世界的な名声を勝ち得た名器とその系譜
その他のフランスピアノ
十九世紀には、以上述べたエラールやプレイエルの他に、数多くの優れたフランスのピアノが作り出された。これらのうちには名器とはいいきれぬものもあるが、以下、その主なものを列挙してみよう。
☆ヘルツーーこのピアノを作ったヘンリー・ヘルツは、クレメンティ、クレマー、カルクブレンナー、およびプレイエルと同様、ピアノの名奏者であった。彼は一八〇六年にウィーンで生れているが、わずか八歳で演奏会を開き、十歳の時にコンサルバトワールの生徒となり、十二歳の時に最優秀賞を獲得している。彼は作曲家としても優れており、欧米を初めとしてメキシコおよび西インドにいたるまで演奏旅行をし、その後パリで素晴らしいピアノを作り出している。最後にコンセルバトワールの教授となっているが、彼の開発したエラールのアクションを単純化したグランドピアノは、芳醇で洗練された音色をもち、その音域の均等さとタッチの素晴らしさとでは抜群の楽器で、当時のフランス王妃用のピアノとして指定されていた。
☆パペーーこのピアノの創始者であるヨハン・ハインリッヒ・パペは、一七八九年に、ドイツで生れ、イギリスでピアノの製作技術を学び、さらにプレイエルの工場を受け持ち、やがて独立している。彼は才気煥発な人物で、ピアノのパテントも百二十種類も出し、有名なカール・ベヒシュタインを弟子として育て上げているが、才能が余り過ぎて、円形や六角形の奇妙なピアノを作り、一時はパリ随一の巨大な工場を持っていたが、晩年はあわれな貧乏人としてこの世を去っている。
☆ガボーーーガボーの名は、エラールやプレイエルと共に、わが国でもわりあい知られているが、当時のクリーゲルシュタインおよびアントニー・ボードと共に、小型ピアノを主として作っていた。創始者のジョセフ・ガブリエル・ガボーは、一八二四年に生れ、一八四七年にこのピアノ工場を設立しているが、アクションを改良し、ピアノの音量を増大することに成功したという話が伝えられている。
▶︎▶︎▶︎
▷▷▷楽器の事典ピアノ 目次