横山幸雄ピアノQ&A 136 から Q4 演奏会、どういう聴き方をすればよい?

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「いいなぁ、もっとこの人の音楽を聴いていたい」と思った演奏会に対して、新聞に技術的な面やその演奏家の力量について批判的な言葉が書いてあることがあり、最近「自分の感覚」に自信がなくなってきてしまいました。

 

 この問題に対しては、僕自身もいろいろと感じていることがある。ここではなるべく簡潔に書いてみよう。

 まず、演奏の捉え方は相当に主観的なものであり、また個人によって好みに違いがあったり、その日その場の雰囲気によっても大きく左右されるものだ。例えば僕自身の経験でも、CDを聴いていて、最初から気に入ってずっと好きなものもあれば、だんだんに飽きてしまうものもある。また、初めはよくわからなくても次第に好きになるものもあるし、何度試しても最後まで聴き通せないものすらある。一枚のCDを本当に確信をもって理解するには何十回も聴かなければ、とさえ思う。これがさらに一回きりのコンサートであればなおさらのこと、その本質的な価値を自信をもって判断するのは難しい。

 しかし、これはあくまでもこの仕事に携わっている僕個人の感覚の話。一般の聴衆の方々がそのときの好みで判断することが許されるのに対し、僕はあくまで音楽に対して普遍的な価値がどれほどあるかないかを見ようとする。これが、その仕事に深く携わると楽しむことが難しいと言われる理由だ。その中でも演奏家は弾くことのプロフェッショナル、評論家は聴いて判断することのプロフェッショナルと言っていい。

 一般的に、多くの聴衆は評論家の意見に左右される。それによって自分の知らないものに出会えるきっかけとなるだろうし、またその先入観でもって自分の感覚が鈍ることもあり得る。だから、相手がプロであろうとそうでなかろうと、自分の楽しみの邪魔になるような意見は無視すればよい。無条件に楽しむことができることこそ、一般の聴衆の特権であるのだから。

 そして「好き嫌い」と「良し悪し」はいつも一致するとは限らない。この二つを混同したときに悲劇は生まれる。どんな偉い評論家も人間である限り、個人の好き嫌いを評価の中に入り込まないようにすることは不可能だろう。いずれにしても長い目で見ればやはり良いものはきちんと残っていくのではないかと思うのだが……。


 「横山幸雄ピアノQ&A136 上 part 1 ピアノの楽しみ」より

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