【演奏会情報】久元祐子 ベートーヴェン・ピアノ・ソナタ全曲演奏会 Vol.4 開催記念インタビュー

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「登山で言えば5合目あたり、というところでしょうか」
 ——久元祐子はベートーヴェン・ソナタ全曲演奏の現在地をそう表現する。

2023年からスタートした全32曲のプロジェクトは、2026年5月16日のVol.4でちょうど16曲、折り返しを迎える。今回のプログラムの核となるのは《田園》と《テンペスト》。中期の傑作《ワルトシュタイン》《熱情》へと至る手前、ベートーヴェンが「ハイリゲンシュタットの遺書」を書き残した苦悩と決意の時代の作品群だ。歴史的楽器の研究者としても知られる久元が、ウィーンの名器ベーゼンドルファー280VCを通じてこの時代の音楽に何を見出すのか。
演奏会開催に際してたっぷりと語っていただいた。

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【演奏会情報】
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久元祐子 ベートーヴェン ピアノ・ソナタ全曲演奏会 Vol.4

日時:2026年5月16日(土)15:00開演(14:30開場)
会場:TOPPANホール
入場料:一般前売 4,000円/当日 4,500円 学生 2,000円(前売・当日共通)
問合せ:プロアルテムジケ 03-3943-6677
チケット:https://proarte.jp/products/2026年5月16日-久元-祐子-ベートーヴェン-ピアノ-ソナタ全曲演奏会-vol-4

【プログラム】
L.v.ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第6番 ヘ長調 Op.10-2
L.v.ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第15番 ニ長調 Op.28《田園》
L.v.ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第9番 ホ長調 Op.14-1
L.v.ベートーヴェン ピアノ・ソナタ 第17番 ニ短調 Op.31-2《テンペスト》

使用楽器:ベーゼンドルファー 280VC ピラミッドマホガニー


 久元 祐子 Yuko Hisamoto
 ©武藤章
東京芸術大学音楽学部(ピアノ専攻)を経て同大学大学院修士課程を修了。ウィーン放送交響楽団、ラトビア国立交響楽団、読売日本交響楽団、新日本フィル、ウィーン・サロン・オーケストラ、ベルリン弦楽四重奏団など、内外のオーケストラや合奏団と多数共演。知性と感性、繊細さとダイナミズムを兼ね備えたピアニストとして高い評価を受けている。音楽を多面的に捉えることを目指したレクチャー・リサイタルは朝日新聞・天声人語にも紹介される。2010年、ショパン生誕200年記念年には全国各地でプレイエルを使っての演奏会に出演。軽井沢・大賀ホールにて天皇皇后両陛下(現上皇上皇后両陛下)ご臨席のもと御前演奏を行う。2011年ウィーンでのリサイタルはオーストリアのピアノ専門誌の表紙を飾り、日本人で唯一ベーゼンドルファー・アーティストの称号を受ける。2012・2014年イタリア国際モーツァルト音楽祭に招聘されリサイタルを開催。2025年大阪・関西万博オーストリア館にてベーゼンドルファー特注ピアノのお披露目演奏を行い、オーストリア大統領来日に際し御前演奏を務める。ブロードウッド(1820年製)、ベーゼンドルファー(1829年製)、プレイエル(1843年製)、エラール(1868年製)などのオリジナル楽器を所蔵。それぞれの時代に作曲家が求めた響きと美学を追究する演奏・録音活動を続けるほか、著書・執筆でも知られる。CDは18作をリリース。「優雅なるモーツァルト」は毎日新聞CD特薦盤・レコード芸術特選盤。「ベートーヴェン"テレーゼ""ワルトシュタイン"」はグラモフォン誌にて高評を得た。国立音楽大学・同大学院教授。ベーゼンドルファー・アーティスト。

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 ■ 5月16日のリサイタルについて
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Q. 今回のVol.4で、《田園》《テンペスト》を選ばれた理由をお聞かせください。

