楽器の事典ピアノ 第2章 黄金期を迎えた19世紀・20世紀 6 自動ピアノ

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[画像]バレルピアノの機構

自動ピアノ

 わが国では自動ピアノはあまり知られていない。しかし、20世紀の初めにはメカニカルインストゥルメント、つまりオルゴール、自動オルガン、音楽人形、自動オーケストラ、自動ピアノなどの自動演奏楽器が流行し、現在のジュークボックスやステレオ、テープレコーダーの役目を果たしたのである。自動ピアノには次に述べるようなさまざまな種類のものがあった。

 バレルピアノ この楽器は古くからあったバレルオルガンと同じ原理で鳴るもので、オルゴールに似た大きいシリンダーを回転させて、表面の角(つの)でハンマーをはじく方式のものであった。1880年代から1910年頃まで、今日のジュークボックスのように、街頭の貸出用、あるいは娯楽場などで使われたもので、ハンドルを手で回すものと、硬貨を投げ入れると自動的に鳴るものと二種類あったが、ごく狭い音域しか演奏できないものであった。
 1805年にこれより更に高級なマンドリンストリートピアノという楽器が作られた。これはマンドリンのトレモロのような断続音が出せるという特徴があった。

p642g.pngバレルピアノ


 コイン式の電気ピアノ ニッケル・イン・ザ・スロット・エレクトリックピアノという長い名前のピアノで、1900年から1930年にかけて多く作られた楽器である。その名の通り、ニッケル硬貨を細長い穴の中に入れると鳴り出すもので、アメリカで広く流行し、短い曲は5〜10セント、長い曲は20セントであった。

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コイン方式の自動ピアノ "ニッケロディオン"などとよばれ、当時のキャバレーやバーなどで使われていた。



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1920年代は自動ピアノの黄金時代で、アメリカの50%以上のピアノがプレイヤーピアノとなり、そのピークであった1923年には年間19万7000台が販売されたと記録されている。自動ピアノの中でも最も優れていたのはレプロデューシングピアノで、、ピアニストの演奏がロールペーパーへ録音でき、これを再生再生することができた。この方式の楽器ーー現在のデジタル方式のピアノコーダのようなものーーがあったため、当時の名奏者の演奏が、不完全ながら現在まで残されている。写真はレプロデューシングピアノの複雑なメカである。


 ピアノプレイヤー
 ロール紙による自動演奏装置で、ピアノに取り付けて使われたものである。このアタッチメントのような装置が使われたのはごくわずかの期間で、1895年から1905年までのわずか10年間であった。このピアノプレイヤーを楽器のケースに内蔵したのが次のプレイヤーピアノである。

 プレイヤーピアノ これが一般に自動ピアノと呼ばれる、ロール紙による自動演奏装置を内蔵した楽器である。ロール紙による自動演奏装置を最初に作り出したのは、フランスのリヨンのクロード・フェリックス・シートルで、彼は1842年に厚紙による自動演奏法のパテントを取っている。
 現在使われている、薄い穴のあいたロール紙による方法は、1848年にスコットランドのアレキサンダー・ベインがイギリスでパテントを取っている。ニューマチック方式の自動ピアノを作り出したのはフランス人のフールノーで、1863年に特許を取った。彼はこのピアノを"ピアニスタ"と名付け、相当多量に販売したらしい。つまり、自動ピアノはフランスで誕生したのである。
 なお、このプレイヤーピアノが全盛を極めたのは1900年から30年にかけてのアメリカで当時、エオリアン社が"ピアノラ"とい商品名で大量に販売したので、自動ピアノは別名で"ピアノラ"と呼ばれるようになった。
 アメリカにおける自動ピアノのニューマチックアクションのパテントは1897年にボーティが取っている。

再生ピアノ 再生ピアノという言葉が適当かどうかは疑問であるが、本来はリプロデューシングピアノと名付けられたものである。この自動ピアノはプレイヤーピアノが進歩したもので、主としてアメリカで作られ、ベルテ・ミニョン、デュオ・アート、アムピコの"ビッグ・スリー"が有名で、1907年から30年にかけて栄えた楽器であった。これらはちょうど現在のテープレコーダーのように、ピアノ奏者の演奏を忠実に再生できるものであった。つまり、複雑な装置により、テンポの変化、音色の変化、音の強弱、フレージングなど、演奏者の音楽的表現の全てが正確にロール紙に記録され、これがそのまま再現されたという。
 この再生ピアノにより、蓄音器のなかった時代に、当時の名演奏者であったラフマニノフ、パデレフスキー、ホフマンなどの多くの人びとの演奏が記録され、そのいくつかは現在まで残されて貴重な資料となっている。
 しかし、この再生ピアノの再生装置は耐久性がなく、しかも楽器自体の価格が普通の自動ピアノの二倍から数倍していたので、その後に発明された蓄音器とラジオによって駆遂されてしまった。
 当時のプレイヤーピアノの生産台数は驚異的なものであった。ある本の記録によると、1869年にはメーカーが50社で、世界中の年間生産台数が2万5000台、これが1910年には200社、35万台という驚くべき数字を示している。そのピークは1920年代の初めと言われているから、その頃の自動ピアノの生産数は、現在の全世界のピアノのアウトプット(生産高)に匹敵するほどのものであった。
 19世紀の終りのピアノ産業は、不景気のために伸び悩んでいた。
 しかし、これを急激に隆盛に導いたのは、20世紀の初頭から普及し始めた自動ピアノであった。特に第一次世界大戦とその後の数年間は自動ピアノの黄金時代で、その生産数は普通のピアノを超えるという異常な現象が起こった。
 次の表は当時のアメリカの両者の生産台数を比較したものである。

普通ピアノと自動ピアノ生産台数

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 自動ピアノが出現するまでの一般家庭のピアノは、"家庭の守護天使"の役目を果たすはずであったが、実際には女性の楽しみとしてたまに弾かれるぐらいで、ほとんどがステイタスシンボルとしての道具であった。
 そこへ、無骨な一家の主人でも自由に、しかも見事に鳴らすことのできるピアノが現れたのであるから、その需要は爆発的に拡大したのである。
 なお、1920年頃までには、当時の多くのピアニストが再生ピアノに録音し、さらに自動ピアノとオーケストラの協奏曲、自動ピアノの伴奏による独唱あるいは自動ピアノのデュエットなどのパブリックコンサートも開催されたという。現在のカラオケ以上の珍妙な演奏会であったであろう。
 自動ピアノの隆盛は1923年を頂点とし、その没落は急激に始まった。1935年頃には600ドルのものが25ドルに投げ売りされるという状態に至ったのである。
 その理由としては、活動写真の流行、自動車の普及などがあげられているが、音楽的に考えた場合、より多くの範囲の音楽が楽しめる蓄音器とラジオの出現が急激な影響を与えたと考えるのが至当であろう。
 なお、この自動ピアノについては第11章において詳述する。




改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


▶︎▶︎▶︎第2章 黄金期を迎えた19世紀・20世紀 7 コマーシャルピアノ

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