
[画像]クリストフォリのハンマー・アクション 1707年
“理想の楽器”としてのピアノの誕生
ピアノはクリストフォリによって、1709年に発明されたというのが一般の定説であるが、当時はヨーロッパの各地で、さまざまなピアノらしい楽器が作られ始めていたので、異説もかなり多い。バルトロメオ・ディ・フランセスコ・クリストフォリという長い名前を持つこのピアノの発明者は、1655年にイタリアのパドゥアに生まれ、生涯チェンバロとピアノを作り続けて、1731年にフローレンスで死んでいる。250年以上も昔のことなので、記録はあまり明らかではないが、優れた鍵盤楽器の製作者であったと伝えられている。当時のイタリアは君主制国家で、権力や財力のある城主や貴族たちが競って楽器を集めて宝物にしていた。

クリストフォリのハンマー・アクション 1720年
その頃の楽器は、現在の機能一点張りの大量生産のものと違い、楽器作りのマスターたちがギルド制の秘技を発揮して、心を込めて作り上げたものであるから、美術品としても極めて価値の高いものであった。そのため音楽を愛好する王侯貴族たちが、マスターに莫大な金を与えて数多くの名器を作らせ、自分の紋章や名前などを彫刻させてコレクションに加えた。クリストフォリはこのような時代に生きたのである。
その頃のイタリアでは、当時のベルギーのアントワープと同様、歴史的にすばらしいチェンバロが数多く作られており、クリストフォリもその最高の技術を持ったマスターの一人であった。彼は、最初はパドゥアに住んでいたが、当時のチェンバロの名奏者だったコジモ三世の子、フェルディナンド王子のお抱えの楽器製作者として、1687年にフローレンスに移住している。
フェルディナンド王子は非常に熱心な楽器愛好者であった。彼はクリストフォリに仕事場を与えてチェンバロの改良に専念させ、クリストフォリは、その好遇にむくいるために目に見えない理想の楽器を現実の姿に具現しようと努力した。
そのかいあって1709年に“ピアノおよびフォルテの弾ける大型のチェンバロ”、すなわち現在のピアノの元祖ができ上がった。
ヘンデルは1708年に、フェルディナンドの依頼を受けて、作曲のためにフローレンスを訪れ、そこに3年間滞在したので、運良く、世の中に登場した最初のピアノを弾くことができた。その時、ヘンデルが作った曲は、彼のオペラ曲「ロドリゴ」である。
フェルディナンド王子は、不幸にして1713年に夭折しているが、クリストフォリはその父のコジモ3世に仕え、1716年には王子の残した84個の楽器の保管責任者となった。これらの楽器の半分はチェンバロとスピネットで、7台はクリストフォリの作ったものであった。
クリストフォリはその生涯に20台のピアノを製作したと言われているが、現在まで保存されているのはわずかに二台。そのうちの一台は、フローレンスのシクノラ・アーネスタ・モッセニー・マルテリーという人が所有していた、1720年に製作されたもので、これが現存の世界最古のピアノである。この楽器は現在、ジェー・クロスビー・ブラウン夫人の好意でニューヨークのメトロポリタン博物館に陳列されている。

クリストフォリが1720年に作った“ピアノ・エ・フォルテ”現存の最古のピアノでニューヨークのメトロポリタン博物館に保存されている。現存するクリストフォリが作った2台のピアノは、ともにオリジナルな状態ではなくイタリアとアメリカで改造されたものである。
もう一台のクリストフォリのピアノは、やや年月が経った1726年に作られ、クラウス男爵および彼の息子であるコンダトーレ・アレンクサンドロ・クラウス・フィグリオの持っていたもので、その後、フローレンスの博物館に置いてあった。1726年といえばクリストフォリは71歳になっていたはずである。この楽器は、作られてから150年以上経った1878年にパリの博覧会に出品されたが、音色もよく、タッチも軽快で充分に演奏できるものであった。
このピアノは、その後ライプツィヒの古楽器ばかり集めているヘイヤー博物館に保存されていたが、現在はライプツィヒのカール・マルクス大学に保存されている。
クリストフォリの現在まで残された楽器の三番目として、これはピアノではないが、1702年製の三段鍵盤のチェンバロがある。これにはフェルディナンド・ディ・メディチの紋章が入っており、現在、ミシガン大学にある。
クリストフォリはその生涯を鍵盤楽器の製作に打ち込み、ピアノの発明という大きな業績を残したのであるが、不思議なことに、その肖像画はおろか、その一生の記録もほとんど残っていない。残された唯一の正確な記録は、当時の役所を通じてコジモ3世に差し出した楽器の製作や、修理に関する見積書、請求書、領収書の類だけで、楽器の専門書にも、これらの記録だけが正確に記載されている。
クリストフォリは1731年にこの世を去っているが、1875年5月7日、彼の死後145年目に、彼がピアノを作り出したフローレンスのサンタ・クローチェ修道院に、チューニングハンマーの形の石碑が建てられた。

クリストフォリが1726年に作った世界で2番目に古いピアノ。フローレンスのクラウス博物館にあったがドイツのヘイヤー・コレクションに移され、現在はライプツィヒのカール・マルクス大学に保存されている。
改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止
▶︎▶︎▶︎第1章 2 クリストフォリの発明説に対する異説
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