映画『ベニスに死す』世紀の美少年はいま タジオとビョルン・アンドレセン

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朝ドラで話題の『タジオ』って誰?  月刊ショパン2018年9月号掲載

TOKURA Miyuki 戸倉みゆき(通訳案内士)
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ビョルン・アンドレセン近影Ⓒ永友ヒロミ
近影.png

「タジオ」が話題になっているらしい。NHK朝の連続ドラマ『半分、青い。』の主人公の幼なじみであるイケメン青年がそう呼ばれたことがきっかけだそうだ。
〝Tadzio〞とは人名である。原語の発音により近いカタカナ表記は、「タージョ(タージォ)」だと思うが、ここでは便宜上「タジオ」 としておこう。タジオはトーマス・マンの小説『ベニスに死す』に登場するポーランド人少年である。ストーリーの概略は次のようである。
 静養のためにイタリア・ベニスを訪れた作家アッシェンバッハは、滞在先のリド島のホテルで絶世の美少年タジオに出逢う。その完璧なまでの美しさの虜となった作家は、日夜を問わずタジオの跡を追うが、街中に蔓延したコレラに侵されて、ついに少年に声をかけることさえ叶わぬまま海岸で息をひきとる。
 この極め付きの耽美小説を、イタリアの巨匠ルキノ・ヴィスコンティが映像化した(映画ではアッシェンバッハは音楽家という設定)。制作にあたって、ヴィスコンティはポーランド貴族の子息であるタジオにふさわしい、ギリシア彫像のような少年を求めてヨーロッパ中を探し歩いたという。そして、ストックホルムで15歳のビョルン・アンドレセンと運命的な出会いをする。ビョルンは当時音楽学校に通う高校生だったが、前年に青春ものの映画に脇役で出演した以外、これといった演技の経験はなく、ヴィスコンティが誰なのかもよく知らなかったらしい。オーディションを受けた動機は、映画に出ればちょっとした小遣い稼ぎになるし、女の子にもてるだろうと思ったからだと述懐している。とは言え、元来真面目な性格であり読書家でもあるビョルンは、マンの原作を読んだりして入念な準備をして撮影に臨んだようだ。
『ベニスに死す』はカンヌ映画祭に出品され、大ヒット作となった。同時にビョルンは「世界一の美少年」というキャッチフレーズと共に衆目を一身に集めることになったが、それは彼の真に望むことではなかった。彼にとって不本意極まりなかったのは、タジオと自分を同一視されることだった。人々からは常に好奇の目を向けられ、また彼の名声を利用しようとする人間もいたであろう。ビョルンはこう言っている。「もしあの映画に出演した後、自分の身に何が起こるか分かっていれば、タジオの役は引き受けなかっただろう」
 長い年月、タジオの影に煩わされていたビョルンが自身のアイデンティティーを見失わずに済んだのは、音楽の力によるところが大きい。音楽はいつも彼と共にあった。ビョルンは近年俳優として、またミュージシャンとして活動の場を広げている。最近彼から短いメールをもらった。「音楽のことで良いことがありそうだよ!」。それが何なのか、ワクワクしながら次の知らせを待っている。

 


Tadzio(タジオ)のモデルについて

 1971年に映画『ベニスに死す』が公開されて以来、『タジオ』=『ビョルン・アンドレセン』というイメージがすっかり定着してしまったが、実はトーマス・マンの小説には実在のモデルがいる。ポーランド人のヴワディスワフ・モエスという男爵の称号を持った人物だ。モエス氏によると、マンがこの小説の着想を得たリド島のホテルに彼の一家も同時期に滞在していて、この有名な作家が当時11歳だった自分を観察しているのに気づいていたという。後年ドイツのテレビ局のインタビューを受けた時には、モエス氏はすでに80歳代半ばの年金生活者で、社会主義下のワルシャワでアパート暮らしをしていた。




ドキュメンタリー映画撮影のクルーと東京の居酒屋で(ビョルンは左から2人目。2018年4月13日撮影)

居酒屋で.png 



撮影の合間に日本在住の友人と一服するビョルン(左。2018年4月8日撮影)

喫煙中.png

ショパン2016年11月号掲載”「心優しきヴァイキング」素顔のビョルン・アンドレセン”はこちら 

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