楽器の事典ピアノ 第1章 ピアノの生誕と発達の歴史 2 クリストフォリ発明説に対する異説

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[画像]シュレーターのダウン・ストライキング方式のハンマー・アクション 1717年

クリストフォリの発明説に対する異説


 クリストフォリのピアノ発明説に対して異説をとなえる記録も多い。参考までにイタリア以外の各国の主張を書き並べてみよう。

〈ドイツ説〉

 ベートーヴェンは、ピアノはドイツで発明されたと信じ切っており、そのため、ピアノをハンマクラビアと呼んでいたと伝えられている。ベートーヴェンですらこうであったのだから、当時のドイツの人びとの間では「この楽器の発明者は、1699年にサキソニーのホーヘンシュタインで生まれたクリストフ・ゴットリーベ・シュレーターという鍵盤楽器の教師である」という説が圧倒的に強かったらしい。その発明の動機は、シュレーターの弟子たちがチェンバロを弾く際に、クラビコードのような感情の表現ができないことに不満を持った、という点にあったという、もっともらしい話まで残されている。
 シュレーターは、1717年にニュールンベルグの楽器工場で、ハーディガーディのアクションを研究し、さらにドイツのダルシマーの名奏者であったヘーベンストライトが演奏するパンタレオン(ルイ十四世が命名したというダルシマーに似た楽器)の音を聞いて、極めて短期間で、チェンバロに適応できるアップストライキングとダウンストライキングの二種類のアクションを設計した。
 しかし、シュレーターはこの理想の楽器を作る設備も持たず、当時のドレスデン国王の援助も得られそうになかったので、このすばらしい計画を放てきせざるを得なかったという。その後、1738年になってハンマーアクションが一般に普及したため、シュレーターは「自分の発明をクリストフォリとジルバーマンが盗んだ」と主張した。
 さらに彼は、両者とも頭が悪いので、彼の天才的なオリジナルの設計を理解できなかったといい張っていたという。しかし、この伝え話の真偽のほどは全くわからない。

  
シュレーターのアップ・ストライキング方式のハンマー・アクション 1717年.png

シュレーターのアップ・ストライキング方式のハンマー・アクション 1717年





改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止


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