楽器の事典ピアノ 第2章 黄金期を迎えた19世紀・20世紀 4 アメリカのピアノ

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[画像]ホーキンスが1800年に作ったピアノ

アメリカのピアノ


 18世紀の終末にはイギリス製やフランス製のピアノが大量にアメリカに輸入されていたが、やがてアメリカ製の楽器が、品質、数量共にヨーロッパ製品に追いつき、1850年頃までにはイギリスのピアノはほとんど敬遠され、ただ、プレイエルやエラールなどの優れたフランスのピアノだけが輸入されていた。
 19世紀の後半には、チッカリングとスタインウェイの前身のピアノが群を抜いて高品質なものとなり、世界博覧会において、一位と二位を勝ち取っている。
 1840年頃には多くのドイツの鍵盤楽器のメーカーがアメリカに移住している。それらの主なものには、ゾーマー、フィッシャー、ウェーバーおよびステックなどがある。

アップライトピアノ

 ここで、ちょっとアップライトピアノの発達を見てみよう。アップライトピアノがいつ誕生したかは定かでないが、その発達は19世紀の初頭から始まったといわれている。
 グランドピアノは、当時の宮廷や城主の大広間やサロンなどで使う場合は、形態的にも音質的にも理想的なものであったが、狭い部屋に置けば場所をとって、大変じゃまなものであったに違いない。最初のアップライトピアノは、グランドピアノの尻の方を持ち上げて壁にくっつけたようなもので、通常、机の形のスタンドの上に乗せられており、その高さは天井に届くほどの、取り扱いの難しいものであった。19世紀初めのアップライトピアノの発達は、この高さを低くするために終始したのである。
 まず最初に、フィラデルフィアのジョン・アイザック・ホーキンスがアップライトに関する特殊な発明をした。
 彼が1800年にとったパテントによれば、機械的に締めるレストピン、鍵盤のフレーム、弾性のある金属弦の使用に関するものなどの考案が記録されているが、最も重大な発明は、弦を3〜4フィートの高さから床の近くまで垂直に張るということであった。
 こんな簡単なことはだれにでも考え出されることのように思われるが、当時の既成概念から抜け出すことはやはり大変なことであったのであろう。このホーキンスのピアノはポータブルグランドピアノと呼ばれ、現在でもブロードウッドの会社に保存されており、その特徴は次の通りである。

 ☆アクションは真鍮のフレームで囲まれている。
 ☆ハンマーヘッドは皮を重ねたもので、その上に布が巻いてある。

 ☆金属製のレストピンブロックがつけられており、レストピンは機械的に作動するようになっている。
 ☆響板は金属製のフレームの中に吊り下げられ、背後からメタルロッドで抱きかかえられている。

p50G.pngホーキンスが1800年に作ったピアノ

 説明によれば、この発明によってアップライトピアノはまことに便利で優美なものとなったとあるが、写真で見る限り幅より高さが大きくて、あまりかっこうのいいものではない。
 一方、オーストリアでもアップライトピアノの研究が進められており、ウィーンのマシアス・ミューラーが二種類のアップライトピアノらしいものを作り上げている。その最初のものは、二段鍵盤で上鍵盤は下鍵盤より1オクターブ高く調律され、次に作られたものは一段鍵盤であった。彼のピアノは現在ベルリンに保存されており、そのアクションはオーバーヘッドチェックのついたもので、ハンマーの先端に皮が巻きつけてあり、また、ハンマーとキーフックを連続するワイヤーがついていた。これが現在のアップライトピアノのテープチェックアクションの先祖であるとの説もある。
 1820年にはイギリスのミドルセックスのトーマス・ロードが、高さわずか6フィート3インチしかないピアノを作り出した。しかし、現在のアップライトピアノから考えると、かなり背の高いものである。彼はその後、低音部のブラスの弦を、左側の上部から右側の下部の方向に斜めに張り、中音部と高音部の弦もこれに並行して張る方法を考え出した。それまで垂直であった弦を斜めに張り直したのだから、たいした発明とも思えないが、その当時はこれまた大改革であったのだろう。
 彼はまた、従来の机の上に乗せたようなピアノの形を改めて、本体が床まで続き、弦が床の近くまで張られ、さらに鍵盤のフレームを二本の脚で支える方式のものを作り出した。これらの方法によってピアノの高さは5〜4フィートまで低くなり、ここで初めて今日のアップライトピアノの原型ができあがったといえる。また、フランスではこの頃ハルモネロと呼ばれるアップライトピアノが作り出された。
 キャビネットピアノ 1807年にウィリアム・サウスェルがキャビネットのパテントを取っている。そのピアノの高さは5フィート6インチと伝えられており、その頂上には雪庇のような板がついており、これが2本の円柱で支えられ、前面は絹でおおわれていたという。これがどのようなものであったかは、今となってはわからないが、キャビネットピアノはその後非常にポピュラーなものになり、現在でも時々見られるという。
 1811年に、サウスウェルはコラードという協力者と共同で、小型のアップライトピアノを製作しているが、これはあまり興味のあるものではなかったらしい。

