アフロのピアノレッスン1 稲垣えみ子

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やめてしまったピアノを大人になってもう一度

第1回 アフロのピアノレッスン 稲垣えみ子

 40年ぶりのピアノ

 ピアノを習いたい。ずっと前からそう思っていた。

 

 いや正確に言えば、子供の頃に習っていたピアノをできることならもう一度ちゃんと弾いてみたい。何年も前からそう思い続けていたのだ。

 こんなことになるなんて、考えてもみなかった。

 だって小学校に入る前から始めたピアノを、中学入学と同時に「勉強が忙しい」とドウデモイイ理由をつけて投げ出した時は、実に晴れ晴れとした思いだったのだ。何と言っても、あの辛気臭い〝練習〞ってものを金輪際しなくて済む! 今思えば当然のことだが、やる気のない生徒に先生はひたすら恐ろしかった。つっかえつっかえ弾く横で、うら若き女先生の美しい顔はたちまち般若の表情となった。これ見よがしにつく般若のため息のデカさといったらなかった。つまりはピアノをめぐって楽しいことなんて本当にほとんどなかった。最後の数年は、もう一刻も早くやめたい一心であった。

 で、それから数十年。

 ふと気づけば、心のどこかでピアノを諦めきれずにいるのである。

 そうなのだ。私は決着をつけなければならなかった。

 幼稚園の頃から習い始めたピアノ。あの頃は、同世代のほとんどの女の子がピアノを習っていた。時は高度成長期。皆が横並びで豊かになっていく世の中で、家にピアノがあること、娘がピアノを習っていることは、当時の家族の一つの〝夢〞であり到達点だったのだ。

 なので、私と一つ年上の姉は、物心がついた頃には本人の意思とは関係なくピアノを習うことになっていた。ボロボロの社宅に、最初はオルガン、ほどなく本物のピアノがやってきた。置き場所がなかったのでなぜか玄関にピアノがある妙な家であった。その玄関で、姉と私は交互に練習をした。冬は寒くて手がかじかんだ。こうして曲がりなりにも両親の夢見た〝文化的豊かな生活〞が始まったのである。

 でも現実はいつだって思ったようには運ばない。

 私も姉も、すぐにピアノが重荷になってきた。何事もそうだが、上達するためには辛抱強く、コツコツと練習を続けなければならない。

 それは、凡庸な子供にはハードルの高い要求であった。確かにうまく弾けたら楽しいのである。でもそこにたどり着くのがいかに大変かは子供にもすぐにわかった。そのあまりの果てしなさに、練習そのものが嫌になった。

 母に「ピアノの練習は?」と睨みつけられることが次第に増え、しぶしぶピアノの前に座るものの、ダラダラと弾き、同じところで毎回つっかえ、つまらなくなり、パタンと蓋を閉める。その繰り返し。

 そういうダメ練習を連日聞き続けていた母は「できないところを重点的にやらなきゃだめじゃない」「もっとゆっくり!」と何度も声を張り上げた。まったくもってもっともなご指摘である。だがそれができたら苦労はしないのである。わかっちゃいるけど苦手なことは避けたいのだ。で、とりあえずレコードみたいにカッコよく速弾きしたいのである。

 

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続きは月刊ショパン2018年1月号でどうぞ! アフロさんはこの先果たしてピアノが思いどおりに弾けるようになるのか? イケメンピアニスト米津真浩先生の今月のコメントも見逃せない!

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