楽器の事典ピアノ 第2章 黄金期を迎えた19世紀・20世紀 5 19世紀・20世紀の発達段階におけるピアノの多様化 変則的なピアノ

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[画像]二段鍵盤のピアノ プレイエルが作ったハンスシステムの二段鍵盤式ピアノ、クロマティックの曲が容易に演奏できるものであったが、重さは2倍で値段も高いため、現在ではほとんど弾く人はいない。

19世紀・20世紀の発達段階における
ピアノの多様化


 すべてのアカデミックな諸楽器は19世紀末までに発明しつくされ、また機能的にもほとんど完成されたといわれているが、ピアノもその例にもれず、19世紀の後半で急速に現在のような完成された姿となっている。
 新薬聖書の中のコリント書に、
「人間の体は数えきれないほどの部品が組み合わされてでき上がっている。そのため、どこかの一部が悪くなれば、当然、全部がダメになってしまう」という聖パウロの言葉が記されているが、ピアノも同様、複雑な機構で作られているために、その一部の故障は全体の生命を失わせてしまう。
 ピアノの数々の部品には、それぞれ難解な専門語が用いられていて、これらを学ぶことは極めて厄介なことであるが、ピアノという楽器の本質を知るためには絶対に必要なことである。19世紀においては、各国のすぐれたピアノメーカーが、近代的な完成された楽器を作り出すために、これらの部品の発明や改良に心血を注いだのであるが、その間において数多くの変則的なピアノ、つまり、邪道に走ったピアノも作り出されている。

変則的なピアノ

 ピアノの発達段階においては、さまざまな変わった装置を備えた楽器が作り出された。さきに述べたペダルの多くついたジラフピアノなどはその一例であるが、これらの楽器につけられたパーカッションのためのペダルのパテントは、1850年にフランスのピエール・エラールがイギリスで取っておりその翌年の1851年には、多くのペダルのついたフルサイズのグランドピアノが博覧会に出されたという記録がある。この他には次のような変則ピアノがあった。

 変調ピアノ これは移調ピアノというべきかも知れない。つまり、演奏の際にフィンガリングを変えずに移調できるものである。この変調ピアノでは、鍵盤を両手で持ち上げて左右にずらすと、ハンマーを叩く弦が変わって、一音右にずらすとD調、三音ずらすとE調、五音ずらすとG調というふうにピアノの調子が変わるのである。
 元来、音楽にはスケール(音階)の種類が多すぎるように思われる。平均律の場合でも長調、短調とり混ぜて二十四種類もの異なったスケールがある。これを全部マスターすることは容易なことではない。せめて、ハ長調とイ短調の二種類の調子を覚えただけで、すべての音階の曲を弾きこなせたらーーと凡人は思う。この願いを叶えてくれたのがこのピアノであった。すなわち鍵盤を左右に移動させればどんなにシャープやフラットの多い調子の譜面でも、すべて白鍵盤のスケール(ハ長調とイ短調)で弾けたのである。
 また、歌の伴奏を弾く場合の、声が高過ぎるとか低過ぎるとかの際、および移調楽器と合奏する時などは、譜面を移調して書き換える必要は全くなく、鍵盤をちょっと移動すればことが足りたのである。
 しかし、残念ながら現在ではこのようなピアノはない。ただ、古いハルモニウム(リードオルガン)にはこのような装置のついたものが時々見受けられる。現在の電子オルガンにこの装置をつけたら、ますますイージープレイの楽器になると思われるが、これを作っているのはアメリカのアーレン・オルガンだけである。

