楽器の事典ピアノ 第1章 ピアノの生誕と発達の歴史 7

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[画像]1840年ごろにイギリスで作られた "ユーホニコン" と呼ばれる風変わりなピアノ。


イギリス


 イギリスに最初に持ち込まれたピアノは、イタリアのファーザー・ウッドの作ったものであると記録されている。彼はローマの修道僧で、彼のピアノは1711年に作られたものといわれ、ピアノは彼によって発明されたものであるという強い意見もあるが、これは、どうもイギリスに味方した説らしい。
 このピアノはチェンバロに匹敵するほどの素晴らしい音色を持っていたが、そのハンマーアクションのメカニズムは大変お粗末で、タッチが悪く早いテンポの曲は全く弾けなかった。
 イギリスではプレニアスという人がこの楽器をまねて、すぐにコピーを作り上げたというが、この楽器はタッチこそよかったが、その反対に音色はまことに劣悪であったようである。
 その頃、ヒプキンソンとリンボルトという二人が、さきに述べた詩人であるウィリアム・メーソンがドイツから購入したピアノをまねてシングルアクションを作り上げている。一説にイギリス式アクションはメーソンが発明したともいわれているが、これは信憑性にとぼしい。
 イギリス式アクションは、ドイツからイギリスに移住して来たツンペが作り出したのが事実のようである。また、ベッカーズというあまり有名でないチェンバロのメーカーが、数台のピアノを作り出したという記録も残っているが、これらの楽器は単にチェンバロの良さを失っただけで、なんら音楽的な価値のないものであった。
 当時、ヨーロッパでは "七年戦争" と呼ばれる戦いが起こっていた。これは名称の通り長い戦争で、フレデリック大王のプロシャ(昔のドイツ)およびイギリスの連合軍とオーストリア、フランス、ロシア、スウェーデンなどとが1756年から1763年まで戦ったものである。
 この戦争により、繁栄していたドイツのピアノ工業が衰退し、ドイツのピアノ製造の技術者は大挙してイギリスに移住した。あるメーカーには12人ものドイツの優れた技術者が入ったりして、そのためイギリスのピアノメーカーは思いもかけぬ恩恵に浴したのである。
 これらの技術者の中にツンペがいた。ツンペはドイツから持ち込んだ優れた技術を発揮して、バージナルに似たピアノを作り出したが、その音色はまことに優美で、イギリス国内だけでなくフランスでも好評であったと伝えられている。
 また、彼はイギリス式の典型となった優れたシングルアクションを開発した。このアクションの特徴はインターミディエートレバーに二本のパイロットを使った点であり、現在でもパリのコンセルバトワール博物館に1788年製の楽器が残っている。この種類のアクションはパリのフローデンターラー、ブラッセルのエルメル、および有名なエラールも使用したと伝えられ、後にツンペの後継者であるシエーネによってさらに優れたものとなった。
 シングルアクションは明らかにクリストフォリのアクションの原理から生み出され、これを簡潔化したものであるが、一方、ダブルアクションはインターミディエートレバーに対してエスケープメントとホッパーを復職させたものである。ダブルアクションの初期的な形態のパテントはジョン・ギーベが取っている。彼はそのホッパーのことをジャックという名称で呼んでおり、それはピボットのついたスプリングジャックであったという。
 イギリスのグランドピアノのアクションは1772年にロンドンに住んでいたオランダ人のアメリカス・ベッカーズが発明した。これもクリストフォリのアクションを改良したものであった。
 また、ロンドンのジョージ・ペサーは天才的なダウンストライクのグランドピアノのアクションを開発し、このアクションのついた楽器は現在でもライピツィヒのヘイヤー・コレクションに残っている。これらのイギリス式のグランドピアノアクションは、有名なジョン・ブロードウッドの楽器に採用され、後にエラールのピアノのアクションへと移行していったのである。
 その頃、本箱型のアップライト式グランドピアノのパテントがストダートによって出され、またアイルランドの首都であったダブリンのサウスウエルが新型のアップライトピアノのパテントを取っている。このサウスウエルのピアノはスクエアピアノを縦にして(ヒッチピンの側を上にして)台に乗せたようなもので、彼はこのピアノのために、特殊なスティッカーアクションと呼ばれるアクションを考え出した。
 ジョン・ブロードウッドがグランドピアノのブリッジの分離と、決定的な打弦点を定めるという重大な改良を行ったのもこの頃である。音響学者のヘルムホルツ(1821〜1894年)の説によれば、ジョン・ブロードウッドが初めてピアノの弦の張力を平均化し、打弦点を定めた。
 すなわち、弦の長さを張力に比例して定め(この際、低音部の弦が短くなったという)さらに弦の振動する部分の9分の1の点をハンマーで叩くように定めたのである(高音部ではこの打弦点がややずれる)。また、ブロードウッドは、スクエアピアノのレストピンを左側に移し、簡単に弦がつけられ、ブリッジに正しい圧力がかかる考案のパテントを1783年に取っている。