どちらもベートーヴェン自身が付けたタイトルではありませんが、2曲とも素晴らしい作品です。
ニ長調の《田園》、ニ短調の《テンペスト》は、当時のベートーヴェンが追求していた幻想性を持っています。
前々回のリサイタルで取り上げた2つの幻想ソナタ(作品27の1と2)は、構築的な形式を持つ「ソナタ」と自由で即興的な要素が強い「ファンタジー(幻想曲)」という一見相容れない対照的な世界を合体させた作品で、ベートーヴェンの実験的、革新的な精神を感じます。
今回演奏する《田園》《テンペスト》は、その延長線上にあると考えています。

コンサートは、作品10-2ヘ長調で始めます。ヘ長調の自然で明るい主題です。律動的でしかも動機が緊密に関連づけられていて、ベートーヴェンの主題労作の萌芽が見える作品です。また《テンペスト》の前には、のびのびとした主題のホ長調のソナタをもってきました。

Q. ベートーヴェン中期に向かう転換期の作品を、現在どのように捉えていらっしゃいますか?

《ワルトシュタイン》《熱情》という中期の傑作に至る道程において、この時期の作品は実に興味を惹かれます。金字塔のように聳え立つ偉大な山の眼前に、実に美しい田園が広がるように感じています。と同時に1801年から1802年にかけては、ベートーヴェンの人生において大きな局面を迎える重要な時期です。耳の病を友人に告白し、1802年10月には有名な「ハイリゲンシュタットの遺書」が残されています。
苦悩を乗り越え音楽家として生きる決意の表明です。そこから生まれた作品群は、その結晶と言えるのではないでしょうか。


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 ■ 楽器・音色について
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Q. 本公演で使用されるベーゼンドルファー280VCの魅力、またベートーヴェン作品との相性についてお聞かせください。

ベーゼンドルファー社は、ベートーヴェンが天国に旅立った翌年にウィーンで創業されました。
モーツァルトやベートーヴェン、シューベルトが活躍した頃のウィーンの香りを今に伝えてくれる名器で、ベートーヴェン作品との相性というより、まさにベートーヴェンの音楽を体現する楽器ではないかと感じています。

ベートーヴェンは1803年にフランスのエラール社からイギリス(突き上げ)式のピアノを贈られ、《ワルトシュタイン》や《熱情》などエネルギーが漲(みなぎ)る名作を作曲しています。でも今回演奏する4曲をはじめ、それ以前の作品は、ウィーンの製作家、ヴァルターが制作したフォルテピアノです。足ペダルもついておらず、音域は5オクターヴ。モーツァルトが愛用していたタイプの軽やかで透明感のあるウィーン(跳ね上げ)式アクションのフォルテピアノで《悲愴》なども作曲されていたというのは驚くべきことです。

常に新しい地平を切り開こうという意欲は、ベートーヴェンの楽器への強い要求にもつながり、けっきょく足ペダルが付いたイギリス式アクションのエラールにも満足せず、ウィーン式アクションに戻り、《皇帝》や《告別》を作曲した頃はナネッテ・シュトライヒャーなど繊細さをも持ちあわせたウィーンの製作家の楽器を使っています。
そしてまた晩年はイギリス式アクションのブロードウッドで最後の3つのソナタを作曲し、最晩年にはウィーン式のグラーフ制作の特注ピアノを手元に置いています。

「ウィーンナートーン」と呼ばれる温かく歌うような柔らかな音色を持つベーゼンドルファー社は、「より力強く、より大きく」というニーズのもとイギリス式アクションに舵を切ったピアノの歴史の中にあって、1900年になってもウィーン式アクションの楽器を制作していました。
その弱音の美しさと繊細さが最大の魅力ではないでしょうか。ベートーヴェンというと激しく強い作曲家! というイメージですが、彼のピアノ作品をひもときますと、いかに弱音の表現にこだわったかが見えてきます。

