで最高のピアノと断定できるならば、グロトリアンはドイツにおける最も優秀なピアノの一つといいきることができよう。
 グロトリアンの発祥はスタインウェインのピアノ誕生と密接なつながりを持つ。これを説明するためにはヘンリー・スタインウェイの初期の歴史に戻らなければならない。
 スタインウェイ・アンド・サンズの生みの親である初代のヘンリー・スタインウェイは、当初はドイツ人で、ハインリッヒ・シュタインウェヒと呼ばれていた。彼は当時、シーセンに住んでおり、一八二五年に結婚した。その時、彼は新婦に彼が最初に製作したピアノを贈っている。しかしこのピアノは、彼らが貧乏であったため売りに出されることになるが、楽器の性能がすばらしかったために、たちまち買い手が見つかって売れてしまった。
 彼はその後、苦節十数年、パイプオルガンなどの修理で糊口をしのぎつつ、一八三九年に、ブランスウィックの博覧会にグランドピアノ一台とスクエアピアノ二台を出品した。これらの楽器は極めて優れた性能を持ったもので、当時の審査委員長であった有名な作曲家のアルベルト・メスフェッセルが、最高賞であるゴールドメダルを与えたと記録されている。このグランドピアノはブランスウィックの君主が買い上げ、当時の金額で三千マルクを支払った。 
 スタインウェイのマスターピアノのメーカーとしての地位と評判はこのようにして確立し、一八四〇年代には息子のテオドール、チャールスおよびヘンリーを加え、さらに従業員も増えて将来の見通しはバラ色となった。
 ところが、運悪く一八四八~四九年のドイツの政情不安と革命は、彼らを苦境に落し入れると共に、次男のチャールスを急進派、つまり革命家的思想に追いやり、彼はそのためスイスに逃がれ、次いでパリおよびロンドンを経て一八四九年五月にニューヨークに移民し、これが動機となってスタイウェイ一家はシーセンの工場を捨てて、一八五一年に新天地であるアメリカに自由を求めて移住した。
 このスタインウェイ一家の歴史が、グロトリアンのピアノの発祥の由来につながっていくのである。スタインウェイ一家がハンブルグの港を出発したとき、長男のテオドールだけはドイツに残った。その理由は彼に恋人がいるからだといわれているが、彼は単身でシーセンのスタインウェイの工場を守り、その後、このピアノ工場をウールフェンビュッテルに移し、さらにこれをブランスウィックに移転させた。
 しかし、一八六五年にニューヨークのスタインウェイの大規模な工場が完成した時に、彼はドイツとアメリカとの往復に忙しくなり、ブランスウィックの工場を、彼の弟子であるグロトリアン、ヘルフェリッヒおよびシュルツの三人に売却したのである。当時、このピアノ工場は“テオドール・シュタインウェヒ・ナッハホルゲル”と呼ばれていたが、これがやがてグロトリアン・シュタインウェヒというピアノメーカーとなるのである。 
 テオドールの三人の直弟子のうちの筆頭であったフリードリッヒ・グロトリアンは、一八〇三年に生まれているが、若い頃、モスクワの優れたピアノメーカーで腕を磨いた。グロトリアン・シュタインウェヒの最初のピアノは、一八三五年に、スタインウェイの元祖であるハインリッヒ・シュタインウェヒと、このフリードリッヒ・グロトリアンの共同によって作りだされたスクエアピアノであったという。この楽器は名人中の名人二人が作り出したものであるから、逸品中の逸品で、グロトリアン・シュタインウェヒの名声を一挙に世に広めたと記録されている。
 一八七二年に、ブランスウィックのシュタインウェヒとニューヨークのスタインウェイは完全に分離している。一八六六年に、その七年前にこの世を去った初代のフリードリッヒ・グロトリアンの後を引き継いで、ウイリアム・グロトリアンが工場の専有者となり、一八九五年には、彼の息子のウイリーとクールトがパートナーとなった。
 ウイリアムは一九一七年に死亡しているが、第一次世界大戦以降はホルツミンデンにも工場が作られ、グロトリアン・シュタインウェヒの楽器はドイツの最優秀なピアノとして、今日までその名声を保ち続けている。この楽器は音色が卓越していることはいうにおよばず、グロトリアン一家の伝統的な優秀な木工技術によって作り出されたその姿の優美さにおいても広く世に知られている。
 ドイツの有名な女流ピアニストであったクララ・シューマンは、一八七〇年以降、彼女の永くて輝かしい演奏活動の最後まで、このグロトリアン・シュタインウェヒの楽器を使い続けたという。なお、ロバート・シューマン以外の多くのドイツのピアニストがこの楽器を選んでいる。
 グロトリアン・シュタインウェヒのピアノの、華麗でしかも純粋で、例えようのもない情感のある音色の秘密は、次に述べるような数々の構造上の特徴にあるという。