 二段鍵盤のピアノ 二段鍵盤のピアノは、マシアス・ミューラーとエマヌエル・ムーアによって作られ、上鍵盤は下鍵盤より1オクターブ高く調律されていたが、この他にピエール・ハンスが第二次世界大戦の始まる前に、パリのプレイエルのピアノ工場で作らせた"ハンス式"と呼ばれる二段鍵盤のピアノがある。このピアノの特徴は、上鍵盤が下鍵盤より半音高くなるようにずらして取りつけてあることで、下鍵盤を弾くとその弾かれた音と同じ位置の上鍵盤の音が自動的に鳴る仕組みになっていた。この装置で困難なクロマティックの曲が容易に演奏できたという。
 この楽器で新しいピアノのテクニックが可能となったが、現在では少数のフランスの演奏家が使っているだけであるという。このような変形ピアノは演奏のテクニックを伝統的なものに逆らって変えなければならないところに大きい抵抗があったのである。

p56G.pngヤンコ鍵盤のついたアップライトピアノ

 クロマティックピアノ 19世紀の終わりに、ハンガリーのヤンコが作り出した特殊なピアノである。この楽器には普通の鍵盤の代わりに、クロマティックアコーディオンのメロディ部のボタンの配列に似たキーがつけられていた。クロマティックアコーディオンのボタンキーの配列はまことに合理的で、特に転調する場合に、フィンガリングの形を変えずに、位置だけ移動して簡単に演奏することが可能である。
 このクロマティックピアノも同様の便利さを狙ったものであろうが、残念ながら二段鍵盤のピアノと同じようにモノにならなかった。
 ポール・フォン・ヤンコは1856年に、ハンガリーで生まれた貴族であった。彼は小学校を卒業した後、ウィーンの工芸学校と音楽学校の双方で学び、演奏家と発明家という奇妙な取り合わせの特殊技能を獲得した。さらに、ベルリン大学のヘルムホルツの弟子として、難解な数理音響学をマスターしている。
 ヤンコはこのような経験と技能から、後にオーストリアで"ヤンコ鍵盤"と呼ばれる特殊な鍵盤を発明した。パテントを取得したのは1882年でそのあとの3年間はこの鍵盤を小型のパイプオルガンに応用し、1885年に最初のヤンコグランドピアノを作り、翌年の1886年にウィーンで最初の演奏会を開いている。
 この"ヤンコ鍵盤"では、44個のマージャンのパイのような形のキーが、互いに半分ずつずれて6列も並んでいた。つまり264個のキーがあったわけである。その音の配列が、どのような仕組みになっていたかははっきりわからないが、この鍵盤を使えば次に列挙するような特殊な演奏が可能となり、アマチュアが弾いても、その当時流行しはじめた演奏至難な近代曲がやすやすと演奏できた。
 ☆普通の鍵盤では2オクターブの範囲しか弾けないアルペジオが、手首でひとなですることによって、全音域にわたって極めて容易に演奏可能であった。
 ☆普通の鍵盤で演奏不可能な十度や十二度の音が、上下いずれかの鍵盤を使うことによって、手の大きさにかかわらずたやすく演奏できた。
 ☆この鍵盤でオクターブの音を弾くには、普通の鍵盤で六度の音を弾く程度しか指を広げる必要がなく、演奏の時に指を無理な形にすることは絶対になかった。シューマンがこのヤンコ鍵盤を持っていたら大切な指を痛めることはなかったであろう。
 この鍵盤で演奏することは、普通の鍵盤に比べた場合、さほど難しいテクニックを要するわけではなく、また、この特殊鍵盤は、一般のピアノにも簡単に取り付けることが可能であった。さらに、作曲家はこの鍵盤のために、普通のピアノで演奏不可能な特殊なコードや、アルペジオを含むすばらしいピアノ曲を作曲し、当時、ハウスホルドオーフェストラとしてももてはやされたピアノという楽器を、一段とすばらしいものに発展させるはずであった。
 しかし、世の中のすべての画期的なイノベーションと同様に、この偉大な発明は保守的な人びとの真っ向からの大反対に会ってしまった。ーーピアノの詩人であるショパンは、必ずギスギスした当時のイギリス式のアクションのピアノを使い、新しく出現した優れたレペティションアクションを持つエラールのグランドピアノを、絶対に弾こうとしなかったーー"ヤンコ鍵盤"は演奏家、ピアノ教師、楽譜出版社などの猛反対で、あたら世紀の大発明も一般に普及するまでに至らなかったのである。
 20世紀になってドイツのシェバリンのポール・ペルジナがこの鍵盤を改良しているが、これも普及するには至らず、また、彼は、普通鍵盤とヤンコ鍵盤の双方を持ち、これをリバーシブルに使えるピアノや、ヤンコ鍵盤を持ち、ブラスのリードをはじいてハープやチターのような音が出る練習用の鍵盤楽器を作り上げたが、これも一般には受け入れられなかった。

