楽器の事典ピアノ 第3章 世界の代表的ブランド 欧米遍 世界的な名声を勝ち得た名器とその系譜 ヨーロッパのピアノ〈ドイツ〉ベヒシュタイン

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世界的な名声を勝ち得た名器とその系譜

ベヒシュタイン

 ベヒシュタインはピアノのストラディバリウスとよばれる名器で、ヨーロッパでも屈指の優れたピアノということができよう。
 ベヒシュタインは、幾多のドイツの著名なピアノメーカーの中で比較的歴史は短い。その創始者カール・ベヒシュタインは、一八二六年に生まれているが、古代のドイツ民族の一つであるチューリンジア人の血統を引いたためか、生まれつきの詩的で音楽的才能を持っていた。そのため、いつのまにかピアノのメーカーとしての職を選び、二十二歳の若さで、当時ベルリンで最も有名だったペローというピアノ工場の支配人を勤めている。
 彼はペローの工場で四カ年間忠実に働いた後に、イギリスとフランスに放浪の旅に出かけ、有名なパペから経験主義的なピアノ製造の秘法を学び、クリーゲルシュタインという当時の小型ピアノのメーカーから商売上のかけひきをおぼえて、その見識を広めたという。その後、一八五三年ベルリンで創業、一八五六年に最初のグランドピアノを作りあげた。カール・ベヒシュタインの作ったこのピアノは、同じ年に、当時の有名なピアニストであり指揮者であったハンス・フォン・ビューローの演奏会に使われ、このリストのソナタを弾いたコンサートで一躍名声を博した。ハンス・フォン・ビューローは、「ベヒシュタインは、ピアニストにとってバイオリン奏者のストラディバリウスやアマティに価する」という言葉を残しているが、この楽器はさほどにすばらしいものであったのであろう。
 さらにさらに彼は「ベヒシュタインは今までに三台しか作られていないが、ドイツのグランドピアノで最高なものであることを確信する」と讃えている。ハンス・フォン・ビューローはワーグナーの「ニュールンベルグのマイスタージンガー」の歴史的な初演の指揮をつとめたほどの大音楽家であるから、ベヒシュタインは、やはりずば抜けて傑出したピアノであったのであろう。
 一八六〇年にベヒシュタインはワイマールのリストに自分のピアノを贈り、数々のピアノを弾きこわしたと伝えられるこのピアノの“魔神”からも、情熱のこもった推薦状を受け取っている。数年、リストがベヒシュタインに書き送った手紙に、次のような一節がある。
「私は、二十年もの長い間、貴殿のピアノを使い続けているが、いずれの楽器も全くその優秀さを失っていない」
 性能は抜群、音色は華麗きわまりなく、しかも堅牢この上ないというのであるから、まさにヨーロッパ一のピアノである。ただ一つ残念な点は値段が高いという点であろう。
 ベヒシュタインほど、数多くの音楽家から讃辞を贈られたピアノはなかろう。その誕生が一九世紀の半ばなので残念ながら、モーツァルトやベートーベン、シューベルトらはこの楽器に触れていないが、一九世紀半ばから現在に至るほとんどの著名な音楽家はこの楽器に対して惜しみない讃辞を呈している。その一つ一つを取り上げれば、このピアノの全ぼうが明らかになるが、残念ながら多過ぎるので省略して、次にこれらのピアニストバイオリニスト、指揮者および作曲家などの名前のみを羅列しておこう。
 グリーク/ドビュッシー/シュトラウス/パッハマン/レシェティッキー/ビューロー/サラサーテ/リヒター/ルビンシュタイン/ザウアー/バックハウス/ブリテン/フルトベングラー/シュナーベル/ケンプ/バルトーク/ホフマン/ブライロフスキー/ラフマニノフ/ゴドウフスキー/ブゾーニ/オイストラフ/etc。
 日本のピアニスト豊増昇氏も「ベヒシュタインの音色は、純粋で暖かくて優雅で、しかも堅実で強大で高貴である……いわば日本の伝統の絹のように」と讃えている。
 カール・ベヒシュタインは、極めて視野が広く、性質は温厚で、磁石のように人を引きつける魅力を持っていたので、あらゆる音楽家や高貴な人々に愛され、その仕事は驚くほど順調に発展し、彼が作り出したピアノの名声は世界のすみずみまで広がった。
 なお、ベヒシュタインは、いうまでもなく、一八六二年のロンドン工業博覧会でグランプリを獲得するなど。幾多の賞を得ている。このピアノは音色がノーブルなためか、世界各国の皇帝、皇后、プリンスおよびプリンセスなど、あらゆる高貴な人々に愛好され続けてきた。スタインウェイが演奏会用ピアノとして最高というならば、ベヒシュタインは世界の最も高貴なピアノといえるであろう。
 かつて、ベヒシュタインは世界の六十四カ国の王室に納入されていた。その中にはHis Imperial Majesty,The Mikado of Japanも含まれている。帝(みかど)などと記録されているからには、かなり古いことだろうが、現在も皇居の中にはこの楽器があるに違いない。
 カール・ベヒシュタインは、一九〇八年にその生涯を八十二歳の高齢でベルリンで閉じている。彼はピアノ工業が世界的に最も繁栄した時代に生きた、まことに幸運なメーカーであった。

 (注)ベヒシュタインが活躍した時代のドイツでは、当時、宰相ビスマルクが、輸出奨励のため国内産業の保護政策を採り、ドイツのピアノ工業は急激に発展し、一八六〇年まで世界一であったイギリスを抜いて首位に立ち、これがやがてコマーシャルピアノの出現によってアメリカに移り、最近ではわが国が世界第一のピアノ生産国になっている。ベヒシュタインの繁栄は、その後、彼の息子たちによって受け継がれた。第一次、第二次世界大戦で多大の戦炎をこうむりながらも、現在もベルリンにおいて、創始者カール・ベヒシュタインが生み出したすばらしい楽器が作り続けられている。
 音色を文章で表現することは不可能なことだが、ベヒシュタインのピアノは独特の“とろけるような、また歌をうたうような”、いわゆるベヒシュタイントーンを持っているという。この美しい音色の秘密は、特殊なサウンドボードの構造と、全音域にわたる完全なアグラッフェの採用にあると説明されている。カール・ベヒシュタインは、近代的音響学が発達して倍音の原理が解明される以前に、パペから学び取った経験主義に自らの音楽的才能を加えて、この比類なく美しい音色を創り出したのである。
 ベヒシュタインの工場では、一八八三年には、従業員が五百人で年間千二百台のピアノを作っていたが、一九一四年までには千百人で五千台を生産するまでに発展しており、第二次世界大戦までに十五万二千台のピアノを作り上げたと記録されている。

(注)第二次世界大戦以前には、(世界一のピアノ)といわれ、日本でも絶大な人気のあった、このベヒシュタイン・ピアノは現在タイヨームジークジャパンによって輸入されている。この会社は、1987年に、ベヒシュタイン、ザウターの日本総代理店として設立されたものである。
 ベヒシュタイン社は、ドイツの敗戦により壊滅的な打撃を被むったが、三年ほど前にその経営権をアメリカ資本からドイツ人の手にとりもどして完全に復旧した。
 この楽器は、ドイツのすぐれたマイスターによって作りだされ、その音色は宝石にたとえられたり金木犀の香りに似ているなどと言われているが、昔から世界で最も高貴な楽器として称えられてきた。



 
改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


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