楽器の事典ピアノ 第3章 世界の代表的ブランド アメリカ代表のピアノ ボールドウィン

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世界的な名声を勝ち得た名器とその系譜

ボールドウィンの創業は一八六二年と伝えられているが、そのピアノが正式に作り始められたのは二十世紀の初期である。この楽器は“世界で最も芸術的なピアノ”との定評があるように、その姿も音も極めて美しい。

 このピアノは他の名器のように特殊な才能を持った人物が、並外れた頭脳と手腕で、その命と引き換えに生み出したというものではない。その創始者の言葉を借りれば、「平凡な人々が公平に働き、熱心に理想を追求したたまものとして生み出されたもの」だという。

 現在のボールドウィンのピアノは、その創始者が作り出したわけではない。この楽器を誕生させるのに功績のあった人物はルシアン・ウルシンである。創始者D・H・ボールドウィンは元来音楽教師で副業としてピアノを販売していたが、ルシアン・ウルシンは彼のもとで販売、会計、その他一切の雑用を受け持っていた。この楽器販売の仕事はやがて大きな発展を遂げ、輩下に数多くのオルガン、ピアノ工場を持つようになり驚くべき大企業へと成長していった。ところが、一八九九年にボールドウィンが死亡した時、遺言によってその資産のほとんどを教会へ寄付してしまったのである。

 ボールドウィンの会社は、当然、ここで終末を迎える運命にあったが、当時、三十三歳だったウルシンは、勤勉に働き続けて蓄えた全財産を投じて、残った設備と在庫を購入し、数学の天才であったアームストロングというパートナーを加えて再出発することになった。ウルシンは南北戦争の当時は歩兵隊や騎兵隊で苦労を重ねたが、生まれつきの芸術的な素質を持ち、高貴なものや美術的なものに対して、本能的にあこがれを持っていた。

 

 彼はシンシナティの美しいエデン公園の反対側に、外観も芸術的で、内部も清潔な、あたかも美術家のアトリエのような工場を建設し、すべての工員が芸術を愛する心を持ってピアノを作り出すように配慮し、広いオフィスの壁面にはギリシャやローマ時代の美しい建造物や彫刻の絵を並べたという。さらに工場の周辺に花壇を作り、作業員が窓越しに美しく咲いた花を眺め、美しいものに対する心を失わずに働けるように配慮した。このようにしてウルシンは会社の全従業員の力で、最も芸術的なピアノを作り出したのである。

 ボールドウィンのピアノは一九〇〇年のパリの博覧会でグランプリを獲得し、ルシアン・ウルシンはその際、十字勲章を与えられている。フランスのピアニスト、ラオル・プノー(一八五二~一九一四)は、ボールドウィ

 

ンのピアノに対して、「この楽器の音色は限りない美しさと味わいの深さを持っていて、いかに演奏してもその究極を引き出すことは至難のことである」と絶賛している。

 また、古いSPの名盤のレコードに、バッハマンがショパンの曲を弾きながらモゾモゾとつぶやいている録音が残っているが、この楽器もボールドウィンである。

ボールドウィンのピアノは芸術を愛する理想主義者が生み出した名器で、独立インターナショナルによって輸入されている。


改訂 楽器の事典ピアノ 平成2年1月30日発行 無断転載禁止



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