ベーゼンドルファー280VCは、2007年にリリースされた新機種です。ウィーンの歴史に育まれた豊かな低音の持つふくよかさや、中音域のあたたかな歌心の伝統を守りつつ、「鋭敏な反応」や「パワー」をも併せ持った革新的な楽器です。
今回は、世界に2台(1台はアンドラーシュ・シフ氏所蔵)の280VCピラミッド・マホガニーで演奏します。ウィーンの工房の技術者の方達とともに「理想の音」を求めて制作の段階から意見交換を重ね、創り上げていただいたピアノです。
お披露目演奏会から5年が経ちました。この間の楽器の成熟も是非味わっていただきたいと思っています。


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 ■ Beethoven Zyklus*(全曲演奏)プロジェクトについて
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Q. 全32曲を通して演奏するプロジェクトに取り組まれる中で、ご自身の解釈や演奏に生じた変化はありましたか?

モーツァルト全曲演奏の時も感じたのですが、全曲演奏することで見えてくるものは大きいと思います。何度も演奏する曲がある一方で、あまり弾かない曲、どちらかと言うと避けていた曲などもありました。あまり重要でないと考えられている作品であっても、そこに優れた美点を見つけたり、若書きと言われる曲にも、みずみずしい感動やエネルギーの迸(ほとばし)りを発見する喜びは、「全曲演奏」でこその愉しみでもあります。
そして人間ベートーヴェンの生きてきた軌跡、時代の中でふりかかる苦悩、人生における悲哀と歓びが芸術に昇華する過程が立ち上るように感じています。

AI時代になり、世の中は短時間で多くの情報量を入手できるようになりました。わざわざウィーンの図書館に行って、書類を何枚も書いてから見せてもらっていたような資料が、クリック一つでコンピュータ画面上に出てくる時代です。
全32曲を一晩で演奏するというギネスブックのような驚異的なピアニストも登場しています。
でも今回の全曲演奏会は、ソナタ全32曲を一気呵成(いっきかせい)に駈け抜けることは目標にしていません。

リサイタルの合間に多くの演奏の機会をいただいています。それらの経験も全曲演奏に活かしていきたいと考えています。昨年暮れにはベートーヴェンの《幻想合唱曲》を演奏しました。合唱とオーケストラとピアノ協奏曲を合体させたような規模の大きな作品です。《第九》に至るベートーヴェンの精神の高揚と熱狂がダイレクトに伝わり、大舞台で共有したベートーヴェン・ワールドは想い出深い経験になりました。
またロマン溢れる《アデライーデ》などの歌曲、ヴァイオリン・ソナタをはじめ室内楽などの演奏を重ねる中で、声楽家、演奏家の楽友から受ける刺激や意見交換の中で生まれる発見など、得難い時間です。

Q. Vol.4は、この全曲演奏の流れの中でどのような位置づけになるとお考えでしょうか。

年代順に並べる、という単純なプログラミングではなく、それぞれ毎回自分なりにテーマを考え、曲の流れとともにプログラムを決めています。4回で16曲。32曲のソナタのちょうど半分。登山で言えば5合目あたり、というところでしょうか。聳え立つ山頂までの道のりは、険しいコースですが、自らの人生に重ねながら取り組んでいきたいと思っています。

Vol.2では、当時ベートーヴェンが愛用していたヴァルター制作フォルテピアノの復元楽器で演奏しました。
Vol.3では、ベーゼンドルファーのフラッグモデルであるインペリアルと最新モデルである280VCの両方を使い、その個性の違いを皆さまにお届けしました。
今回は、vol.1で演奏した愛器、280VCピラミッド・マホガニーを再び運び入れての演奏会です。

*Beethoven Zyklus(ベートーヴェン・ツィクルス)とは、ベートーヴェンの特定のジャンルの作品(交響曲、ピアノソナタ、弦楽四重奏曲など)を全曲または連続して演奏するコンサートシリーズ

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 ■ 海外・ドイツでの活動について
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Q. ドイツで予定されている世界初演の企画について、可能な範囲で概要をお聞かせください。