☆ホモジェナンスサウンドボード ホモジェナンスサウンドボードとは日本語に直すと“均等な品質を持つ響板”ということである。グロトリアン・シュタインウェヒのピアノは、この特殊なサウンドボードを持つために音質が大変優れているといわれている。弦楽器ではサウンドボードが最も大切で、音質を左右することはいうまでもない。
 サウンドボードは多くの木片を組み合わせて作り上げるが、グロトリアン・シュタインウェヒのピアノに使われる響板の木片のそれぞれは、全く同じ性質を持っている。つまり、いずれも同一の音響特性を持っているのである。
 伝統的なピアノの製作技術では、この響板の木片のそれぞれの性質を一致させるために同品種の木材を使い、さらにこれを完全にするために、同一の年齢の木、つまり一本の同じ年輪層の部分の木片、あるいは同じ生育度の木片を集めるという方法でその目的を得ようとしてきた。この方法によれば、木材の種類と年齢という点においては均一性が得られるが、音響特性が一致するかどうかには大いに疑問があった。
 現在では音響特性が科学的に測定できるので、グロトリアン・シュタインウェヒでは、木材の品種の違い、あるいはその樹齢などは全く無視して音響特性つまり音に対する共鳴度、あるいは反応度の同一な木片を集めて音響的に完璧なホモジェナンスサウンドボードを作り上げている。

☆バイオリンテクニック グロトリアン・シュタインウェヒのピアノ工場の持つパテントの一つとしてバイオリンテクニックという、まるでピアノとは関係なさそうな名称のものがある。
 これは、バイオリンの形態と機能をピアノに適用したためにつけられた呼び名らしく、フレームとサウンドボードの形態をバイオリンの胴形に真似たもので、この方法により、全音域にわたる完全な倍音を含んだサウンドボードの振動が得られる。

☆打原点 ピアノの音色と音量はストライキングポイント(打弦点、ハンマーが弦のどの部分を叩くかということ)によって変るが、このピアノではそれぞれの弦に対して打弦点が何分の一であるかということが正確に調整してあり、全音域のすべての音が最も美しくなるようにアジャストしてあるという。これをクロマティカリー・レギュレーテッドスケールと呼んでいる。
 なお、その他の特徴としては、サウンドボードの外側だけにネジ止めされたバランスの優れたメタルフレーム、構造の安定度を高くし、音程の狂いを防止する特殊な形状を持つブレーシングなどがある。グロトリアン・シュタインウェヒのピアノでは、ピアニッシモのささやくような音を出すことも可能なように、あらゆる機構の細部にわたって特別な注意が払われており、例えば奏者のタッチの確実性を計るために、黒鍵の上部の形態を変えているなどの意外な改良がなされているという。
 グロトリアン・シュタインウェヒは、一九八〇年にその名を“グロトリアン”と改め、現在もなお、各種の美しい優れたピアノを作り続けておりわが国におけるエージェントはバイオリンの輸入で知られている大阪の丸一商店であり、総発売元は丸一ピアノハープ社である。

 
改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


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