 黒鍵が沈んだピアノ 一般の鍵盤の黒鍵は白鍵より高い位置にあるがこれを沈めて白鍵と水平にする試みが行われたことがある。これをクロマティック鍵盤と呼んでいた。1811年にはアイゼンベルグのクラウゼ博士が黒鍵と白鍵が同じレベルにあり、しかも全部白色の鍵盤を作っている。彼はこの方式の鍵盤の方が従来のものより演奏が容易であると主張しており、その後もいろいろな人びとによってこれに似た改良がなされているがいずれも多方面の反対に会って成功していない。

 三日月型の鍵盤 1870年頃、ウィーンのピアノメーカーであったノイハウスが、三日月型に曲がった鍵盤を作り出している。彼の主張によれば、人間の両腕は半円形に運動するので、この形の鍵盤の方がまっすぐなものより、人間力学的に演奏し易いという。なお、その後、ドイツのクルットサムが同じような鍵盤を作っているが、現在ではピアノアコーディオンのごく一部の楽器を除いては、このような形の鍵盤は見当たらない。

 ペダルピアノ ピアノが発明される以前において、パイプオルガンは教会用の楽器として完全な形を整えていた。したがって初期のピアノの大部分はオルガンメーカーの伝統的な技術によって作り出されたといっても過言ではない。そのため、ペダルつきのピアノが製作されていたことは疑いもないことである。
 もっとも、正確な記録として残っているものとしては、1843年に、ルイス・シェーンが、ライプツィヒで、シューマンとメンデルスゾーンのためにペダルピアノを作ったというのが最初である。シェーンは、メンデルスゾーンのためにペダルのついたグランドピアノを作り、シューマンには、その好みに応じて、普通のアップライトピアノにペダル装置をつけたと伝えられている。ペダルの位置はパイプオルガンのものと同様で、ペダルの数は29本、特殊な響板と最低音用の29本の弦がつき、これらが奏者の背面に置かれたケースの中におさめられていた。シューマンが、この珍しい楽器のために、素晴らしい作品を数曲残していることは人びとによく知られている。
 また、フランスのエラールやプレイエルもこのペダルピアノを作っており、ヘンリー・パペも試みたという。いずれもオルガン奏者が練習に使ったものである。
 アメリカでは、ヘンリー・エフ・ミラー・アンド・サンズピアノ社が、同じくオルガニストのためにこの楽器を作り続けていた。さらに、ドイツのシュトゥットガルトのカール・ジェー・フェイファーは、このペダルピアノの改良に専心し、鉄のフレームとオーバーストラング方式の弦を使用したために、彼の楽器はすばらしい低音部と、パイプオルガンのペダルと全く変わらないタッチを持っていた。
 フェイファーはアップライト用とグランド用の二種類のペダルアクションを作り、どんなピアノにも応用でき、しかも安価であるという特徴を生み出し、パイプオルガンの練習用として使うだけでなく、バッハのプレリュードやフーガ、あるいはさきに述べたシューマンの作品、リストのオルフュースなどの演奏を可能にしたのである。