ブラームスの親友だったヴァイオリニスト、ヨアヒムの弟子で、優れたヴァイオリニストであると同時に多くの作品を残したヴァルター・ヴァックスムートの曲を集めてレコーディングと演奏会の予定です。ヴァックスムートのお孫さんの話によると、彼は敬虔なキリスト教信者で、また自然を愛する人だったそうです。音楽は、実に多彩です。静謐(せいひつ)な祈りに満ちた作品がある一方で、クレイジーなお祭り騒ぎのような曲もあり、人生の歓びを歌い上げるような、そして一緒に踊りたくなるようなウィンナーワルツまで……。身体にエネルギーが満ちてくるような作品群に、変幻自在な音色で挑戦したいと思っています。

Q. 海外での活動経験が、日本での演奏に与えている影響があれば教えてください。

海外に限らず、旅での経験、感動や出会いは、人間を豊かにしてくれると信じています。実際の演奏にどう影響を与えているのか自分ではわかりませんが、「演奏」という行為は、日常の過ごし方、時間の捉え方、見ること、聴くこと、感じること、すべてが音につながっていくものではないかと思っています。

ソ連時代、演奏旅行した際、「朝から歩いてコンサート会場に来たの。私にはご飯より音楽が必要だから」と言う女の子や、「自分の国の政治は誇れないが芸術は誇りだ」と仰っていたオーケストラのメンバーの言葉は、深く心に残っています。

昨年は大阪万博オーストリアパビリオンでベーゼンドルファー『The Great Wave off Kanagawa(神奈川沖浪裏)』をお披露目演奏し、オーストリア大統領来日の折には御前演奏をしました。そのピアノが姫路市にお嫁入し、再びお披露目演奏の機会を頂いています。オーストリアとのご縁は、ベーゼンドルファー・アーティストという称号をいただいた時から続いていますが、音に耳を傾け、音楽を慈しむウィーンのベーゼンドルファー・チームの方たちの想いに応えたい、というのも、自分を高めていきたいという情熱につながっているように思えます。


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 ■ 最後に
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Q. 今回のリサイタルを、どのような方に特に聴いてほしいとお考えですか。

ベートーヴェンの音楽を愛する皆さまに聴いていただき、心に沁みる響きを一瞬でも感じていただければ本当にうれしいことです。
そしてベートーヴェンはちょっと……と敬遠されている方にも足を運んでいただきたい。
常に新たな地平を切り拓く精神は、前に進む勇気を与えてくれます。
ベートーヴェンの音楽は、差異に差異を重ねることに価値を見出だしたり、目新しい表面的なことに付和雷同する現代の風潮とは対極にある音楽です。
時を経ると流行が廃れたり、変わってしまったり、ということがある中で、決して「古く」ならない不変のものを共有することができれば、これに勝る喜びはありません。

私自身、歴史的楽器から多くを学ぶ毎日です。ベートーヴェン時代、シューベルト時代、ショパン時代、リスト時代のピアノ達には、当時の音色、そしてその楽器を愛した作曲家の美学が現れています。それらの楽器を前提とした指示を見ると、現代のピアノだけでは解決できなかった謎が氷解するようなこともしばしばです。

「楽器が教えてくれた」と師イエルク・デームス先生も仰っていました。
私自身、歴史的楽器を弾きながら「目から鱗」の経験をしてきました。レッスンやマスター・クラスなどの時にも、生徒さんが「弾きにくい」箇所を歴史的楽器を試して弾くことで、すっと弾けるようになったり、イメージが変わる瞬間を目のあたりにしてきました。
自分自身も学び続けながら、それらの経験を次の世代に伝えていきたいと思っています。

クリストーフォリによってフォルテピアノの歴史が始まった1700年頃から300年を経た現在。
ピアノは大きく変遷し、進化しました。その歴史の中で、もしかするととりこぼされてしまったかにみえる繊細さや人の息遣い、これらを現代のピアノ演奏においても蘇らせたいと思っています。
ピアノの音色を作る技術者の皆さま、ピアノの音色を愛する皆さまに、楽しんでいただければ幸せです。




チケットお申込詳細はこちら
https://proarte.jp/products/2026年5月16日-久元-祐子-ベートーヴェン-ピアノ-ソナタ全曲演奏会-vol-4

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