楽器の事典ピアノ 第1章 ピアノの生誕と発達の歴史 4 ピアノフォルテの時代

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[画像]シルバーマンが1746年に作ったグランドピアノ

ピアノフォルテの時代


 ピアノとは音楽用語で音を弱くという意味で、フォルテとは強くという意味である。
 ピアノという楽器は、その誕生の時に、それ以前の楽器であるクラビコードやチェンバロに比べて、小さい音も大きい音も自由に出せるという意味で、ピアノフォルテと名付けられ、これが簡略化されて今ではピアノと呼ぶようになったと一般に考えられている。
 クリストフォリが作ったピアノで当時の奏者が演奏した音楽をよみがえらせることは不可能であるが、幸いにこれに関連した手紙が保存されている。それによると、
「小さな音から突然大きな音になるこの化物のような楽器は、ローマにおけるコンサートでしばしば使われ、その音はチェロの迫力と音色のグラデーションによる多様性を持ち、室内楽の独奏用としても、あらゆる楽器、歌曲の伴奏用にも、また小さい規模のコンサート用としても最適である」と書かれている。
 しかし、このクリストフォリが発明した初期のピアノは、正しくは室内楽用の楽器であって、教会音楽用には使えるものでもなく、またオーケストラと競演することなど思いも寄らぬものであり、むしろ当時の甘い音色を持つ独奏楽器、つまり、リュート、ハープ、六弦のビオールなどに似たものとして取り扱われていたと記録されている。
 人間は未知の新しいものに対しては、好奇心を持つと同時に、拒絶反応を示すものである。
 現在の電子オルガンが未だにアカデミックな楽器として取り上げられていないように、当時のピアノは多くの音楽家たちによって反対されたり敬遠されたという。その理由は、楽器としての性能や取り扱い方がわからないことを始めとして、演奏効果を充分に引き出す奏者もおらず、さらに作曲家によるピアノに関する作品が全くなかったからである。
 そのためか、クリストフォリは、ピアノの発明の後に、音の強弱の出せる特殊なチェンバロを作り上げている。
 クリストフォリのこの世で最初のピアノは、音楽家たちが“どのように演奏したらよいのか”と首をかしげるような代物であったと伝えられているが、彼はその後も努力と研究を重ね、1726年頃には、現在のピアノのアクションとほとんど変わらない、ダブルレバー、エスケープメント、チェックおよびウナコルダなどの機構を備えた優れたアクションを生み出している。
 しかし、ピアノのための最初の作曲が書かれたのはクリストフォリがこの世を去った1731年、作曲者は、ロドビコ・ギュスティーニ・ディ・ピストイアという長い名の人で、曲は12のソナタであったという。結局クリストフォリがその天才的な技能を傾けて生み出したピアノという楽器は、あわれにも、彼の生存中には陽の目を見なかったのである。
 クリストフォリが自分の作り上げた楽器にクラビチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ(音の強弱の出せるチェンバロ)と書き込んだのは事実であるが、ピアノ・エ・フォルテという言葉は当時できた新しいものではなく、16世紀頃から楽器の名前として使われていた。
 例えば、1568年頃、三組の弦を組み合わせて三種類のピアノフォルテの音が出せる楽器があったとの記録も残っているし、有名なアーノルド・ドルメッチもパリのレビ・サボイのコレクションの中に、オランダで1610年に作られたピアノフォルテがあると書いている。ただしこれはダンパーのないウィーン式の簡単なアクションがついたものであって、ピアノというより、むしろキーのついた4オクターブのダルシマーであったという。
 結局、ピアノフォルテの名の由来ははっきりしないが、ハンマーアクションがその頃からあったことは間違いのない事実なのである。

 






改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


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