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ロンドンのパンテパート・アンド・シーパースが1879年に作った美しいスクエアピアノ。クラビコードの長方形の姿がそのまま写し取られていて、ダンパーを上げるためのペダルおよびリュート・ストップなどが備えられている。


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アムステルダムのバン・デアー・ホエフが1810年に作った華麗なジラフピアノ。ペダルが6個ついており、左からバズーン、ドラム、ベル、ソフトおよびラウドの音が出せるようになっている。これらのペダルは、当時流行したトルコ・ミュージックを演奏するためのものであった。古代ギリシャ風の優雅な柱、ヴァイオリンのヘッドに似た美しいスクロールおよびモノポディアと呼ばれる一本脚のライオンなどが精緻を極めた技術で作られている。なお、ネーム・ボードはサテン・ウッドで作られていて花飾りに囲まれた作者の名が書かれている。この美しい楽器はイギリスの国立美術院のウィリアム・オルカードソン卿が持っていたもので、彼はこの楽器と美女を主題として"Music,when soft voices die, vibrate in the Memory" "甘き言葉も、今は遠く かの懐かしき調べを弾く"ーーと題するロマンティックな絵を画き残している。この絵は現在ロンドンのベスナル・グリーン博物館に、楽器はビクトリア・アンド・アルバート博物館に保存されている。

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1840年にクナーベが作ったスクエアピアノ。このピアノで "星条旗よ永遠なれ" が作曲されたと伝えられる。


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19世紀のハンガリーの有名な劇作家であったエド・シグリゲッティが使ったテーブルピアノに似たシンプルなデザインのスクエアピアノ。1801年ジーン・ゴッデフロイ作。


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1880年頃、スペインのマドリッドのフローレッツによって作られた華麗なイン・レイが施されたスクエアピアノ。


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クナーベのスクエアピアノ


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クレメンティが1810年ごろ作ったスクエアピアノ。


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ジラフピアノ



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ロンドンのロングマン・アンド・プロデリップが1795年頃製作したスクエアピアノ。



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ジェニー・リンド(スウェーデンの名ソプラノ歌手ーー1820〜1887)が演奏旅行用に使ったチッカリングのスクエアピアノ。

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18世紀ごろのイギリスには美しい "家族の肖像" の絵が多く残されている。これはジョン・ソファニーによって1772〜1776年頃に画かれたクーパー伯爵一家の絵で、ピアノはツンペのものと思われる。


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ツンペのハンマー・アクション 1760〜65年


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ヨハン・クリストフ・ツンペが1767年にロンドンで作ったスクエアピアノ。


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イギリスのフレデリック・ベックが1775年に作ったスクエアピアノ。ピアノとしてよりもむしろ家具的要素を重視した美しい楽器である。


p33-1.png1785年イギリスで作られた半円のサイドテーブルとしても使えるピアノ。18世紀の終りの最高のピアノ・メーカーと最優秀の家具職人の合作であると伝えられている。


p33-2.pngサウスウェルの後方へ傾いた珍しいピアノ1811年


p33-3.pngサウスウェルが1798年に作ったピアノ

p33-4.pngキャビネット・ピアノを調律しているところ

p33-6.png鍵盤を切っているところ

P33-5.png1840年頃のブロードウッドのピアノ工場


改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


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