 芸術的なピアノ 通常アートピアノと呼ばれているものである。
 ピアノの前身ともいえるチェンバロは、イタリアのジェロニモが現在のグランドピアノに似た美しい形態の楽器をつくり出して以来、アントワープのヨハネス・ルッカースが幾多の歴史的名器を生み出す頃まで、その音色も美しかったが、その楽器自体の形態、デコレーションおよびリッドの裏側などに描かれた絵画などが目を奪うばかりのすばらしさであった。当時の楽器は王侯貴族の命令で、金に糸目をつけずに作ったのであるから、このような芸術的なものが生み出されたのであろう。
 19世紀から20世紀のはじめにかけてのほぼ20年間が、最も芸術的なピアノを作り出そうという動きが強かった。世界中のほとんどのピアノメーカーが、通常の製造工程の他に特殊な製造部門を設け、優れたデザイナーとアーティストを抱え込み、王侯貴族たちのために、ピアノを設置する部屋に合わせて、さまざまな豪華なピアノを作り出したのである。「本当の芸術家は、ただ芸術そのもののために夢想し、熟慮し、そして仕事をする」という言葉が残されているが、アートピアノは過ぎ去ったよき時代に、この目的のために作られたのである。ちなみに、これらのピアノは、当時、二万ドルから四万ドルもしたといわれている。

 ウィニアスキーのピアノ ブラッセルの音楽学校教授でピアニストであったウィニアスキーは、演奏の際に右手と左手が曲がんに離れる場合の不便さを解消するために、マンジオット・フレールというメーカーに二段鍵盤の奇妙なピアノを作らせている。
 この楽器は片方の鍵盤のスケールが逆になっており、右側が低音部、左側が高音部になっていたという。つまり、二台のピアノを一台裏返しにしていっしょにしたような楽器で、この珍しいピアノは現在ブラッセルの楽器博物館に保存されている。
 二重奏用のピアノ ペダルなしのクロマティックハープ(弦が二重に張られたもの)を作り出したフランスののリヨンが考案したデュエット用のピアノである。グランドピアノを二台合わせたような楽器で、形は長方形で短辺の両側に鍵盤がついており、響板は一枚であった。

 クォータートーンの出るピアノ ドイツのオーガスト・フォルスターがクォータートン(1/4音)が出せるピアノを作っている。この楽器は、いわば二台のピアノを重ねて片方のピッチを1/4音あげたもので、グロトリアン・スタインウェイもこれと同じような楽器を作っている。双方とも鍵盤に三種類のキーがついており、白鍵、黒鍵のほかに茶色の鍵盤があり、1/4音は茶鍵盤で弾いたという。つまり、一オクターブに20個のキーがついており白鍵と黒鍵だけ使えば普通のピアノ通りの演奏もできた。

 ネオ・ベヒシュタインピアノ 1936年にドイツの物理学者であるネルンストが、マイクロホンで弦の振動音を拾い上げる方式の電気ピアノを作り出した。このピアノはネオ・ベヒシュタインと呼ばれ、世界で最初のエレクトリックピアノであった。
 この楽器は、普通のピアノと違って、弦は低音部から中音部にかけては一本、高音部では二本あり、マイクロホンは18個取り付けられていた。ペダルは二個あって、右側は普通のピアノと同様、ダンパーペダルの役目を果たし、左側はアンプのボリュームペダルとなっており、指をキーから離さずに音量を変えることが可能であった。なお、キーのタッチはすばらしく軽かった。
 さらに、響板がなく、響板の共振による弦の振動のインターフェア(妨げること)がなかったため、弦の振動音は普通のピアノに比較した場合、驚くほど長く続いた。したがって、左側のボリュームペダルの操作によって、一音あるいは和音のクレッシェンドやデクレッシェンドが可能であった。この楽器ではその音が通常のピアノのように減衰せず、スティールギターのように長く続いたので、ピアノらしからぬ音がしたという、しかし音色は極めて優れたものであった。

カプラーピアノ パイプオルガンやチェンバロではしばしばカプラー装置が使われるが、ピアノではほとんどその例を見ない。唯一の例外はマヌエル・ムーアが作り出した二段鍵盤のデュプレックスカプラーピアノと呼ばれる楽器で、その機構はチェンバロに似たものであったという。この楽器ではアクションも弦も1セットずつで、普通の演奏法でオクターブやサブオクターブの音を出すことが可能であったが、一般化することはできなかった。

