ピリオド楽器コンサート観戦&取材日記 by月刊ショパン【7日目 10月14日 取材陣&客席にはこんな人たちが⁉】

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第2回ショパン国際ピリオド楽器コンクールが終了しました。
優勝はカナダのエリック・グオさん! マズルカ賞とのダブル受賞になりました。





彼は我々『ショパン』チームをホール内で見つけると手を振ってくれたりととてもフレンドリー。そんな彼のフレンドリーさは、ファイナルステージのオーケストラとのアンサンブルにも表れていたように思います。

5日のオープンコンサートに始まり、10日間にわたった第2回ショパン国際ピリオド楽器コンクールもおしまい。
『月刊ショパン』はたくさんのコンテスタントからお話を聞くことができました。
高松国際ピアノコンクールからから始めた“弾きたてほやほや”インタビュー。とても恐縮もの(!)の企画なのですが、演奏直後の高揚感と共にコンテスタントたちの飾らない素顔をお届けできているのではないかと自負しております。
まだご覧になってない方はぜひこの機会にご覧ください!



さて、そんな弾きたてホヤホヤインタビューですが、月刊ショパンチームといつも同じタイミングでインタビューをしていたメディアがいました。
それはポーランドのラジオ局「ポルスキーラジオ」。
会場ホワイエには彼らの配信ブースもあり、演奏も配信されていたようです。



月刊ショパンチームはポルスキーラジオチームと同じ部屋を使うこともあり、時に言葉を交わすことも。
「お互いコンクールの取材は大変ですね」と声をかけると「この時期は忙しいの。毎年ショパンの命日にちなんで『ショパンマラソン』という企画もしているし。歌曲やチェロソナタのショパンの全曲を演奏するのよ」とのこと。
全曲、と聴くと身構えてしまいますが、会場にはいつ入ってもいいし、いつ出てきても良いというオープンで気軽に聴ける演奏会なのだそうです。

『月刊ショパン』ではポルスキーラジオへの取材も行いました。12月号誌面とYouTubeチャンネルでの公開をお楽しみに!



ポーランドの取材陣はラジオだけではありません、芸術・文化専門のテレビチャンネルもコンクールの模様を追っていたようで、ファイナルステージでは現地レポートも登場! レポーターとカメラマンが待ち構え、スポーツ選手のヒーローインタビューのようにインタビューをしていました。
やはり ”ショパン”コンクールはポーランドの国民的イベントのようです。

一方、客席にいたのはどのような人たちでしょうか? 第1ステージ、第2ステージの会場は300席ほどの室内楽ホール。第1ステージはだいたい6割、第2ステージは8割の座席が埋まっていました。一般のお客さんもいたかと思いますが、おそらくあまり多くはなく(特に第1ステージ)、コンテスタントの関係者、取材陣や研究や視察に来られた方々がほとんどだったという印象。

その中で、上品ながらも絶対に只者ではない雰囲気をまとった、おそらく80歳代ぐらいの男性の姿がありました。親しげに話しかけていた日本人の方がいたので誰なのかお聞きしたところ、ポーランドの著名な音楽評論家の方なのだそう。きっとスゴイ演奏家たちの演奏をたくさん聴いてきたのでしょうね。
大ベテランの風格を前に、ひよっこの私はとてもお声をかけることができなかったのですが、思わぬ経験や体験につながる交流もありました。
コンクールの審査がお休みの日、ショパン研究の方お二人にワルシャワ市内のポーランド国立博物館に連れて行ってもらいました。

常設展は中世から現代までのポーランドの彫刻や絵画が展示されおり、日頃から美術鑑賞が趣味の私ですが、ポーランド美術についてはまったくのノーマークだったことを自覚するに至りました。
特に驚いたのは中世美術で、とにかく絢爛豪華で迫力満点! 圧倒されていると、ショパン研究のTさんいわく、昔は大きな国力を有していたことの証しなのだそう。
ポーランドはロシアに支配されていたり、分割されたり、侵略されたりと可哀想な国のイメージがありましたが、14〜16世紀にかけてはヨーロッパ最大の王国だったのです。




ショパンの生まれた時代、19世紀の絵画では貴族の人々の肖像画や生活が描かれており、Tさんは一つ一つのタイトルをチェックし、誰が描かれているかをチェック。「この人とショパンは会ったことがある!」「献呈作品もある人だ!」と、キャプションには書かれていないショパン情報を教えてくれました。
ショパンのお父さんは貴族の子女の通う学校の先生でした。そんな環境の中で、パリのサロンでもご婦人方の目を引いた優美さを培っていったのでしょう。
ワルシャワ公国の平穏な時代。柔らかな微笑みをたたえた貴族たちの向こうに、穏やかな少年期のショパンの姿が見えてきそうです。
そんなことを考えていると、ポーランドがバラバラにされロシアの支配におかれたことで、ショパンは幸せな少年期の思い出までも奪われてしまったように感じたのではないでしょうか。ショパンの無念や悔しさや、ただ距離の問題だけではない望郷の想いが初めてひしひしと伝わってきました。





実はこれまで、「マズルカやポロネーズには故郷への想いが込められている」とか、「心臓だけでも故郷に戻ることを望んだ」といった、ポーランドへのショパンの熱い想いをあまり理解できていませんでした。しかし、ショパンが見たであろう風景や景色を見ることで(絵画という間接的な方法ですが)、心に描くことができるのだなととても貴重な体験になりました。

客席での交流、そして何よりワルシャワに実際に行ったことが、思わぬ出来事をもたらしてくれました。

***

さて、この観戦&取材日記も今回が最終回。現地で聞いた話、感じたことなどを書かせていただきました。コンテスタントを含め、現地でさまざまな人とお話したことで、「コンクールの結果は一つでも、人によってさまざまな聴き方や見方がある」ということを実感しました。
「月刊ショパン」12月号、ショパン国際ピリオド楽器コンクール特集号でもコンクールについてお伝えするので、ぜひお手にとっていただけたらうれしいです。発売日は11月17日(金)! 今から編集作業をがんばります!(泣)


(文/東ゆか)







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