p51-1.png
クレメンティのキャビネットピアノ

 
 コテージピアノ 同じ1811年にロバート・ウォルナムが近代的な形をした最初のアップライトピアノを作り出した。これがいわゆるコテージピアノと呼ばれるものである。脚は4本あるが、確かにアップライトピアノらしい形である。この楽器の高さはわずか3フィート4インチで、アクションはホッパーがハンマーに直接働きかけ、ホッパーの背後のプロジェクションがダンパーを持ち上げる方式のものであった。また、ペダルも二個取り付けられたが、弦だけは垂直に張られていた。
 伝え聞くところによると、このウォルナムのピアノの形式を、1815年にパリのプレイエルが取り入れ、やがてフランスの重要なコテージピアノのメーカーになった。彼はまた、1828年頃、ハンマーがロッドで動くパテントを取り、彼のプロフェッショナルピアノに取り付けた。このペダルには二本のペダルの他に、ピッチカートペダルがついていたというが果たしてどんな音がしたかはわからない。
 現在まで残されている彼の楽器のプライスリストによれば、1838年には3フィート8インチのピッコロと呼ばれる小型のピアノがあったという。この頃、プレイエルはイギリスから輸入した小型ピアノを改良して、ピアニーノという楽器を作り上げた。アップライトピアノはこのようにしていよいよ背が低く、小型化していったのである。

p51-2.pngロバート・ウォルナムのコテージピアノ


p51-3.pngp51-4.pngロンドンのチャペル社が1815年に作ったピアニーノ。内部には弦の代わりにガラスの筒が並べてある。


 ウォルナムがイギリスで小型ピアノの改良に腐心している間に、さきに述べたアンリー・パペが、1828年にフランスできわめて重要なパテントを取った。このパテントの一部はアップライトピアノの弦の設置方式で、最低音部の弦を左手の上部から右手の下部の方向に斜めに張り、他の弦をこれに交差して張るという、極めてピアノの発達に貢献するものであった。これをクロスストリンギングまたはオーバーストラングと呼んでいる。

p52-1G.png
オーバーストラング カワイのグランド

p52-2G.pngオーバーストラング グロトリアンのアップライト





 オーバーストラング 一般にピアノの弦のオーバーストラングの方式は、フルートの改良で有名なテオバルト・ボエームが発明したと伝えられている。しかし年代からいうとパペのパテントは1828年であるし、またニューヨークのピアノ工場のブリッジランド・アンド・ジャルディンが、1833年に高音部と低音部の弦が交差したピアノを作り上げたという記録もある。

 ボエームに関する記録としては、彼が1867年にブロードウッドに書いた一通の手紙の中に「1832年にロンドンのジェロック・アンド・オルフにオーバーストラングスケールを採用するようにすすめた」と書かれているが、なにしろ百数十年以上も昔の話であるから定かではない。しかし1835年頃からはこのオーバーストラングの方式があらゆるピアノに採用され始めた。
 アップライトピアノのメタルフレーム アップライトピアノのキャストメタルフレームは、1831年にウィリアム・アーレンが最初のパテント申請を出して、自分のキャビネットピアノに採用し、次いで1836年にホィートリーズ・カークが完成されたフレームのパテントを取っている。


p52-3G.pngp52-4G.pngメタルフレームとサウンドボード ヤマハのアップライト


 テープチェックアクション 現在のアップライトピアノにはテープチェックアクションが使用されている。近代的なアップライトピアノのテープチェックアクションは、エラールが発明したグランドピアノのダブルエスケープメントアクションに相応するほどの重要性を持つ。
 このアクションを発明したのはイギリスのロバート・ウォルナムであるが、彼は1842年にこのパテントを取り、その後、各国のメーカーが競ってこの方式のアクションの真似をしている。彼は先に述べたピッコロと呼ばれる背の低いピアノに、ロイヤルパテント・イクォール・テンションピッコロ・ピアノフォルテという恐ろしく長い名前をつけた。このピアノには、いうまでもなくテープチェックアクションがつけられ、その後、この方式はグランドピアノにも適用されたのである。彼の発明したこれらのテープチェックアクションは、その後、さまざまな変遷を経て今日のアップライトピアノのアクションにつながるのである。

p53-1G.pngテープチェックアクション ヤマハのアップライト


 ハンジェンドアクション この頃、ドイツやオーストリアなどでジラフピアノやピラミッドピアノが作られていたが、これらのピアノのアクションは鍵盤の下についており、ハンジェンドアクション(ぶら下がったようなアクション)と呼ばれていた。


 20世紀に入って、ピアノが普及するにしたがってアップライトピアノの需要が激増した。特に第一次世界大戦以後は、アップライトピアノの改良が急速に行われその高さはますます低くなっていった。スピネット型、あるいはコンソール型と呼ばれる3フィート3インチから4フィートぐらいの高さの小型ピアノが、あらゆるデザインで作り出され、広く大衆の生活の中に食い込んで行ったのである。
 珍しい記録としては、ニューヨークのスタインウェイが45インチの小型ピアノを作り、プリンスミードは3フィートの高さのもの、そして、最も小型のものとして1832年に、ストックホルムのアキィボラックが鍵盤と屋根板がほとんどすれすれのリッツモデルという、2フィート9インチのミニピアノを作り出している。


p53-2G.png背の低いコンソール型のピアノ  122cm
 


改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


▶︎▶︎▶︎第2章 黄金期を迎えた19世紀・20世紀 5 19世紀・20世紀の発達段階におけるピアノの多様化

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