 19世紀から20世紀にかけて、世界中の音楽家やピアノメーカーは、必死になってこのようなピアノのイノベーションを試みたが、いずれも成功せず、結局、ピアノという楽器はオーソドックスな形態に戻ってしまったのである。その理由は、鍵盤というものが数世紀にわたる長い間その姿を変えず作曲家と鍵盤とが三位一体となってからみ合い、すべての改良を阻止したからであると論じられている。



p572g.pngジョゼフ・ブロッドマンが1815年に作ったペダルピアノ。ピアノのケースが2個あって、下のケースに張られた最低音域の弦は、ペダル鍵盤によって鳴る仕組みとなっている。

p571g.png18世紀の終りにオーストリアのヨハン・シュミットが作ったと伝えられる"ペダルグランドピアノ"。ペダルピアノは、元来、パイプオルガンの練習用として使われたものであるが、シューマンはこの楽器のための数曲を残している。



p591g.png"数奇な運命を辿ったピアノ" チェンバロがピアノに変わった頃、イタリアのチューリンにセバスチアーノ・マルチシオとよばれる鍵盤楽器の製作の名手がいた。彼はチェンバロの華麗な音色を受け継いで、"ダビデ王のハープ" のように美しい音の出るすばらしいピアノを作り上げた。その外観も、写真で見る通り、当時の工芸技術の粋を極めた驚嘆すべき美しさを持っているものであった。しかし、この名器は当時のローマの宮廷に納入されて門外不出の名宝として忘れられてしまったのである。p592g.pngp593g.pngその後、150年の歳月が流れ、第二次世界大戦の間に、この幻のピアノは忽然として宮廷から消え去ったという。ところが、北アフリカの戦闘でナチス軍が敗れ、イギリスの軍隊が敷設地雷を掃蕩していた際に、石膏で覆われたピアノの形をした不思議なものを掘り起こしたのである。セバスチアーノ・マルチシオの名器は、いつの間にか北アフリカの荒野の中に埋められて眠っていたという。この石膏で固められた王宮のピアノは、その後その価値がわからないまま、イスラエルに運ばれてジャンク屋に放り込まれ、やがてテルアビブのジャンク屋に捨て値で売られ、さまざまな手を経て、最後にアブナカルミという優れたピアノ技術者の手に渡り、幸いにも昔日の「ダビデ王のハープ」のすばらしい音をよみがえらせたと伝えられる。この歴史的な名器は、現在アメリカにあるという。

p601g.png1901年に作られたスタインウェイの華麗なアートピアノ


p602g.pngスタインウェイの豪華なアップライトピアノ

p603g.pngスタインウェイが生産数30,000台を記念してホワイトハウスに贈呈した2台目の豪華なグランドピアノ(1938年)

p611g.pngベヒシュタイン シックでロマンティックなアートピアノ

p612g.pngベヒシュタイン 黄金色に飾られた威厳のあるアートピアノ

p613g.pngベヒシュタイン パリの世界博覧会に出品された美しい象眼細工がつけられたピアノ

p614g.pngベヒシュタイン ブエノス・アイレスに送られた皇室用ピアノ

p621g.pngフランツ・ヨゼフ一世のベーゼンドルファーピアノ(ウィーンの音楽協会、国会議事堂、取引所、美術アカデミーなどを設計したデンマーク人セオフィル・V・ハンセンのデザインによる)。

p622g.pngロンドンのロバート・ウォルナム・アンド・サンが1875年に作ったグランドピアノ


p623g.pngブルッツナーのアートピアノ

p624g.png歴史的なベーゼンドルファーのアートピアノ。(このピアノは1867年のパリ大博覧会に出品されたもので、当時、オーストリアのエリザベス皇后が購入。フランスのナポレオン3世妃ユージニーに贈った。1871年、ナポレオンはパリを追われ、ユージニー妃はこのピアノと共にロンドンに逃れたという。現在ヨルダンのフセイン国王の妹の所有になっている。


p631g.pngp632g.pngチェコのプラハのレオポルド・ザウアーが19世紀の始めに作った珍しいテーブルピアノと時計のついたピラミッドピアノ。

改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


▶︎▶︎▶︎第2章 黄金期を迎えた19世紀・20世紀 6 自動ピアノ

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